智囊 / 經務・張肖甫
張公抵嘉禾聞變,問候人曰:「兵哨海者發耶?」曰:「發矣。」「所留二營無恙耶?」曰:「然。」公曰:「速驅之,尚可離而二也。」從者皆恐,公談笑自如,既抵台治事,而群不逞嘯聚益眾,揭竿立幟,執白刃而向台者可二千餘,且欲毀垣以入,公乃從數卒乘肩輿出迎,謂之曰:「汝曹毋反,反則天子移六師至族汝矣!且汝必有所苦與甚不平,何不告我?」眾以司夜役不公為言,公曰:「易耳!奈何以一憤易一族?」即下令除之,眾始散。然其氣益張,夜復掠他巨室,火光燭天,公秉燭草檄,諭以禍福,質明,張之通衢,眾取裂之。,公怒曰:「吾奉命戢悍兵,宜自悍民始。」已而計曰:「過可使也,烏合可刈也。」命游擊徐景星以二營兵入,召伍長撫之曰:「前幕府誠誤用汝死力而不汝餉,汝寧無怏怏?眾唯唯,則又曰:「市無賴子亂成矣,彼無他勞,非汝曹例,能為我盡力計捕之,我且令汝曹以功飽也,然無多殺,多殺不汝功。」眾踴躍聽命。
新字:張公抵嘉禾聞変,問候人曰:「兵哨海者発耶?」曰:「発矣。」「所留二営無恙耶?」曰:「然。」公曰:「速駆之,尚可離而二也。」従者皆恐,公談笑自如,既抵台治事,而群不逞嘯聚益衆,掲竿立幟,執白刃而向台者可二千余,且欲毀垣以入,公乃従数卒乗肩輿出迎,謂之曰:「汝曹毋反,反則天子移六師至族汝矣!且汝必有所苦与甚不平,何不告我?」衆以司夜役不公為言,公曰:「易耳!奈何以一憤易一族?」即下令除之,衆始散。然其気益張,夜復掠他巨室,火光燭天,公秉燭草檄,諭以禍福,質明,張之通衢,衆取裂之。,公怒曰:「吾奉命戢悍兵,宜自悍民始。」已而計曰:「過可使也,烏合可刈也。」命游撃徐景星以二営兵入,召伍長撫之曰:「前幕府誠誤用汝死力而不汝餉,汝寧無怏怏?衆唯唯,則又曰:「市無頼子乱成矣,彼無他労,非汝曹例,能為我尽力計捕之,我且令汝曹以功飽也,然無多殺,多殺不汝功。」衆踴躍聴命。
書き下し
張公は嘉禾に抵りて変を聞き、候人に問いて曰く、「兵の海を哨する者は発せしか」と。曰く、「発せり」と。「留まる所の二営は恙無きか」と。曰く、「然り」と。公曰く、「速やかに之を駆れ、尚お離して二つにす可し」と。従者は皆な恐る。公は談笑して自如たり。既に台に抵りて事を治むるに、群不逞の嘯聚するは益ます衆く、竿を揭げ幟を立て、白刃を執りて台に向かう者は二千余ばかりなる可し、且つ垣を毀ちて入らんと欲す。公は乃ち数卒に従いて肩輿に乗りて出で迎え、之に謂いて曰く、「汝曹反する毋かれ、反すれば則ち天子は六師を移して至り汝を族せん。且つ汝は必ず苦しむ所と甚だ平らかならざる所有らん。何ぞ我に告げざる」と。衆は夜役の不公を以て言う。公曰く、「易きのみ。奈何ぞ一憤を以て一族に易えんや」と。即ち令を下して之を除く。衆は始めて散ず。然れども其の気は益ます張り、夜に復た他の巨室を掠め、火光天を燭らす。公は燭を秉りて檄を草し、諭すに禍福を以てし、質明に通衢に張るに、衆は取りて之を裂く。公は怒りて曰く、「吾は命を奉じて悍兵を戢めんとす。宜しく悍民より自ら始むべし」と。已にして計りて曰く、「過ちは使う可し、烏合は刈る可し」と。游撃の徐景星に命じて二営の兵を以て入らしめ、伍長を召して之を撫して曰く、「前の幕府は誠に汝の死力を誤用して汝に餉せず。汝は寧ろ怏怏たる無からんや」と。衆は唯唯たり。則ち又た曰く、「市の無頼の子の乱は成れり。彼に他の労無く、汝曹の例に非ず。能く我が為に尽力して之を捕らう計らば、我は且つ汝曹をして功を以て飽かしめん。然れども多く殺す毋かれ、多く殺せば汝の功にあらず」と。衆は踊躍して命を聴く。
現代語訳
張公は嘉興に着いて変事を聞き、斥候に尋ねた。「海上を巡回する兵は出発したか。」「出発しました。」「残った二つの営は無事か。」「はい。」公は言った。「すぐにそれを駆り出せ。まだ二つに分けておくことができる。」従者はみな恐れたが、公は談笑して平然としていた。台に着いて事を取り扱うと、よこしまな者たちの群れはますます数を増し、竿を掲げ旗を立て、白刃を持って台に向かう者は二千人余りにのぼり、さらに垣を壊して入ろうとした。公はそこで数名の兵を従えて肩輿に乗って出迎え、こう言った。「お前たちは反逆するな。反逆すれば天子が六軍を移して来て、お前たちを一族ごと誅するぞ。それに、お前たちには必ず苦しいことや不満なことがあろう。なぜ私に告げないのか。」人々は夜警の役の不公平を言った。公は言った。「たやすいことだ。どうして一時の憤りを一族の滅亡に引き換えようとするのか。」すぐに命令を下してそれを廃した。人々はようやく散った。しかしその気勢はますます盛んになり、夜にまた他の豪邸を略奪し、火の光は天を照らした。公は燭を持って檄文を書き、禍福を説いて諭し、夜明けに大通りに掲示したが、人々は取って破いた。公は怒って言った。「私は命を受けて凶暴な兵を鎮めに来たが、まず凶暴な民から始めるべきだ。」しばらくして考えて言った。「過ちは使える。烏合の衆は刈れる。」游撃の徐景星に命じて二つの営の兵とともに入らせ、伍長を召して慰めて言った。「前の幕府は、お前たちの死力を誤って使いながら、給与を払わなかった。不満がないはずがない。」兵たちは「はい」と答えた。さらに言った。「市の無頼の子らの乱が起きた。彼らには何の功労もなく、お前たちの例とは違う。私のために力を尽くして彼らを捕らえるなら、私はお前たちを功績によって満足させよう。ただし多く殺してはならない。多く殺せば、お前たちの功にはならない。」兵たちは躍り上がって命令に従った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、冑を免ぐ遂に之を殺して、王を以て高府に如く。石乞、門に尹たり。圉公陽、宮に穴し、王を負ひて以て昭夫人の宮に如く。葉公も亦た至る。北門に及ぶ。或ひと之に遇ひて曰く、「君胡ぞ冑せざる。國人の君を望むこと、慈父母を望むが如し。盜賊の矢、若し君を傷つけば、是れ民の望を絕つなり。之を若何ぞ冑せざる」と。乃ち冑して進む。又一人に遇ふ。曰く、「君胡ぞ冑する。國人の君を望むこと、歲を望むが如し。日日以て幾ふ。若し君の面を見ば、是れ艾を得るなり。民、死せざるを知らば、其れ亦た夫の奮心有らん。猶ほ將に君を旌して以て國に徇へんとす。而るを反つて面を掩ひて以て民の望を絕つ。亦た甚だしからずや」と。乃ち冑を免ぎて進む。箴尹固の、其の屬を帥ゐて將に白公に與せんとするに遇ふ。子高曰く、「二子微かりせば、楚は國ならず。德を棄てて賊に從ふ、其れ保つ可けんや」と。乃ち葉公に從ふ。國人と與に以て白公を攻めしむ。白公、山に奔りて縊る。其の徒、之を微す。石乞を生拘して、白公の死を問ふ。對へて曰く、「余、其の死所を知る。
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