智囊 / 迎刃・劉坦
坦為長沙太守,行湘州事。適王僧粲謀反,湘部諸郡蠭起應之。而前鎮軍鍾玄紹者潛謀內應,將剋日起。坦偵知之,佯為不省,如常理訟。至夜,故開城門以疑之。玄紹不敢發。旦詣坦問故,坦久留與語,而密遣親兵收其家書。玄紹尚在坐,收兵還,具得其文書本末,因出以質紹。紹首伏,即斬之,而焚其書,以安餘黨,州部遂安。
新字:坦為長沙太守,行湘州事。適王僧粲謀反,湘部諸郡蠭起応之。而前鎮軍鍾玄紹者潜謀内応,将剋日起。坦偵知之,佯為不省,如常理訟。至夜,故開城門以疑之。玄紹不敢発。旦詣坦問故,坦久留与語,而密遣親兵収其家書。玄紹尚在坐,収兵還,具得其文書本末,因出以質紹。紹首伏,即斬之,而焚其書,以安余党,州部遂安。
書き下し
坦は長沙太守と為り、湘州の事を行う。適ま王僧粲謀反し、湘部の諸郡は蠭起して之に応ず。而して前鎮軍鍾玄紹なる者は潜かに内応を謀り、将に日を剋して起こさんとす。坦は偵知し、佯って省せざると為し、常の如く訟を理む。夜に至り、故に城門を開きて以て之を疑わしむ。玄紹は敢えて発せず。旦に坦に詣りて故を問う。坦は久しく留めて与に語り、而して密かに親兵を遣わして其の家書を収めしむ。玄紹は尚お坐に在り、収めし兵還り、具さに其の文書の本末を得て、因りて出して以て紹に質す。紹は首伏し、即ち之を斬り、而して其の書を焚き、以て余党を安んず。州部は遂に安し。
現代語訳
劉坦は長沙太守となり、湘州の事務を取り仕切った。ちょうど王僧粲が反乱を起こし、湘州の諸郡は蜂起してこれに応じた。前鎮軍の鍾玄紹という者は、ひそかに内応を図り、日を定めて決起しようとしていた。坦はこれを探り知り、気づかぬふりをして、常のように訴訟を裁いた。夜になって、わざと城門を開けて疑わせた。玄紹は動けなかった。翌朝、坦のもとに行って理由を尋ねた。坦は長く引き留めて語り合い、その間に密かに親兵を遣わして玄紹の家の書簡を押収させた。玄紹がまだ座にいるうちに、押収した兵が帰り、文書の一部始終を得て、それを出して玄紹に突きつけた。玄紹は頭を下げて罪を認め、すぐに斬り、その書類を焼いて、残りの仲間を安心させた。州内はこうして落ち着いた。
解説
この章句が説くこと
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