智囊 / 迎刃・馬默
宋制:沙門島罪人有定額,官給糧者才三百人,溢額則糧不贍;且地狹難容。每溢額,則取其人投之海中,寨主李慶一任,至殺七百餘人。馬默知登州,痛其弊,更定配海島法,建言:「朝廷既貸其生矣,即投之海中,非朝廷本意。今後溢額,乞選年深、自至配所不作過人,移登州。」神宗深然之,即詔可。著為定制,自是多全活者。默無子,夢東嶽使者致上帝命,以移沙門島罪人事,特賜男女各一。後果生男女二人。
新字:宋制:沙門島罪人有定額,官給糧者才三百人,溢額則糧不贍;且地狭難容。毎溢額,則取其人投之海中,寨主李慶一任,至殺七百余人。馬黙知登州,痛其弊,更定配海島法,建言:「朝廷既貸其生矣,即投之海中,非朝廷本意。今後溢額,乞選年深、自至配所不作過人,移登州。」神宗深然之,即詔可。著為定制,自是多全活者。黙無子,夢東嶽使者致上帝命,以移沙門島罪人事,特賜男女各一。後果生男女二人。
書き下し
宋制、沙門島の罪人には定額有り、官の糧を給うは才かに三百人、額を溢るれば則ち糧は贍わず。且つ地は狭くして容れ難し。額を溢るる毎に、則ち其の人を取りて之を海中に投ず。寨主李慶の一任に、殺すこと七百余人に至る。馬默は登州に知たり、其の弊を痛み、配海島の法を更定し、建言す、「朝廷は既に其の生を貸せり。即ち之を海中に投ずるは、朝廷の本意に非ず。今後額を溢れば、乞う、年深く自ら配所に至りて過ちを作さざる人を選び、登州に移さんことを」と。神宗は深く然りとし、即ち詔して可とす。著して定制と為し、是れ自り全活する者多し。默に子無し。夢に東嶽の使者が上帝の命を致し、沙門島の罪人を移せし事を以て、特に男女各一を賜う。後に果たして男女二人を生む。
現代語訳
宋の制度では、沙門島に流された罪人には定員があり、官から食糧を給与されるのはわずか三百人で、定員を超えると食糧が足りなかった。そのうえ土地が狭く、収容しきれなかった。定員を超えるたびに、その人を海に投げ込んだ。砦の長官、李慶の一代だけで、七百人余りを殺すに至った。馬默は登州の長官となり、この弊害を痛み、島への流刑の法を改めるよう建言した。「朝廷はすでに彼らの命を許しています。海に投げ込むのは、朝廷の本来の意図ではありません。今後定員を超えたら、どうか、島に長くいて、配所に着いてから過ちを犯していない者を選び、登州に移してください」。神宗は深く賛同し、すぐに詔を出して許可した。定まった制度として書き記し、これ以後、命を全うする者が多くなった。馬默には子がなかった。夢に東嶽の使者が上帝の命を伝え、沙門島の罪人を移した事によって、特に男と女の子を一人ずつ授けると告げた。後に果たして男女二人が生まれた。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』經務・范純仁范忠宣公、襄城に知たりし時、襄の俗は蚕織を事とせず、桑を植うる者鮮し。公、之を患え、民の罪あれど情の軽き者に因りて、桑を家に植えしめ、多寡は其の罪の軽重に随わしめ、後に其の植うる所の栄茂なるを按じて罪を除く。是れより人は其の利を得たり。公の去るや、民は懐いて忘れず。〔馮述評〕愚は今日の軍・徒の罪についても亦た説あり。夫れ軍は借りて以て戦い、徒は借りて以て役す。立法の初意にあらずや。今は然らず。或いは佯死し、或いは借差し、或いは倩代し、里甲に僉解の憂いあり、衛所に口糧の費あり、而るに罪人の翱翔自如たること、見る者も問うを得ず。即ち所謂徒なる者は、軍に視べて較苦なり、故に諺に「活軍死徒」の説あり。然れども富者は替を買い、貧者は行丐し、即ち駅中牽挽の事も、資する所は幾何ぞ。又た安んぞ此の徒を用いんや。然らば宜しく如何にすべきか、曰く、「若し屯法を以て之を行わん。方今、開墾を議するも、未だ成効あらず。誠に軍衛の遠近を酌み、徒の限の多寡を酌み、某処に押赴して荒を開くこと若干畝、成熟して升科するを俟ちて、即ち罪を准して釈放す。其の或いは留まらんと願えば、即ち世業と為す。行うこと数年にして、曠土は漸く熟土と変じ、且つ奸民は俱に良民と化す。其の利、顧って大ならざるか。夫の安插に法あり、羈縻に法あり、稽核に法あり、勧相に法あるが若きは、是れ又た一言を以て尽くすべきにあらざるなり。
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『智囊』通簡・宋真宗宋の真宗の朝、嘗て兵士の過ちを作す有り、法に於いて合に死すべく、貸命して決脊杖二十、配に改むるを持す。其の兵士は高声に叫喚して剣を乞い、杖を決せらるるに服せず、従人把捉する得ず、遂に奏して進止を取る。伝宣して云う、「須く杖を決して後、別に進止を取りて斬るべし」と。尋いで決し訖りて旨を取る。真宗云う、「此れは只だ是れ杖を吃うを怕るるのみ。既に決し了れば、便ち配所に送れ、問う莫かれ」と。
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『智囊』見大・趙抃趙清献公抃、出でて青州を察す。毎に念う、一人獄に入らば、十人業を罷む。株連して波及するは、更に無辜に属す。且つ獄禁の中、夏は疫疾湿蒸有り、冬は皸瘃凍裂有り。或いは小罪を以て、年を経て桎梏せられ、或いは軽き係りを以て、追って死亡に就く。獄卒・囚長は需索して凌辱す、尤も深痛すべし。時に人をして馬上に飛び監簿を弔して査勘せしめ、獄囚の多少を以て、有司の賢否を定む。行うこと期年、郡州県の属吏、敢えて妄りに一人をも係ぐ者無し。邵尭夫は毎にその事を称道す。
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