智囊 / 迎刃・嚴求
烈祖輔吳,四方多壘,雖一騎一卒,必加姑息。然群校多從禽,聚飲近野,或騷擾民庶。上欲糾之以法,而方借其材力,思得酌中之計,問於嚴求。求曰:「無煩繩之,易絕耳。請敕泰興、海鹽諸縣,罷彩鷹鸇,可不令而止。」烈祖從其計,期月之間,禁校無復遊墟落者。
新字:烈祖輔呉,四方多塁,雖一騎一卒,必加姑息。然群校多従禽,聚飲近野,或騷擾民庶。上欲糾之以法,而方借其材力,思得酌中之計,問於厳求。求曰:「無煩縄之,易絶耳。請勅泰興、海塩諸県,罷彩鷹鸇,可不令而止。」烈祖従其計,期月之間,禁校無復遊墟落者。
書き下し
烈祖、呉を輔けしとき、四方に塁多く、一騎一卒と雖も、必ず姑息を加う。然れども群校は多く禽に従い、聚飲すること野に近づき、或いは民庶を騒擾す。上は糾すに法を以てせんと欲すれども、方に其の材力を借り、中を酌むの計を得んことを思い、厳求に問う。求曰く、「繩すに煩わすこと無し、絶ち易きのみ。請う、泰興・海塩の諸県に敕して、彩鷹鸇を罷めしめば、令せずして止む可し」と。烈祖は其の計に従い、期月の間、禁校は復た墟落に遊ぶ者無し。
現代語訳
烈祖が呉を補佐していたころ、四方に敵の砦が多く、たとえ騎兵一人、兵卒一人であっても、必ず大目に見ていた。しかし多くの将校は鳥獣の狩りに出かけ、野の近くで集まって酒を飲み、民衆を騒がせることがあった。上は法で取り締まろうとしたが、ちょうど彼らの力を借りている最中であり、ほどよい計らいを求めて、厳求に尋ねた。求は言った。「法で縛るには及びません。絶つのは簡単です。泰興・海塩の諸県に命じて、彩色の鷹や鷂を献上させるのをやめさせれば、命令せずとも止まります」。烈祖はその計略に従い、ひと月ほどで、禁軍の将校はもう村里に遊びに出る者がいなくなった。
解説
この章句が説くこと
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