智囊 / 通簡・鞠真卿
鞠真卿守潤州。民有鬥毆者,本罪之外,別令先毆者出錢以與後應者。小人靳財,兼以不憤輸錢於敵人,其後終日紛爭,相視無敢先下手者。〔馮述評〕金壇王石屏都初任建寧令,謁府,府謂曰:「縣多『騾夫』,難治,好為之。」王唯之,然不知「騾夫」何物。訊之,即吳下「打行天罡」之類,大家必畜數人,訟無曲直,挺鬥為勝,若小民直氣凌之矣。王出示嚴禁「凡訟有相鬥」必恕被打者而加責打人者,民間以打人為戒。騾夫無所用之。期月,此風遂息。此亦鞠公之智也。
新字:鞠真卿守潤州。民有鬥殴者,本罪之外,別令先殴者出銭以与後応者。小人靳財,兼以不憤輸銭於敵人,其後終日紛争,相視無敢先下手者。〔馮述評〕金壇王石屏都初任建寧令,謁府,府謂曰:「県多『騾夫』,難治,好為之。」王唯之,然不知「騾夫」何物。訊之,即呉下「打行天罡」之類,大家必畜数人,訟無曲直,挺鬥為勝,若小民直気凌之矣。王出示厳禁「凡訟有相鬥」必恕被打者而加責打人者,民間以打人為戒。騾夫無所用之。期月,此風遂息。此亦鞠公之智也。
書き下し
鞠真卿、潤州を守る。民に闘い殴る者有れば、本罪の外に、別に先に殴りし者をして銭を出だし以て後に応じし者に与えしむ。小人は財を惜しみ、兼ねて敵人に銭を輸すを憤らざるを以て、其の後は終日紛争すれども、相視て敢えて先に手を下す者無し。〔馮述評〕金壇の王石屏都、初めて建寧の令に任ぜられ、府に謁す。府謂いて曰く、「県に『騾夫』多く、治め難し、好く之を為せ」と。王は唯と之に答えしも、然れども『騾夫』の何物たるかを知らず。之を訊えば、即ち呉下の『打行天罡』の類にして、大家は必ず数人を畜い、訟に曲直無く、挺闘して勝つを為し、小民の直気は之に凌がるるなり。王、示を出だして厳禁す、「凡そ訟に相闘う有れば」必ず打たれし者を恕して打ちし人を責むるに加えよ、と。民間は人を打つを以て戒めと為す。騾夫は之を用うる所無し。期月にして、此の風遂に息む。此れ亦た鞠公の智なり。
現代語訳
鞠真卿は潤州の長官であった。民に殴り合いの喧嘩をする者があると、本来の罪とは別に、先に殴った者に金を出させて、後から応じた者に与えさせた。小人は金を惜しみ、そのうえ相手に金を払うのが腹立たしいので、その後は一日中言い争っても、互いに睨み合うばかりで、あえて先に手を出す者はいなくなった。〔馮述評〕金壇の王石屏は、初めて建寧の県令になり、上役の府に挨拶に行った。府の長官は言った。「この県には『騾夫』が多く、治めにくい。うまくやりなさい」。王ははいと答えたが、『騾夫』が何者かは知らなかった。尋ねてみると、呉の地方で言う『打行天罡』のたぐい、つまり喧嘩の請負人のことで、有力な家は必ず数人を抱えており、訴訟では是非を問わず、棒を振るって争った者が勝ちとなり、素直な庶民はこれに押さえつけられていた。王は布告を出して厳しく禁じた。「およそ訴訟で殴り合いがあれば」、必ず殴られた者を許して、殴った者を重く罰する、と。民間では人を殴ることを戒めとするようになり、騾夫は使い道がなくなった。ひと月ほどで、この風潮はやんだ。これもまた鞠公の知恵と同じである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』迎刃・嚴求烈祖、呉を輔けしとき、四方に塁多く、一騎一卒と雖も、必ず姑息を加う。然れども群校は多く禽に従い、聚飲すること野に近づき、或いは民庶を騒擾す。上は糾すに法を以てせんと欲すれども、方に其の材力を借り、中を酌むの計を得んことを思い、厳求に問う。求曰く、「繩すに煩わすこと無し、絶ち易きのみ。請う、泰興・海塩の諸県に敕して、彩鷹鸇を罷めしめば、令せずして止む可し」と。烈祖は其の計に従い、期月の間、禁校は復た墟落に遊ぶ者無し。
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『智囊』經務・虞允文・韋孝寬・李崇先に是れ、浙の民は歳ごとに丁銭の絹紬を輸し、民子を生めば即ち之を棄て、稍や長ずれば即ち之を殺す。虞公允文は之を聞きて惻然とし、訪い知るに、江渚に荻場の利甚だ溥きもの有るも、世家及び浮屠の私する所と為れり。公は有司をして其の数を籍して以て聞せしめ、請うて以て民の身丁銭の輸に代えんとす。符下る日、民は歓呼鼓舞し、始めて父子生聚の楽しみ有るを知る。韋孝寛は雍州刺史と為る。先に是れ、路側に一里ごとに一土堠を置くも、雨を経れば輒ち毀る。孝寛は州に臨み、部内の堠に当たる処に但だ槐樹を植えしめ、既に修復を免れ、又旅行に便なり。宇文泰は後に之を見て、歎じて曰く、「豈に一州のみ爾るを得んや」と。是に於いて諸州をして皆里を計りて樹を種えしむ。魏の李崇は兗州刺史と為る。兗は旧より劫盗多く、崇は村ごとに一楼を置かしめ、楼には皆鼓を懸く。盗発するの処は、乱れ擊ち、旁村の始めて聞く者は、一擊を以て節と為し、次は二、次は三、俄頃の間に、声は百里に布き、皆人を発して険を守らしむ。是れに由りて盗は獲られざる無し。〔袁了凡曰く〕「薛季宣は武昌に令たりて、郷ごとに一楼を置き、盗発すれば、鼓を伐ち烽を挙げ、瞬息にして百里に遍く、事は李崇と合う。乱世に盗を弭むるの法は、此れより良きは莫し。独り宋の向子韶は呉江県に知たりて、太守孫公杰は每保に一鼓楼を置き、保丁五人もて以て巡警に備え、盗発すれば則ち鼓を鳴らして相聞かしめんとせしに、子韶は執りて不可とし、曰く、『闘争は此より始まらん』と。是れも亦た一見なり。大抵は機に相いて法を設くるは、其の人の方略の何如を顧みるのみ。唯だ刑を明らかにし、賦を薄くし、民を裕かにするは、盗を弭むるの本なり。
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『智囊』得情・孫寶・李惠・游顯沿孫宝、京兆尹と為る。饊を売る者有り、今の餅なり。都市に於いて一村民と相逢い、擊ちて落とし皆砕く。村民は五十枚を賠するを認め、売る者は三百枚と堅く称して、以て証する無し。公、別に一枚を買いて之を称らしめ、乃ち砕けたる者を都べて秤り、細かに分両を拆かしむれば、売る者乃ち服す。魏の李恵、雍州刺史と為る。薪を負う者、塩を負う者有り、同じく擔を弛めて樹陰に憩う。将に行かんとして、一つの羊皮を争い、各おの背に藉く物と言う。恵曰く、「此れ甚だ弁じ易し」と。乃ち羊皮を席上に置かしめ、杖を以て之を擊てば、塩屑出ず。薪を負う者乃ち罪に服す。江浙省の游平章顕沿は、政を為すこと清明なり。城中の銀店に一つの蒲団を失う者有り、後に隣家に於いて認め得たるも、隣は服せず、争い詈りて置かず。遊、馬を行らせて至り、其の故を問い、歎じて曰く、「一蒲団の直は幾何ぞ、二家の好みを失う。蒲団を杖つこと七十、棄てて可なり」と。杖つに及びて銀星を得たり。遂に其の隣を罪す。
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