智囊 / 通簡・吳履・葉南岩
葉公南岩刺蒲時,有群哄者訴於州。一人流血被面,經重創,胸幾裂,命且盡。公見之惻然,時家有刀瘡藥,公即起入內,自搗藥,令舁至幕廨,委一謹厚廨子及幕官,曰:「宜善視之,勿令傷風。此人死,汝輩責也。」其家人不令前。乃略加審核,收仇家於獄而釋其餘。一友人問其故,公曰:「凡人爭鬥無好氣,此人不即救,死矣。此人死,即償命一人,寡人之妻,孤人之子,又干證連係,不止一人破家;此人愈,特一斗毆罪耳。且人情慾訟勝,雖於骨肉,亦甘心焉。吾所以不令其家人相近也。」未幾,傷者平而訟遂息。〔馮述評〕略加調停,遂保全數千人、數千家,豈非大智?
新字:葉公南岩刺蒲時,有群哄者訴於州。一人流血被面,経重創,胸幾裂,命且尽。公見之惻然,時家有刀瘡薬,公即起入内,自搗薬,令舁至幕廨,委一謹厚廨子及幕官,曰:「宜善視之,勿令傷風。此人死,汝輩責也。」其家人不令前。乃略加審核,収仇家於獄而釈其余。一友人問其故,公曰:「凡人争鬥無好気,此人不即救,死矣。此人死,即償命一人,寡人之妻,孤人之子,又干証連係,不止一人破家;此人愈,特一斗殴罪耳。且人情慾訟勝,雖於骨肉,亦甘心焉。吾所以不令其家人相近也。」未幾,傷者平而訟遂息。〔馮述評〕略加調停,遂保全数千人、数千家,豈非大智?
書き下し
葉公南岩は蒲に刺たりし時、群哄する者の州に訴うる有り。一人は血面に流れ、重創を経て、胸は幾んど裂け、命は且に尽きんとす。公は之を見て惻然とし、時に家に刀瘡の薬有り、公は即ち起ちて内に入り、自ら薬を搗き、舁きて幕廨に至らしめ、一人の謹厚なる廨子及び幕官に委ねて曰く、「宜しく善く之を視、風に傷つかしむる勿れ。此の人死せば、汝輩の責なり」と。其の家人は前むを令せず。乃ち略ぼ審核を加え、仇家を獄に収めて其の余を釈す。一友人は其の故を問う。公曰く、「凡そ人の争闘するや、好気無し。此の人即ち救わざれば、死せん。此の人死せば、即ち一人を償命せしめ、人の妻を寡にし、人の子を孤にし、又た干証連係して、一人の破家に止まらず。此の人愈ゆれば、特だ一の斗毆の罪のみ。且つ人情は訟に勝たんと欲し、骨肉に於いても亦た甘心す。吾が家人をして相い近づかしめざる所以なり」と。未だ幾ばくならずして傷者は平らぎ、訟は遂に息む。〔馮述評〕略ぼ調停を加え、遂に数千人、数千家を保全す。豈に大智に非ずや。
現代語訳
葉南岩公が蒲州の知事であったとき、集団で乱闘した者たちが州に訴え出た。一人は顔に血を流し、重傷を負い、胸は裂けんばかりで、命が尽きようとしていた。公はそれを見て痛ましく思った。ちょうど家に刀傷の薬があったので、公はすぐに立って奥に入り、自分で薬をついて、担がせて幕府の官舎に運ばせ、実直な官舎の者と幕僚に託して言った。「よく面倒を見て、風に当てて傷つけてはならない。この人が死ねば、お前たちの責任だ」。その家族は近づくことを許さなかった。そしてあらましの審理を行い、仇敵の側を牢に収め、その他は釈放した。ある友人がその理由を尋ねた。公は言った。「人が争って戦うときは、まともな気分ではない。この人を直ちに救わなければ死ぬ。この人が死ねば、一人の命で償わせることになり、他人の妻を寡婦にし、他人の子を孤児にする。そのうえ証人や関係者も巻き込み、一人が家を破るにとどまらない。この人が治れば、ただの喧嘩の罪にすぎない。また、人情として訴訟に勝ちたいと思えば、肉親であっても平気で争う。だから、家族を近づけさせなかったのだ」。ほどなくして傷者は回復し、訴訟はそれきり収まった。〔馮夢龍の評〕あらかたの調停を加えただけで、数千人、数千の家を保全した。これが大きな智恵でなくて何であろうか。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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