智囊 / 通簡・張遼
張遼受曹公命屯長社。臨發,軍中有謀反者,夜驚亂火起,一軍盡擾。遼謂左右曰:「勿動!是不一營盡反,必有造變者,欲以動亂人耳。」乃令軍中曰:「不反者安坐。」遼將親兵數十人中陣而立,有頃,即得首謀者,殺之。〔馮述評〕周亞夫將兵討七國,軍中嘗夜驚。亞夫堅臥不起,頃之自定。吳漢為大司馬,嘗有寇夜攻漢營,軍中驚擾,漢堅臥不動,軍中聞漢不動,皆還按部,漢乃選精兵夜擊,大破之。此皆以靜制動之術,然非紀律素嚴,雖欲不動,不可得也。
新字:張遼受曹公命屯長社。臨発,軍中有謀反者,夜驚乱火起,一軍尽擾。遼謂左右曰:「勿動!是不一営尽反,必有造変者,欲以動乱人耳。」乃令軍中曰:「不反者安坐。」遼将親兵数十人中陣而立,有頃,即得首謀者,殺之。〔馮述評〕周亜夫将兵討七国,軍中嘗夜驚。亜夫堅臥不起,頃之自定。呉漢為大司馬,嘗有寇夜攻漢営,軍中驚擾,漢堅臥不動,軍中聞漢不動,皆還按部,漢乃選精兵夜撃,大破之。此皆以静制動之術,然非紀律素厳,雖欲不動,不可得也。
書き下し
張遼は曹公の命を受けて長社に屯す。発するに臨み、軍中に謀反する者有り、夜驚乱して火起こり、一軍尽く擾る。遼は左右に謂いて曰く、「動く勿れ。是れ一営尽く反するに非ず、必ず変を造す者有りて、人を動乱せしめんと欲するのみ」と。乃ち軍中に令して曰く、「反せざる者は安坐せよ」と。遼は親兵数十人を将いて陣の中に立つ。有頃にして、即ち首謀者を得て之を殺す。〔馮述評〕周亜夫は兵を将いて七国を討つに、軍中嘗て夜驚す。亜夫は堅臥して起きず、頃之にして自ら定まる。呉漢は大司馬と為り、嘗て寇の夜に漢の営を攻むる有り、軍中驚擾す。漢は堅臥して動かず、軍中は漢の動かざるを聞き、皆な還りて部を按ず。漢は乃ち精兵を選び夜に擊ち、大いに之を破る。此れ皆な静を以て動を制するの術なり。然れども紀律素より厳なるに非ざれば、動かざらんと欲すと雖も、得べからず。
現代語訳
張遼は曹操の命を受けて長社に駐屯した。出発に臨んで、軍中に謀反を起こす者がおり、夜に騒ぎが起こって火の手が上がり、全軍が混乱した。遼は側近に言った。「動くな。これは陣営全体が反乱したのではない。必ず変事を作り出す者がいて、人心を動揺させようとしているだけだ」。そこで軍中に命令した。「反乱していない者は安座せよ」。遼は親衛兵数十人を率いて陣の中央に立った。しばらくして、首謀者を捕らえて殺した。〔馮夢龍の評〕周亜夫は兵を率いて七国を討ったとき、軍中が夜に驚き騒いだことがあった。亜夫は堅く横になって起きず、しばらくして自然に落ち着いた。呉漢は大司馬のとき、賊が夜に漢の陣営を攻め、軍中が驚き混乱したことがあった。漢は堅く横になって動かず、軍中は漢が動かないと聞いて、みな持ち場に戻った。漢はそこで精兵を選んで夜に攻撃し、大いに賊を破った。これらはみな静をもって動を制する術である。だが規律が日頃から厳しくなければ、動かないでいようとしても、できるものではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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老子・第72章民、威を畏れざれば、則ち大威至る。其の居る所を狎れしむること無く、其の生くる所を厭わしむること無かれ。夫れ唯だ厭わず、是を以て厭われず。是を以て聖人は自ら知りて自ら見わさず、自ら愛して自ら貴ばず。故に彼を去りて此を取る。
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史記 孝景本紀三月丁酉、天下に赦し、爵一級を賜ひ、中二千石・諸侯の相に爵右庶長を賜ふ。四月、大いに酺す。五月丙戌、地動く、其の蚤食の時復た動く。上庸地動くこと二十二日、城垣を壊す。七月乙巳、日食す。丞相劉舎免ぜらる。八月壬辰、御史大夫綰を以て丞相と為し、建陵侯に封ず。後二年正月、地一日に三たび動く。郅将軍匈奴を撃つ。酺すること五日。内史の郡をして馬に粟を食ましむるを得ず、県官に没入せしむ。徒隷をして七緵の布を衣しむ。馬舂を止む。歳の登らざるが為に、天下の歳を造らざるに食するを禁ず。列侯を省きて之を国に遣る。三月、匈奴雁門に入る。十月、長陵の田を租す。大いに旱す。衡山国・河東・雲中郡の民疫す。後三年十月、日月皆(食)赤きこと五日。十二月晦、雷あり。日紫の如し。五星逆行して太微を守る。月天廷の中を貫く。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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史記 春申君列伝春申君相たること二十五年、楚の考烈王病む。朱英、春申君に謂ひて曰く、「世に毋望の福有り、また毋望の禍有り。今、君は毋望の世に処り、毋望の主に事ふ、安んぞ以て毋望の人無かるべけんや」と。春申君曰く、「何をか毋望の福と謂ふ」と。曰く、「君楚に相たること二十余年、名は相国と雖も、実は楚王なり。今、楚王病み、旦暮に且に卒せんとす、而して君は少主に相たらん。因りて代はり立ちて国に当たること、伊尹・周公の如くし、王長じて政を反さん。即ち遂に南面して孤と称して楚国を有たざらんや。此れ所謂毋望の福なり」と。春申君曰く、「何をか毋望の禍と謂ふ」と。曰く、「李園は国を治めずして君の仇なり、兵を為さずして死士を養ふの日久し。楚王卒せば、李園必ず先に入りて権に拠りて君を殺して以て口を滅せん。此れ所謂毋望の禍なり」と。春申君曰く、「何をか毋望の人と謂ふ」と。対へて曰く、「君、臣を郎中に置け。楚王卒せば、李園必ず先に入らん、臣君の為に李園を殺さん。此れ所謂毋望の人なり」と。春申君曰く、「足下これを置け。李園は弱人なり、仆またこれを善くす、且つまた何ぞ此に至らん」と。朱英、言の用ひられざるを知り、禍の身に及ばんことを恐れ、乃ち亡げ去る。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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『春秋左氏伝』隠公五年 不虞に備えざれば四月、鄭人衛の牧を侵し、以って東門の役に報ゆ。衛人燕の師を以って鄭を伐つ。鄭の祭足・原繁・洩駕、三軍を以って其の前に軍し、曼伯と子元とをして潛軍もて其の後に軍せしむ。燕人鄭の三軍を畏れて制人を虞らず。六月、鄭の二公子制人を以って燕の師を北制に敗る。君子曰く、「虞らざるに備へずんば、以って師す可からず」と。曲沃王に叛く。秋、王虢公に命じて曲沃を伐ちて、哀侯を翼に立てしむ。衛の亂るるや、郕人衛を侵す、故に衛の師郕に入る。九月、仲子の宮を考し、將に萬せんとす。公羽數を眾仲に問ふ。對へて曰く、「天子は八を用ゐ、諸侯は六、大夫は四、士は二。夫れ舞は、八音を節して、八風を行ふ所以なり、故に八より以下す」と。公之に從ふ。是に于いて初めて六羽を獻じ、始めて六佾を用ゐるなり。宋人邾の田を取る。邾人鄭に告げて曰く、「請ふ君憾みを宋に釋け、敝邑道を為さん」と。鄭人王の師を以って之に會す。宋を伐ちて、其の郛に入り、以って東門の役に報ゆ。宋人來りて命を告げしむ。公其の郛に入るを聞き、將に之を救はんとす。使者に問ひて曰く、「師何くにか及ぶ」と。對へて曰く、「未だ國に及ばず」と。公怒り、乃ち止む。使者に辭して曰く、「君寡人に命じて社稷の難を同じく恤へしむ。今諸を使者に問ふに、『師未だ國に及ばず』と曰ふ。寡人の敢へて知る所に非ざるなり」と。冬、十二月辛巳、臧僖伯卒す。公曰く、「叔父寡人に憾み有り、寡人敢へて忘れず」と。之を葬るに一等を加ふ。宋人鄭を伐ち、長葛を圍み、以って郛に入るの役に報ゆるなり。
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