史記 / 孝景本紀
三月丁酉,赦天下,賜爵一級,中二千石、諸侯相爵右庶長。四月,大酺。五月丙戌,地動,其蚤食時復動。上庸地動二十二日,壞城垣。七月乙巳,日食。丞相劉舍免。八月壬辰,以御史大夫綰為丞相,封建陵侯。後二年正月,地一日三動。郅將軍擊匈奴。酺五日。令內史郡不得食馬粟,沒入縣官。令徒隸衣七緵布。止馬舂。為歲不登,禁天下食不造歲。省列侯遣之國。三月,匈奴入雁門。十月,租長陵田。大旱。衡山國、河東、雲中郡民疫。後三年十月,日月皆赤五日。十二月晦,雷。日如紫。五星逆行守太微。月貫天廷中。
新字:三月丁酉,赦天下,賜爵一級,中二千石、諸侯相爵右庶長。四月,大酺。五月丙戌,地動,其蚤食時復動。上庸地動二十二日,壊城垣。七月乙巳,日食。丞相劉舎免。八月壬辰,以御史大夫綰為丞相,封建陵侯。後二年正月,地一日三動。郅将軍撃匈奴。酺五日。令内史郡不得食馬粟,没入県官。令徒隸衣七緵布。止馬舂。為歳不登,禁天下食不造歳。省列侯遣之国。三月,匈奴入雁門。十月,租長陵田。大旱。衡山国、河東、雲中郡民疫。後三年十月,日月皆赤五日。十二月晦,雷。日如紫。五星逆行守太微。月貫天廷中。
書き下し
三月丁酉、天下に赦し、爵一級を賜ひ、中二千石・諸侯の相に爵右庶長を賜ふ。四月、大いに酺す。五月丙戌、地動く、其の蚤食の時復た動く。上庸地動くこと二十二日、城垣を壊す。七月乙巳、日食す。丞相劉舎免ぜらる。八月壬辰、御史大夫綰を以て丞相と為し、建陵侯に封ず。後二年正月、地一日に三たび動く。郅将軍匈奴を撃つ。酺すること五日。内史の郡をして馬に粟を食ましむるを得ず、県官に没入せしむ。徒隷をして七緵の布を衣しむ。馬舂を止む。歳の登らざるが為に、天下の歳を造らざるに食するを禁ず。列侯を省きて之を国に遣る。三月、匈奴雁門に入る。十月、長陵の田を租す。大いに旱す。衡山国・河東・雲中郡の民疫す。後三年十月、日月皆(食)赤きこと五日。十二月晦、雷あり。日紫の如し。五星逆行して太微を守る。月天廷の中を貫く。
現代語訳
三月丁酉の日、天下に大赦を行い、爵位を一級与え、中二千石の高官と諸侯国の相には右庶長の爵位を与えた。四月、盛大な酒宴を許した。五月丙戌の日に地震があり、朝食の頃に再び揺れた。上庸では地震が二十二日も続き、城壁が壊れた。七月乙巳の日に日食があった。丞相劉舎が免職となった。八月壬辰の日、御史大夫の衛綰を丞相とし、建陵侯に封じた。後二年(前142年)正月、一日に三度地震があった。郅将軍(郅都)が匈奴を攻撃した。五日間の酒宴を許した。内史の管轄地域や郡では馬に穀物を食べさせてはならないとし、違反すれば官に没収させた。囚人には粗い七緵(しちそう)の布の服を着せた。馬を使った穀物の脱穀をやめさせた。凶作のため、天下の民がその年の収穫を待たずに食べ尽くすことを禁じた。都にいる列侯を減らして、自分の国に帰らせた。三月、匈奴が雁門に侵入した。十月、長陵の田を貸し出して租税を取った。大ひでりがあった。衡山国・河東郡・雲中郡の民に疫病が流行した。後三年(前141年)十月、太陽と月が五日間ともに赤くなった。十二月の晦日に雷が鳴った。太陽が紫色のようになった。五つの惑星が逆行して太微(天帝の宮廷とされる星域)にとどまった。月が天廷(星域の名)の中を貫いた。
解説
関連する章句
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史記 孝景本紀孝景皇帝は、孝文の中子なり。母は竇太后なり。孝文代に在りし時、前后に三男有り、竇太后幸を得るに及び、前后死し、三子更々死するに及び、故に孝景立つを得たり。元年四月乙卯、天下に赦す。乙巳、民に爵一級を賜ふ。五月、田の半租を除き、孝文の為に太宗の廟を立つ。群臣をして朝賀する無からしむ。匈奴代に入る、与に約して和親す。二年春、故の相国蕭何の孫系を封じて武陵侯と為す。男子二十にして傅することを得。四月壬午、孝文太后崩ず。広川・長沙王皆国に之く。丞相申屠嘉卒す。八月、御史大夫開封の陶青を以て丞相と為す。彗星東北に出づ。秋、衡山雹を雨らす、大なる者五寸、深き者二尺。熒惑逆行し、北辰を守る。月北辰の間に出づ。歳星天廷の中に逆行す。南陵及び内史・祋祤を置きて県と為す。三年正月乙巳、天下に赦す。長星西方に出づ。天火雒陽の東宮の大殿城室を燔く。呉王濞・楚王戊・趙王遂・膠西王卬・済南王辟光・菑川王賢・膠東王雄渠反し、兵を発して西に郷ふ。天子為に晁錯を誅し、袁盎を遣はして諭告せしむ、止まず、遂に西のかた梁を囲む。上乃ち大将軍竇嬰・太尉周亜夫を遣はして兵を将ゐて之を誅せしむ。六月乙亥、亡軍及び楚の元王の子芸等の謀反に与る者を赦す。大将軍竇嬰を封じて魏其侯と為す。楚の元王の子平陸侯礼を立てて楚王と為す。皇子端を立てて膠西王と為し、子勝を中山王と為す。済北王志を徙して菑川王と為し、淮陽王余を魯王と為し、汝南王非を江都王と為す。斉王将廬・燕王嘉皆薨ず。四年夏、太子を立つ。皇子徹を立てて膠東王と為す。六月甲戌、天下に赦す。
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史記 孝景本紀四月乙巳、膠東王の太后を立てて皇后と為す。丁巳、膠東王を立てて太子と為す。名は徹。中元年、故の御史大夫周苛の孫平を封じて縄侯と為し、故の御史大夫周昌の(子)[孫]左車を安陽侯と為す。四月乙巳、天下に赦し、爵一級を賜ふ。禁錮を除く。地動く。衡山・原都雹を雨らす、大なる者尺八寸。中二年二月、匈奴燕に入り、遂に和親せず。三月、臨江王を召して来らしむ。即ち中尉府中に死す。夏、皇子越を立てて広川王と為し、子寄を膠東王と為す。四侯を封ず。九月甲戌、日食す。中三年冬、諸侯の御史中丞を罷む。春、匈奴の王二人其の徒を率ゐて来降す、皆封じて列侯と為す。中四年三月、徳陽宮を置く。大いに蝗あり。秋、徒の陽陵を作る者を赦す。中五年夏、皇子舜を立てて常山王と為す。十侯を封ず。六月丁巳、天下に赦し、爵一級を賜ふ。天下大いに潦す。更めて諸侯の丞相を命じて相と曰ふ。秋、地動く。中六年二月己卯、行きて雍に幸し、郊して五帝に見ゆ。三月、雹を雨らす。四月、梁の孝王・城陽の共王・汝南王皆薨ず。梁の孝王の子明を立てて済川王と為し、子彭離を済東王と為し、子定を山陽王と為し、子不識を済陰王と為す。梁分かれて五と為る。四侯を封ず。更めて廷尉を命じて大理と為し、将作少府を将作大匠と為し、主爵中尉を都尉と為し、長信詹事を長信少府と為し、将行を大長秋と為し、大行を行人と為し、奉常を太常と為し、典客を大行と為し、治粟内史を大農と為す。大内を以て二千石と為し、左右の内官を置き、大内に属せしむ。七月辛亥、日食す。八月、匈奴上郡に入る。後元年冬、更めて中大夫令を命じて衛尉と為す。
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史記 孝文本紀民或いは上を祝詛して以て相約結して後に相謾(あざむ)く、吏以て大逆と為し、其れ他言有れば、而して吏又以て誹謗と為す。此れ細民の愚にして知る無くして死に抵(いた)る、朕甚だ取らず。今より以来、此を犯す者有るも聴治する勿かれ。」と。九月、初めて郡国の守相と銅虎符・竹使符を為る。三年十月丁酉晦、日之を食する有り。十一月、上曰く、「前日(計)[詔]して列侯を遣はして国に之かしむ、或いは辞して未だ行かず。丞相は朕の重んずる所なり、其れ朕の為に列侯を率ゐて国に之け。」と。絳侯勃丞相を免ぜられて国に就く、太尉潁陰侯嬰を以て丞相と為す。太尉の官を罷め、丞相に属せしむ。四月、城陽王章薨ず。淮南王長従者魏敬と辟陽侯審食其を殺す。五月、匈奴北地に入り、河南に居りて寇を為す。帝初めて甘泉に幸す。六月、帝曰く、「漢匈奴と約して昆弟と為り、辺境を害せしむる毋し、匈奴に輸遺する所以甚だ厚し。今右賢王其の国を離れ、衆を将ゐて河南の降地に居る、常の故に非ず、塞に往来して近づき、吏卒を捕殺し、保塞の蛮夷を駆り、其の故に居るを得ざらしめ、辺吏を陵轢し、入りて盗む、甚だ敖(おご)りて無道なり、約に非ざるなり。其れ辺吏の騎八万五千を発して高奴に詣らしめ、丞相潁陰侯灌嬰を遣はして匈奴を撃たしめよ。」と。匈奴去る、中尉の材官を発して衛将軍に属せしめて長安に軍せしむ。辛卯、帝甘泉より高奴に之き、因りて太原に幸し、故の群臣に見えて、皆之に賜ふ。功を挙げ賞を行ひ、諸民の里に牛酒を賜ふ。晋陽・中都の民を復すること三歳。留まりて太原に游ぶこと十余日。済北王興居帝の代に之き、往きて胡を撃たんと欲すと聞き、乃ち反し、兵を発して滎陽を襲はんと欲す。是に於て詔して丞相の兵を罷め、棘蒲侯陳武を遣はして大将軍と為し、十万を将ゐて往きて之を撃たしむ。祁侯賀を将軍と為し、滎陽に軍せしむ。七月辛亥、帝太原より長安に至る。
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史記 孝文本紀上曰く、「列侯の高帝に従ひて蜀・漢中に入りし者六十八人皆封を益すこと各々三百戸、故の吏二千石以上の高帝に従ひし潁川の守尊等十人には食邑六百戸、淮陽の守申徒嘉等十人には五百戸、衛尉定等十人には四百戸。淮南王の舅父趙兼を封じて周陽侯と為し、斉王の舅父駟鈞を清郭侯と為す。」と。秋、故の常山の丞相蔡兼を封じて樊侯と為す。人或いは右丞相に説きて曰く、「君本諸呂を誅し、代王を迎ふ、今又其の功を矜り、上賞を受け、尊位に処る、禍且に身に及ばんとす。」と。右丞相勃乃ち病を謝して免じ罷む、左丞相平専ら丞相と為る。二年十月、丞相平卒す、復た絳侯勃を以て丞相と為す。上曰く、「朕聞く古者諸侯国を建つること千余(歳)、各々其の地を守り、時を以て入貢し、民労苦せず、上下驩欣し、遺徳有る靡しと。今列侯多く長安に居り、邑遠く、吏卒の給輸費苦しみ、而して列侯も亦其の民を教馴するに由無し。其れ列侯をして国に之かしめ、吏と為り及び詔して止むる所の者は、太子を遣はせ。」と。十一月晦、日之を食する有り。十二月望、日又食す。上曰く、「朕之を聞く、天蒸民を生じ、之が為に君を置きて以て之を養治せしむ。人主不徳にして、政を布くこと均しからずんば、則ち天之に示すに菑(わざはひ)を以てし、以て治まらざるを誡むと。乃ち十一月晦、日之を食する有り、適(せ)めて天に見はる、菑孰れか焉より大ならん。朕宗廟を保つことを獲、微眇の身を以て兆民君王の上に託す、天下の治乱は、朕一人に在り、唯だ二三の執政は猶ほ吾が股肱のごときなり。朕下は群生を理育する能はず、上は以て三光の明を累す、其の不徳大なり。令至らば、其れ悉く朕の過失、及び知見思の及ばざる所を思ひて、匄(こ)ひて以て朕に告げよ。及び賢良方正にして能く直言極諫する者を挙げて、以て朕の逮ばざるを匡せ。
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史記 孝景本紀後三年正月、孝景皇帝崩ず。遺詔して諸侯王より以下民の父後為るに至るまで爵一級を賜ひ、天下戸ごとに百銭。宮人を出だして其の家に帰らしめ、復して与る所無からしむ。
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史記 孝景本紀梁・楚の二王皆薨ず。後九月、馳道の樹を伐り、蘭池に殖う。七年冬、栗太子を廃して臨江王と為す。(一)十(二)[一]月晦、日之を食する有り。春、徒隷の陽陵を作る者を免ず。丞相青免ぜらる。二月乙巳、太尉条侯周亜夫を以て丞相と為す。
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