智囊 / 通簡・劉舜卿・李允則
元豐間,劉舜卿知雄州,虜夜竊其關鎖去,吏密以聞。舜卿不問,但使易其門鍵,大之。後數日,虜諜送盜者,並以鎖至。舜卿曰:「吾未嘗亡鎖。」命加於門,則大數分,並盜還之。虜大慚沮,盜反得罪。民有訴為契丹民毆傷而遁者,李允則不治,但與傷者錢二千。逾月,幽州以其事來請,答曰:「無有也。」蓋他諜欲以毆人為質驗,既無有,乃殺諜。
新字:元豊間,劉舜卿知雄州,虜夜窃其関鎖去,吏密以聞。舜卿不問,但使易其門鍵,大之。後数日,虜諜送盗者,並以鎖至。舜卿曰:「吾未嘗亡鎖。」命加於門,則大数分,並盗還之。虜大慚沮,盗反得罪。民有訴為契丹民殴傷而遁者,李允則不治,但与傷者銭二千。逾月,幽州以其事来請,答曰:「無有也。」蓋他諜欲以殴人為質験,既無有,乃殺諜。
書き下し
元豊の間、劉舜卿は雄州に知たり。虜は夜にその関鎖を竊みて去る。吏は密かに以て聞す。舜卿は問わず、但だ其の門鍵を易えしめ、之を大にす。後数日、虜の諜は盗者を送り、並びに鎖を以て至る。舜卿曰く、「吾れ未だ嘗て鎖を亡わず」と。命じて門に加えしむるに、則ち大なること数分、並びに盗を還す。虜は大いに慙沮し、盗は反って罪を得たり。民に訴うる有り、契丹の民に毆傷せられて遁ぐと。李允則は治めず、但だ傷者に銭二千を与う。月を逾えて、幽州は其の事を以て来り請う。答えて曰く、「有ること無し」と。蓋し他の諜が毆人を以て質験と為さんと欲せしも、既に有ること無ければ、乃ち諜を殺す。
現代語訳
元豊年間、劉舜卿は雄州の知事であった。ある夜、敵が城門の錠前を盗んで去った。役人はひそかに報告した。舜卿は追及せず、ただ門の錠前を取り替えさせ、前より大きなものにした。数日後、敵の間者が盗人を送ってきて、錠前も一緒に持ってきた。舜卿は「私はこれまで錠前をなくしたことはない」と言った。門に取りつけさせてみると、数分ほど大きく、合わなかったので、錠前とともに盗人を返した。敵は大いに恥じて意気阻喪し、盗人は逆に罰を受けた。ある民が訴えた。契丹の民に殴られてけがをして逃げてきたというのである。李允則は審理せず、ただ傷ついた者に銭二千を与えた。ひと月以上たって、幽州から使者がこの件で照会に来た。「そのようなことはない」と答えた。おそらく別の間者が、殴った事実を証拠にしようとしたが、事実がないと言われたため、間者を殺したのであろう。
解説
この章句が説くこと
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