智囊 / 通簡・郭緒
又旬日,至孟瀨,去金沙江僅一舍,公遣官持檄過江,諭以朝廷招來之意。夷人相顧驚曰:「中國官亦到此乎?」即發夷兵率象馬數萬,夜過江,抵君所,長槊勁弩,環之數重,有譯者泣報曰:「賊刻日且焚殺矣。」公叱曰:「爾敢為間耶?」因拔劍指曰:「來日渡江,敢復言者,斬!」疊既見檄,諭禍福明甚,又聞公志決,即遣酋長數輩來受令,及餽土物,公悉卻去,邀思疊面語。先敘其勞,次伸其冤,然後責其叛,聞者皆俯伏泣下,請歸侵地,公許之。皆稽首稱萬壽,歡聲動地。公因詰盧參將先所遣人,出以歸公。盧得公報,馳至,則已撤兵歸地矣。〔馮述評〕才如郭緒,不負倪公任使。然是役紀錄,止晉一階。而緬功、羅防功,橫殺無辜,輒得封蔭。嗚呼!事至季世,不唯立功者難,雖善論功者亦難矣!
新字:又旬日,至孟瀨,去金沙江僅一舎,公遣官持檄過江,諭以朝廷招来之意。夷人相顧驚曰:「中国官亦到此乎?」即発夷兵率象馬数万,夜過江,抵君所,長槊勁弩,環之数重,有訳者泣報曰:「賊刻日且焚殺矣。」公叱曰:「爾敢為間耶?」因抜剣指曰:「来日渡江,敢復言者,斬!」畳既見檄,諭禍福明甚,又聞公志決,即遣酋長数輩来受令,及餽土物,公悉却去,邀思畳面語。先敘其労,次伸其冤,然後責其叛,聞者皆俯伏泣下,請帰侵地,公許之。皆稽首称万寿,歓声動地。公因詰盧参将先所遣人,出以帰公。盧得公報,馳至,則已撤兵帰地矣。〔馮述評〕才如郭緒,不負倪公任使。然是役紀録,止晋一階。而緬功、羅防功,横殺無辜,輒得封蔭。嗚呼!事至季世,不唯立功者難,雖善論功者亦難矣!
書き下し
又た旬日にして孟瀨に至る。金沙江を去ること僅かに一舎なり。公は官を遣わして檄を持して江を過ぎらしめ、諭すに朝廷招来の意を以てす。夷人は相い顧みて驚きて曰く、「中国の官も亦た此に到るか」と。即ち夷兵の象馬数万を率いて発し、夜に江を過ぎて君が所に抵り、長槊勁弩にて之を環ること数重なり。訳者の泣きて報ずる有りて曰く、「賊は日を刻して且に焚殺せんとす」と。公は叱して曰く、「爾は敢えて間をなすか」と。因りて剣を抜きて指して曰く、「来日江を渡るに、敢えて復た言う者は斬らん」と。畳は既に檄を見、禍福を諭すこと明甚にして、又た公の志の決せるを聞き、即ち酋長数輩を遣わして来りて令を受けしめ、及び土物を餽るも、公は悉く卻けて去らしめ、思畳に邀えて面語す。先ず其の労を叙べ、次いで其の冤を伸べ、然る後に其の叛を責む。聞く者は皆な俯伏して泣下り、侵地を帰さんことを請い、公は之を許す。皆な稽首して万寿を称し、歓声地を動かす。公は因りて盧参将の先に遣わす所の人を詰し、出だして以て公に帰せしむ。盧は公の報を得て馳せ至るに、則ち已に兵を撤し地を帰したり。〔馮述評〕才の郭緒の如きは、倪公の任使に負かず。然るに是の役の紀録は、止だ一階に晋むのみ。而るに緬功、羅防功は、無辜を横殺して、輒ち封蔭を得たり。嗚呼、事季世に至れば、唯に功を立つる者の難きのみならず、善く功を論ずる者も亦た難し。
現代語訳
さらに十日ほどで孟瀨に着いた。金沙江まではわずか一日の行程である。公は部下の官吏に檄文を持たせて江を渡らせ、朝廷が招き入れようとしている意向を伝えさせた。夷人たちは顔を見合わせて驚き、「中国の役人もここまで来るのか」と言った。そこで夷兵の象や馬数万を率いて夜に江を渡り、公の陣所に至って、長い槍と強い弩で幾重にも取り囲んだ。通訳が泣きながら「賊は日を決めて焼き殺そうとしています」と報告した。公は叱りつけて言った。「お前は間者のつもりか」。そして剣を抜いて指し示し、「明日、江を渡る、と二度と口にする者は斬る」と言った。思畳は檄文を見て、禍福の道理が実に明らかに説かれており、さらに公の決意が固いことも聞いたので、すぐ酋長数人を遣わして命令を受けさせ、土地の産物を贈ってきたが、公はすべて退けて持ち帰らせ、思畳を迎えて直接語り合った。まず彼の労をねぎらい、次にその冤を述べ、その後で叛いたことを責めた。聞いていた者はみな伏して涙を流し、侵した土地を返すと願い、公はそれを許した。みな額づいて万歳を唱え、歓声が地を揺るがした。公はさらに、盧参将が先に遣わした人々の消息を問いただし、彼らは解放されて公のもとへ戻された。盧は公の知らせを得て駆けつけたが、すでに兵は撤収し、土地は返されていた。〔馮夢龍の評〕郭緒ほどの才なら、倪公の任用に背かなかったと言える。だがこの役の記録では、ただ一階級進んだだけだった。一方、緬での功や羅防での功は、罪のない者を殺しながら、すぐに封爵や子孫への恩典を得た。ああ、世が末に至れば、功を立てる者が難しいだけでなく、功を正しく評価する者もまた難しい。
解説
この章句が説くこと
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