智囊 / 通簡・吳惠
吳惠為桂林府知府,適義寧洞蠻結湘苗為亂。監司方議徵進,請於朝。惠亟白曰:「義寧吾屬地,請自招撫,不從而徵之未晚。」乃從十餘人,肩輿入洞。洞絕險,山石攢起如劍戟,華人不能置足,傜人則騰跣上下若飛。聞桂林太守到,啟於魁,得入。惠告曰:「吾,若屬父母,欲來相活,無他。」眾唯唯,因反覆陳順逆。其魁感泣,留惠數日,歷觀屯堡形勢。數千人衛出境,宰羊豕境上。惠曰:「善為之,無遺後悔。」數千人皆投刀拜,誓不反。歸報監司,遂罷兵。明年,武岡州盜起,宣言推義寧洞主為帥。監司咸罪惠,惠曰:「郡主撫,監司主徵,蠻夷反覆,吾任其咎。」復遣人至義寧,義寧傜從山頂覘得惠使,具明武岡之冤。監司大慚,武岡盜因不振。義寧人德惠如父母,迄惠在桂林,無敢有騷竊境上者。
新字:呉恵為桂林府知府,適義寧洞蠻結湘苗為乱。監司方議徴進,請於朝。恵亟白曰:「義寧吾属地,請自招撫,不従而徴之未晩。」乃従十余人,肩輿入洞。洞絶険,山石攢起如剣戟,華人不能置足,傜人則騰跣上下若飛。聞桂林太守到,啓於魁,得入。恵告曰:「吾,若属父母,欲来相活,無他。」衆唯唯,因反覆陳順逆。其魁感泣,留恵数日,歴観屯堡形勢。数千人衛出境,宰羊豕境上。恵曰:「善為之,無遺後悔。」数千人皆投刀拝,誓不反。帰報監司,遂罷兵。明年,武岡州盗起,宣言推義寧洞主為帥。監司咸罪恵,恵曰:「郡主撫,監司主徴,蠻夷反覆,吾任其咎。」復遣人至義寧,義寧傜従山頂覘得恵使,具明武岡之冤。監司大慚,武岡盗因不振。義寧人徳恵如父母,迄恵在桂林,無敢有騷窃境上者。
書き下し
呉恵は桂林府知府と為る。適々義寧の洞蛮、湘苗と結びて乱を為す。監司は方に征進を議し、朝に請う。恵は亟ぎ白して曰く、「義寧は吾が属地なり。請う、自ら招撫せん。従わずして之を征するも未だ晩からず」と。乃ち十余人を従え、肩輿して洞に入る。洞は絶険にして、山石攅起して剣戟の如く、華人は足を置く能わず、傜人は則ち騰跣して上下すること飛ぶが若し。桂林の太守到ると聞き、魁に啓し、入るを得たり。恵は告げて曰く、「吾は若が属の父母なり、来りて相い活かさんと欲す、他無し」と。衆は唯唯たり。因りて順逆を反覆して陳ぶ。其の魁は感泣し、恵を留むること数日、歴く屯堡の形勢を観せしむ。数千人衛りて境を出で、羊豕を境上に宰す。恵曰く、「善く之を為せ、後悔を遺す無かれ」と。数千人は皆な刀を投じて拝し、反せざるを誓う。帰りて監司に報じ、遂に兵を罷む。明年、武岡州に盗起こり、義寧の洞主を推して帥と為すと宣言す。監司は咸な恵を罪す。恵曰く、「郡の主は撫、監司の主は征なり。蛮夷の反覆は、吾れ其の咎を任ぜん」と。復た人を遣わして義寧に至らしむるに、義寧の傜は山頂より恵の使いを覘い得て、具に武岡の冤を明らかにす。監司は大いに慙じ、武岡の盗も因りて振わず。義寧の人は恵を徳として父母の如くし、恵の桂林に在るに迄るまで、敢えて境上に騒窃する者無し。
現代語訳
呉恵は桂林府の知府であった。ちょうどそのころ、義寧の洞の蛮族が湘の苗族と結んで乱を起こした。監司は討伐を論じ、朝廷に願い出ようとしていた。恵は急いで申し上げた。「義寧は私の管轄地です。どうか私自ら招いて鎮めさせてください。従わなければ、その後で討伐しても遅くありません」。そこで十数人を従え、かご輿に乗って洞に入った。洞は極めて険しく、山の岩が剣や戟のように突き立っており、漢人は足を置くこともできないが、傜人は跳ねたり裸足で上り下りしたりして、飛ぶようである。桂林の太守が来たと聞いて、頭目に伝え、入ることを許された。恵は告げた。「私はお前たちの父母のような者だ。来たのはお前たちを生かしたいからで、他意はない」。人々は「はい、はい」と応じた。そこで順逆の道理を繰り返し説いた。頭目は感激して泣き、恵を数日引き止めて、砦の配置をつぶさに見せた。数千人が護衛して境を出て、境で羊や豚をさばいてもてなした。恵は言った。「しっかりやりなさい。後で悔いを残してはならない」。数千人はみな刀を投げ出して拝礼し、二度と叛かないと誓った。帰って監司に報告し、ついに出兵は取りやめになった。翌年、武岡州で盗賊が起こり、義寧の洞主を推して首領にすると言いふらした。監司たちはみな恵を責めた。恵は言った。「郡の守は鎮撫を任とし、監司は征討を任とする。蛮夷が反覆することがあれば、私がその責任を負おう」。再び人を義寧に遣わしたところ、義寧の傜人は山頂から恵の使者を見つけ、武岡の件が濡れ衣であることを詳しく明らかにした。監司は大いに恥じ、武岡の盗賊も勢いを失った。義寧の人々は恵に恩義を感じて父母のように慕い、恵が桂林にいる間は、境で略奪する者は一人もなかった。
解説
この章句が説くこと
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