智囊 / 通簡・張詠
張忠定知益州。民有訴主帥帳下卒恃勢嚇取民財者,其人聞知,縋城夜遁,詠差衙役往捕之,戒曰:「爾生擒得,則渾衣撲入井中,作逃走投井申來。」是時群黨訩訩,聞自投井,故無他說;又免與主帥有不協名。〔馮按〕忠定不以耳目專委於人,而採訪民間事悉得其實。李畋問其旨,公曰:「彼有好惡,亂我聰明,但各於其黨,詢之又詢。詢君子得君子,詢小人得小人。雖有隱匿者,亦十得八九矣!」子猶曰:「張公當是絕世聰明漢!」
新字:張忠定知益州。民有訴主帥帳下卒恃勢嚇取民財者,其人聞知,縋城夜遁,詠差衙役往捕之,戒曰:「爾生擒得,則渾衣撲入井中,作逃走投井申来。」是時群党訩訩,聞自投井,故無他説;又免与主帥有不協名。〔馮按〕忠定不以耳目専委於人,而採訪民間事悉得其実。李畋問其旨,公曰:「彼有好悪,乱我聰明,但各於其党,詢之又詢。詢君子得君子,詢小人得小人。雖有隠匿者,亦十得八九矣!」子猶曰:「張公当是絶世聰明漢!」
書き下し
張忠定は益州に知たり。民に訴うる有り、主帥の帳下の卒、勢いを恃みて民財を嚇し取ると。其の人は聞き知り、城を縋りて夜に遁る。詠は衙役を差して往き捕えしめ、戒めて曰く、「爾が生け擒えれば、則ち渾衣して井中に撲入し、逃走して井に投ずるとして申し来れ」と。是の時、群党は訩訩たり、自ら井に投ずと聞き、故に他の説無し。又た主帥と協わざるの名を免る。〔馮按〕忠定は耳目を人に専ら委ねず、民間の事を採訪して悉く其の実を得たり。李畋が其の旨を問うに、公曰く、「彼には好悪有り、我が聡明を乱す。但だ各おの其の党に於いて、之を詢り又た詢る。君子に詢れば君子を得、小人に詢れば小人を得。隠匿する者有りと雖も、十に八九を得ん」と。子猶曰く、「張公は当に是れ絶世の聡明の漢なるべし」と。
現代語訳
張忠定(張詠)は益州の長官であった。ある民が訴えた。主帥の部下の兵が、権勢を笠に着て民の財を脅し取っているという。その兵は聞きつけて、城壁から縄で下りて夜に逃げた。詠は役人を派遣して捕らえさせ、こう戒めた。「おまえたちが生け捕りにしたら、服を着たまま井戸に投げ込み、逃げて井戸に身を投げたと報告せよ」。このとき兵の仲間は騒いでいたが、自ら井戸に身を投げたと聞いて、他に言うことがなかった。また主帥と不和になったという評判も免れた。〔馮夢龍の注〕忠定は、情報収集を人に任せきりにせず、民間の事情を自ら調べて実情をすべて把握した。李畋がその方法を尋ねると、公は言った。「あの人たちには好き嫌いがあり、私の判断を曇らせる。ただそれぞれの仲間内で、尋ね、さらに尋ねる。君子に尋ねれば君子の答えが、小人に尋ねれば小人の答えが得られる。隠す者がいても、十のうち八九は得られる」。子猶(馮夢龍)は言う。「張公は並外れて聡明な人であったに違いない」。
解説
この章句が説くこと
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