智囊 / 通簡・薛奎
薛簡肅公帥蜀,一日置酒大東門外。城中有戍卒作亂,既而就擒,都監走白公。公命只於擒獲處斬決,民間以為神斷。不然,妄相攀引,旬月間未能了得,非所以安其徒反側之心也。〔馮述評〕稍有意張大其功,便不能如此直捷痛快矣。民有得偽蜀時中書印者,夜以錦囊掛之西門。門者以白,蜀人隨者以萬計,皆恟恟出異語,且觀公所為。公顧主吏藏之,略不取視,民乃止。
新字:薛簡粛公帥蜀,一日置酒大東門外。城中有戍卒作乱,既而就擒,都監走白公。公命只於擒獲処斬決,民間以為神断。不然,妄相攀引,旬月間未能了得,非所以安其徒反側之心也。〔馮述評〕稍有意張大其功,便不能如此直捷痛快矣。民有得偽蜀時中書印者,夜以錦嚢掛之西門。門者以白,蜀人随者以万計,皆恟恟出異語,且観公所為。公顧主吏蔵之,略不取視,民乃止。
書き下し
薛簡粛公は蜀に帥たり、一日、酒を大東門外に置く。城中に戍卒の乱を作す有り、既にして擒わる。都監走りて公に白す。公は命じて只だ擒獲の処に於いて斬決せしむ、民間は以て神断と為す。然らずんば、妄りに相攀引し、旬月の間も了し得る能わず、其の徒の反側の心を安んずる所以に非ず。〔馮述評〕稍しく意に其の功を張大するにあらば、便ち此のごとく直捷痛快なる能わず。民に偽蜀の時の中書印を得る者有り、夜に錦囊を以て之を西門に掛く。門者以て白す。蜀人の随う者は万を以て計え、皆な恟恟として異語を出だし、且つ公の為す所を観る。公は主吏を顧みて之を蔵せしめ、略ぼ取り視ず、民は乃ち止む。
現代語訳
薛簡粛公(薛奎)は蜀の長官で、ある日、大東門の外で酒宴を開いた。城中で戍卒が反乱を起こしたが、すぐに捕らえられた。都監が走って公に報告した。公は命じて、捕らえた場所でただちに斬刑にさせた。民衆は神のような判断と称えた。そうでなければ、むやみに仲間を引き込んで、十日も一月も決着がつかず、その仲間たちの動揺する心を鎮めることにはならなかった。〔馮夢龍の評〕少しでもその功績を大きく見せようという気があれば、こんなに簡潔で痛快にはできない。民の中に、前蜀の時代の中書印を手に入れた者がいて、夜に錦の袋に入れて西門に掛けた。門番が報告した。蜀の人々で従う者は万を数え、皆ざわめいて異様な言葉を発し、公がどうするかを見守った。公は主吏を顧みてそれを収めさせ、ほとんど取り出して見ようともしなかったので、民も事を収めた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』通簡・薛長孺・王鬷薛長孺は漢州の通判たり。戍卒、営門を閉ざし、火を放ち人を殺し、知州、兵馬監押を謀殺せんとす。来りて告ぐる者有るも、知州、監押は皆な敢えて出でず。長孺は身を挺して営を出で、之に諭して曰く、「汝輩は皆な父母妻子有り。何の故に此の事を為す。然れども与り謀らざる者は、各々一辺に在れ」と。是に於いて敢えて動かず、唯だ本謀の者八人のみ門を突きて出で、諸県に散ず。村野に捕獲す。時に謂う、長孺に非ざれば則ち一城の人は塗炭せんと。鈐轄司は敢えて以て聞せず、遂に賞に及ばず。長孺は簡粛公の姪なり。王忠穆公鬷は益州に知たり。会々戍卒に夜に営を焚きて督軍校を為して乱を為す者有り。鬷は潜かに兵を遣わして其の営を環らし、令を下して曰く、「乱せざる者は皆な欠手して門を出でよ。問う所無し」と。是に於いて衆は皆な出づ。軍校をして乱卒を指さしめ、十余人を得て之を戮す。旦に及びて人皆な知らず。其の政を為すや大体にして、苛察を為さず。蜀人は之を愛す。
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『宋名臣言行録』前集巻四・王曙公と薛簡肅公と、俱に嘗て蜀に鎮す。而して皆な名有り。章獻の時、同に執政と為る。一日、事を奏し已わる。因りて蜀事を語る。公曰く、臣、蜀に在りし時、戍卒の反せんとするを告ぐる有り。乃ち執えて營門に之を斬る。遂に事無しと。薛曰く、臣、蜀に在りし時、亦た戍卒の反せんとするを告ぐる者有り。之を叱り出だす。亦た事無しと。
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『智囊』經務・張肖甫復た馬文英、楊廷用を召し、密かに之に謂いて曰く、「向に自ら縛して請いしは汝なるか」と。二魁は死罪を謝す。公曰く、「壮士は故より死を畏れず。然りと雖も、死するに法に名無し。汝は我が為に衆を帥いて乱を捕らえよ。詎ぞ贖を論ぜん、且つ賞せん。即ち不幸にして死すとも、寧ろ義に死せんか」と。二魁も亦た踊躍して命を聴く。公は乃ち徐景星を召して従う所の驍勇を出だして中軍と為し、営兵をして之に次がしめ、郡邑の土団は又た之に次ぎ、部伍を厳しくし、約束を明らかにし、遂に前みて乱民に薄り、連ねて之を敗り、縛すること百五十余人、而して仕卿も与る。公は訊いて其の倡謀を得たり。刃を挟みて金帛を腰にする者は凡そ五十余人、皆な之を斬梟して轅門に置き、余は悉く釈き去らしむ。是に於いて群不逞は皆な散ず。公は此の悍卒の猶お未だ法に伏せざるを念い、之を急にすれば或いは変を生ぜんとし、他事を仮りて之を罪すれば或いは密かに之を掩えば則ち法に非ず、因りて陽に二魁の功を奨め、之に冠帯を予う。営に榜し、復た其の餉を初めの如くし、咸な帖然たり。二魁の自ら縛せし時、衆に要して曰く、「吾は一死を以て若等を蔽わん、姑く我に棺殮を予え、妻子の費を給せよ」と。衆は為に金数百を斂む。既に免れて復た橐に反さず、衆は頗る恨む。又た各営の乱を倡えし者数十、公は俱に之を廉得す。明年の春汛に屆び、七営当に復た発すべし。公は誓師の時に密かに徐景星をして名捕営ごとに各おの一人を以て、其の首乱の罪を数えて之を斬らしむ。已後、馬、楊の二魁を捕らえ至り、曰く、「汝は故より自ら死を請う、今は晩し。且つ汝は既に乱を倡え、又た衆を欺きて其の資を攘む。我れ即ち汝を貸さんと欲すとも、衆怒を如何せん」と。又た之を斬り、凡そ九首なり。
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『智囊』靈變・沈括沈括は延州に知たりし時、種諤は五原に次り、大雪に値い、糧餉は継がず。殿値の劉帰仁は衆を率いて南に奔り、士卒三万人は皆な塞に潰れ入り、居民は怖れ駭く。括は東郊に出でて河東に帰る師を餞し、奔る者の数千を得て、問いて曰く、「副都総管は汝を遣わして帰りて糧を取らしむ。主者は何人か」と。曰く、「後に在り」と。即ち諭して各々屯に帰らしめ、未だ旬日ならずして、潰卒は尽く還る。括は出でて兵を按ず。帰仁至るや、括曰く、「汝は帰りて糧を取るに、何を以て兵符を持たざるか」と。因りて斬りて以て徇す。〔述評〕括は鎮に在りて、悉く別賜の銭を以て酒と為し、廛市の良家の子に命じて馳射して勝を角わしむ。軼群の能有る者は、自ら起ちて酌して之を労う。辺人は歓激し、弓を執り矢を傅え、皆な進むを得ざるを恐る。歳を越えて、徹札超乗する者千余を得、皆な中軍の義従に補し、威声は他府に雄たり。真に用有るの才なり。
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