智囊 / 通簡・漢光武帝
光武誅王郎,收文書,得吏人與郎交關謗毀者數千章。光武不省,會諸將燒之,曰:「令反側子自安!」〔馮述評〕宋桂陽王休范舉兵潯陽,蕭道成擊斬之。而眾賊不知,尚破台軍而進。宮中傳言休范已在新亭,士庶惶惑,詣壘投名者以千數。及到,乃道成也。道成隨得輒燒之,登城謂曰:「劉休范父子已戮死,屍在南岡下,我是蕭平南,汝等名字,皆已焚燒,勿懼也!」亦是祖光武之智。
新字:光武誅王郎,収文書,得吏人与郎交関謗毀者数千章。光武不省,会諸将焼之,曰:「令反側子自安!」〔馮述評〕宋桂陽王休范舉兵潯陽,蕭道成撃斬之。而衆賊不知,尚破台軍而進。宮中伝言休范已在新亭,士庶惶惑,詣塁投名者以千数。及到,乃道成也。道成随得輒焼之,登城謂曰:「劉休范父子已戮死,屍在南岡下,我是蕭平南,汝等名字,皆已焚焼,勿懼也!」亦是祖光武之智。
書き下し
光武は王郎を誅し、文書を収め、吏人の郎と交関し謗毀する者数千章を得たり。光武は省みず、諸将を会して之を焼き、曰く、「反側の子をして自ら安んぜしめよ」と。〔馮述評〕宋の桂陽王休範、兵を潯陽に挙げ、蕭道成は撃ちて之を斬る。而るに衆賊は知らず、尚お台軍を破りて進む。宮中は休範は已に新亭に在りと伝言し、士庶惶惑し、塁に詣りて名を投ずる者は千を以て数う。到るに及び、乃ち道成なり。道成は得る輒ち之を焼き、城に登りて謂いて曰く、「劉休範父子は已に戮死し、屍は南岡の下に在り。我は是れ蕭平南なり。汝らの名字は皆已に焚焼す、懼るる勿かれ」と。亦た是れ光武に祖とするの智なり。
現代語訳
光武帝は王郎を討ち、文書を押収したところ、役人たちが王郎と通じて(光武を)そしった書状が数千通見つかった。光武は目を通さず、諸将を集めてすべて焼き、言った。「寝返りを案じる者たちを、安心させてやれ」。〔馮夢龍の評〕宋の桂陽王劉休範が潯陽で挙兵し、蕭道成が撃って斬った。ところが賊の多くはそれを知らず、なお台軍を破って進んでいた。宮中では、休範がすでに新亭にいると伝わり、士庶は戸惑い、陣営に名簿を投げ込む者は千を数えた。到着してみると、それは蕭道成であった。道成は受け取るそばから焼き、城に登って言った。「劉休範父子はすでに殺された。屍は南岡の下にある。私は蕭平南である。おまえたちの名前はすべて焼いた。恐れるな」。これも光武の智恵を祖とするものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図王郎、詐りて成帝の子子輿と為り、立ちて天子と為り、邯鄲に都し、使いを遣わして郡国を降下せしむ。世祖、之を滅ぼす。〈王昌、一名は王郎、趙国邯鄲の人なり。素より卜相を為し、常に河北に天子の気有りと以う。時に趙繆王の子林、奇数を好み、趙・魏の間に任俠す。而して郎、之と善し。初め、王莽、位を簒うや、長安中、或いは成帝の子子輿と称する者あり。莽、之を殺す。郎、是に縁りて真の子輿と称すと云う。冬、林等、車騎数百を率い、晨に邯鄲城に入り、郎を立てて天子と為す。世祖、進みて邯鄲を攻む。郎の少傅李立、反間と為り、門を開きて漢軍を内る。遂に邯鄲を抜き、王郎を斬る。文書を収め、人吏の郎と交関し、上を謗毀する者数千章を得たり。世祖、省みず、諸将を会して之を焼きて曰く「反側子をして自ら安んぜしむるなり」と。〉
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『智囊』見大・漢光武帝劉秀、大司馬たりし時、舎中の児法を犯す。軍市令の祭遵、之を格殺す。秀怒り、遵を取らしむ。主簿の陳副諫めて曰く、明公は常に衆軍の整斉を欲す。遵は法を奉じて避けず、是れ教令の行わるるなり。奈何ぞ之を罪せん、と。秀悦び、乃ち以て刺奸将軍と為し、諸将に謂いて曰く、当に祭遵を避くべし。吾が舎中の児の法を犯すも尚お之を殺す。必ず諸将を私せざるなり、と。〔馮述評〕罰必なれば則ち令行われ、令行われれば則ち主尊し。世祖の能く四方の難を定めし所以なり。
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『長短経』覇図常侍を拝するに至る。明帝崩じ、遺詔して袁粲と共に機事を掌らしむ。江州刺史桂陽王休範、兵を挙げて反す。帝、討ちて之を平らぐ。〈初め、範の兵を挙ぐるや、朝廷惶駭す。帝と褚彦回と、中書省に集まりて計議す。言う者有る莫し。帝曰く「昔、上流の謀逆は、皆な淹緩に因りて敗る。休範、必ず遠く前失を懲り、軽兵もて急ぎ下り、吾が備え無きに乗ぜん。請う、新亭に頓して、以て其の鋒に当たらん」と。因りて筆を索めて議を下す。余も並びに注して同ず。乃ち単車白服にて新亭に出づ。塁を築くこと未だ畢わらざるに、賊騎交々至る。乃ち衣を解き高く臥して以て衆心を安んず。竟に之を破るなり。〉
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『智囊』靈變・吳漢呉漢、漁陽に亡命し、光武の長者なるを聞きて帰せんと欲す。乃ち太守彭寵に説き、二郡の精鋭を合わせて、劉公に附きて邯鄲王郎を撃たしめんとす。寵以て然りと為す。官属皆王郎に附かんと欲し、寵奪う能わず。漢乃ち辞し出で、外亭に止まり、衆を譎る所以を念うも、未だ出づる所を知らず。道中に一人の儒生に似たる者有るを望み見、人をして之を召し、為に食を具え、聞く所を問う。生言う、「劉公の過ぐる所は、郡県の帰する所と為る。邯鄲の尊号を挙ぐる者は、実は劉氏に非ず」と。漢大いに喜び、即ち詐りて光武の書を為り、檄を漁陽に移し、生をして之を斎して以て寵に詣らしめ、具に聞く所を以て之に説かしむ。漢は後に随いて入る。寵遂に計を決す。
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『智囊』迎刃・劉坦坦は長沙太守と為り、湘州の事を行う。適ま王僧粲謀反し、湘部の諸郡は蠭起して之に応ず。而して前鎮軍鍾玄紹なる者は潜かに内応を謀り、将に日を剋して起こさんとす。坦は偵知し、佯って省せざると為し、常の如く訟を理む。夜に至り、故に城門を開きて以て之を疑わしむ。玄紹は敢えて発せず。旦に坦に詣りて故を問う。坦は久しく留めて与に語り、而して密かに親兵を遣わして其の家書を収めしむ。玄紹は尚お坐に在り、収めし兵還り、具さに其の文書の本末を得て、因りて出して以て紹に質す。紹は首伏し、即ち之を斬り、而して其の書を焚き、以て余党を安んず。州部は遂に安し。
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『智囊』威克・耿純東漢の真定王楊、謀反す。光武は耿純をして節を持ちて楊を収めしむ。純既に命を受け、使州郡に使いする者の若くして真定に至り、伝舎に止まる。楊は疾と称して来たることを肯んぜず、純に書を与え、純をして往かしめんと欲す。純報じて曰く、「使いを奉じて侯王牧守に見ゆるに、先ず往くを得ず。宜しく自ら強いて来たるべし」と。時に楊の弟讓、従兄紺は皆な兵万余を擁す。楊は自ら兵の強きを見て純の意の安静なるを見、即ち官属に従いて伝舎に詣り、兄弟は軽兵を将いて門外に在り。楊入る。純は接するに礼を以てし、因りて其の兄弟を延請す。皆な至るや、純は門を閉じて悉く之を誅す。兵を勒して出ずれば、真定は震怖し、敢えて動く者無し。
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