智囊 / 靈變・吳漢
吳漢亡命漁陽,聞光武長者欲歸,乃說太守彭寵,使合二郡精銳,附劉公擊邯鄲王郎,寵以為然。官屬皆欲附王郎,寵不能奪。漢乃辭出,止外亭,念所以譎眾,未知所出。望見道中有一人似儒生者,使人召之,為具食,問以所聞,生言:「劉公所過,為郡縣所歸,邯鄲舉尊號者實非劉氏。」漢大喜,即詐為光武書移檄漁陽,使生齎以詣寵,令具以所聞說之,漢隨後入。寵遂決計焉。
新字:呉漢亡命漁陽,聞光武長者欲帰,乃説太守彭寵,使合二郡精鋭,附劉公撃邯鄲王郎,寵以為然。官属皆欲附王郎,寵不能奪。漢乃辞出,止外亭,念所以譎衆,未知所出。望見道中有一人似儒生者,使人召之,為具食,問以所聞,生言:「劉公所過,為郡県所帰,邯鄲舉尊号者実非劉氏。」漢大喜,即詐為光武書移檄漁陽,使生齎以詣寵,令具以所聞説之,漢随後入。寵遂決計焉。
書き下し
呉漢、漁陽に亡命し、光武の長者なるを聞きて帰せんと欲す。乃ち太守彭寵に説き、二郡の精鋭を合わせて、劉公に附きて邯鄲王郎を撃たしめんとす。寵以て然りと為す。官属皆王郎に附かんと欲し、寵奪う能わず。漢乃ち辞し出で、外亭に止まり、衆を譎る所以を念うも、未だ出づる所を知らず。道中に一人の儒生に似たる者有るを望み見、人をして之を召し、為に食を具え、聞く所を問う。生言う、「劉公の過ぐる所は、郡県の帰する所と為る。邯鄲の尊号を挙ぐる者は、実は劉氏に非ず」と。漢大いに喜び、即ち詐りて光武の書を為り、檄を漁陽に移し、生をして之を斎して以て寵に詣らしめ、具に聞く所を以て之に説かしむ。漢は後に随いて入る。寵遂に計を決す。
現代語訳
呉漢は漁陽に亡命していたが、光武帝(劉秀)が徳のある長者だと聞いて、帰順したいと思っていた。そこで太守の彭寵に説き、二郡の精鋭を合わせて、劉公に付き従い、邯鄲の王郎を撃たせようとした。彭寵はそれがよいと思った。しかし役人たちは皆王郎に付くことを望み、彭寵はその意見を覆せなかった。呉漢はそこで辞去し、郊外の亭に泊まり、人々をだます方法を考えたが、よい案が浮かばなかった。道に儒者らしい人物が一人いるのを見つけ、使いをやって呼び寄せ、食事を用意して、聞き知っていることを尋ねた。儒者は言った。「劉公の通られたところは、郡や県がこぞって帰順しています。邯鄲で帝号を称している者は、実は劉氏ではありません」。呉漢は大いに喜び、すぐに偽って光武帝の書状を作り、檄文を漁陽に送った。その儒者にこれを持たせて彭寵のもとへ行かせ、聞いたことをつぶさに説かせた。呉漢は後から入った。彭寵はこうして計を決めた。
解説
この章句が説くこと
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