智囊 / 通簡・趙普・李沆・陸九淵
趙韓王為相,置二大甕於坐屏後,凡有人投利害文字,皆置其中,滿即焚之於通衢。李文靖曰:「沆居相位,實無補萬分;唯中外所陳利害,一切報罷,聊以補國爾。今國家防制,纖悉具備,苟輕徇所陳,一一行之,所傷實多。僉人苟一時之進,豈念民耶?」陸象山云:「往時充員敕局,浮食是慚。惟是四方奏請,廷臣面對,有所建置更革,多下看詳。其貳書生貴游,不諳民事,輕於獻計;一旦施行,片紙之出,兆姓蒙害。每與同官悉意論駁,朝廷清明,嘗得寢罷;編摩之事,稽考之勤,何足當大官之膳?庶幾僅此可以償萬一耳!」〔馮述評〕羅景綸曰:「古云:『利不什,不變法』,此言更革建置之不可輕也。或疑若是則將坐視天下之弊而不之救歟?不知革弊以存法可也,因弊而變法不可也;不守法而弊生,豈法之生弊哉!韓、范之建明於慶曆者,革弊以存法也。荊公之施行於熙寧者,因弊而變法也,一得一失。概可觀矣。」
新字:趙韓王為相,置二大甕於坐屏後,凡有人投利害文字,皆置其中,満即焚之於通衢。李文靖曰:「沆居相位,実無補万分;唯中外所陳利害,一切報罷,聊以補国爾。今国家防制,繊悉具備,苟軽徇所陳,一一行之,所傷実多。僉人苟一時之進,豈念民耶?」陸象山云:「往時充員勅局,浮食是慚。惟是四方奏請,廷臣面対,有所建置更革,多下看詳。其貳書生貴游,不諳民事,軽於献計;一旦施行,片紙之出,兆姓蒙害。毎与同官悉意論駁,朝廷清明,嘗得寝罷;編摩之事,稽考之勤,何足当大官之膳?庶幾僅此可以償万一耳!」〔馮述評〕羅景綸曰:「古云:『利不什,不変法』,此言更革建置之不可軽也。或疑若是則将坐視天下之弊而不之救歟?不知革弊以存法可也,因弊而変法不可也;不守法而弊生,豈法之生弊哉!韓、范之建明於慶暦者,革弊以存法也。荊公之施行於熙寧者,因弊而変法也,一得一失。概可観矣。」
書き下し
趙韓王は相と為り、二つの大甕を坐屏の後ろに置き、凡そ人の利害の文字を投ずる有れば、皆其の中に置き、満つれば則ち之を通衢に焚く。李文靖曰く、「沆は相位に居り、実に万分の一も補う無し。唯だ中外の陳ぶる所の利害を一切報罷し、聊か以て国を補うのみ。今、国家の防制は纖悉に備わる。苟も軽々しく陳ぶる所に徇い、一一之を行えば、傷つく所は実に多し。僉人は苟も一時の進むを求む、豈に民を念わんや」と。陸象山云う、「往時、敕局に員に充たり、浮食を是れ慚ず。惟だ是れ四方の奏請、廷臣の面対に、建置更革する所有れば、多く看詳に下さる。其の弐は書生貴遊にして、民事を諳んぜず、軽々しく計を献ず。一旦施行せば、片紙の出づれば、兆姓害を蒙る。毎に同官と悉く意を尽くして論駁し、朝廷清明にして、嘗て寝罷するを得たり。編摩の事、稽考の勤め、何ぞ大官の膳に当たるに足らんや。庶幾くは僅かに此を以て万一を償うべきのみ」と。〔馮述評〕羅景綸曰く、「古に云う、『利は什ならざれば、法を変えず』と。此の言は更革建置の軽々しくすべからざるを言うなり。或いは疑う、是くの若くば則ち天下の弊を坐視して之を救わざるか。知らず、弊を革めて以て法を存するは可なり、弊に因りて法を変えるは不可なり。法を守らずして弊を生ず、豈に法の弊を生ずるならんや。韓、范の慶暦に建明せしは、弊を革めて以て法を存するなり。荊公の熙寧に施行せしは、弊に因りて法を変えるなり。一得一失、概ね観るべし」と。
現代語訳
趙韓王(趙普)は宰相となると、大きな甕を二つ、座席の屏風の後ろに置き、人が利害を書いて投書してくれば、すべてその中に入れ、いっぱいになると大通りで焼いた。李文靖(李沆)は言った。「私は宰相の位にいて、実のところ万分の一も補っていない。ただ、内外から寄せられる利害の提案をすべて却下することで、いささか国を補っているだけだ。今、国家の制度は細部まで整っている。軽々しく提案に従い、一つ一つ実行すれば、傷つくものは多い。浅はかな者は一時の出世を求めるだけで、民のことなど考えない」。陸象山は言った。「以前、敕令所の役人を務めたとき、ただ食い扶持を食んでいることを恥じた。ただ、各地からの上奏や、廷臣の面談で、新設や改革を求める案が出ると、多くは私のもとに審査にまわされた。その案は、書生や貴族の遊び人で民の事情を知らない者が、軽々しく献策したものが多い。ひとたび施行されれば、一枚の紙が出るだけで、万民が害を蒙る。いつも同僚と力を尽くして論駁し、朝廷が清明で、しばしば廃案にできた。編纂や考証の勤めなど、高官の食事に値するほどの働きではない。ただこれによって、わずかでも万一を償いたいと願うのみである」。〔馮夢龍の評〕羅景綸は言う。「古人は『利が十倍にならなければ、法を変えない』と言った。この言葉は、改革や新設を軽々しくしてはならないということだ。あるいは疑う。それでは天下の弊害を座視して救わないのか、と。そうではない。弊害を改めて法を存続させるのはよいが、弊害を口実に法そのものを変えるのはよくない。法を守らないから弊害が生じるのであって、法が弊害を生むのではない。韓琦・范仲淹が慶暦に行った改革は、弊を改めて法を存するものだった。王安石が熙寧に実施したのは、弊に因って法を変えるものだった。一得一失、おおよそ見て取れる」。
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言孔子曰く、「高岸を観ざれば、何を以てか顛墜の患いを知らん。深淵に臨まざれば、何を以てか没溺の患いを知らん。海上を観ざれば、何を以てか風波の患いを知らん。之を失う者は其れ此に在らざらんや。士は三者を慎めば、人に累せらるる無し」と。
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説苑・雜言孔子曰く、「終日言いて己の憂いを遺さず、終日行いて己の患いを遺さざるは、唯だ智者のみ之有り。故に恐懼するは患いを除く所以なり、恭敬するは難きを越ゆる所以なり。終身之を為して、一言之を敗る、慎まざる可けんや」と。
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論語・里仁篇子曰わく、父母に事うるには幾(ほの)かに諫む。志の従わざるを見れば、また敬して違わず、労して怨みず。
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