智囊 / 遠猶・唐肅
唐待制肅與丁晉公為友,宅正相對。丁將有弼諧之命,唐遷居州北。或問之,唐曰:「謂之入則大拜。數與往還,事涉依附;經旬不見,情必猜疑,故避之也。」〔馮述評〕是非心不可不明,亦不可太明。立身全交,兩得之矣!
新字:唐待制粛与丁晋公為友,宅正相対。丁将有弼諧之命,唐遷居州北。或問之,唐曰:「謂之入則大拝。数与往還,事渉依附;経旬不見,情必猜疑,故避之也。」〔馮述評〕是非心不可不明,亦不可太明。立身全交,両得之矣!
書き下し
唐待制の粛は丁晋公と友と為り、宅は正に相対す。丁将に弼諧の命有らんとするや、唐は居を州北に遷す。或るひと之を問うに、唐曰く、「謂うに入れば則ち大拝せん。数しば与に往還すれば、事は依附に渉る。旬を経て見ざれば、情は必ず猜疑せん。故に之を避くるなり」と。〔馮述評〕是非の心は明らかならざるべからず、亦た太だ明らかなるべからず。身を立て交わりを全うするは、両つながら之を得たり。
現代語訳
唐待制の唐粛は丁晋公(丁謂)と友人で、家は真向かいにあった。丁が宰相に任じられる命が下りそうになると、唐は住まいを州の北に移した。ある人がそのわけを尋ねると、唐は言った。「彼は入閣すれば大拝(宰相に任命)されるだろう。しばしば往来すれば、おもねり頼っているように見える。かといって十日会わなければ、きっと疑われる。だからそれを避けて引っ越したのだ」。〔馮夢龍の評〕是非を分ける心は明らかでなければならないが、あまりに明らかすぎてもいけない。身を立てて友情を全うした、その両方を果たしたのである。
解説
唐粛は、友人が出世する直前に、近すぎれば追従を疑われ、離れれば薄情と受け取られる板挟みを、引っ越しという静かな方法で解消しました。相手を傷つけず、自分も疑われない立ち位置を、関係が複雑になる前に整える知恵です。馮夢龍は、是非の判断は明らかでも、あまりに白黒をはっきりさせすぎないことが、身を立てて友情を保つ道だと評します。現代の職場でも、同期や友人が上司になる場面で、公私の距離の取り方に悩むことがあります。節度ある距離は、お互いの立場を守る配慮です。
この章句が説くこと
居州北依附猜疑距離感立場の変化友情
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