智囊 / 委蛇・翟子威
清河胡常,與汝南翟方進同經。常為先進,名譽出方進下,而心害其能,議論不右方進。方進知之,伺常大都授時,遣門下諸生至常所問大義疑難,因記其說。如此者久之,常知方進推已,意不自得,其後居士大夫間,未嘗不稱方進。〔馮評〕尊人以自尊,腐儒為所用而不知。
新字:清河胡常,与汝南翟方進同経。常為先進,名誉出方進下,而心害其能,議論不右方進。方進知之,伺常大都授時,遣門下諸生至常所問大義疑難,因記其説。如此者久之,常知方進推已,意不自得,其後居士大夫間,未嘗不称方進。〔馮評〕尊人以自尊,腐儒為所用而不知。
書き下し
清河の胡常、汝南の翟方進と経を同じうす。常は先進為り、名誉は方進の下に出で、心に其の能を害み、議論は方進を右にせず。方進これを知り、常の大都授くる時を伺い、門下の諸生を遣わして常の所に至り、大義の疑難を問わしめ、因りて其の説を記す。此くの如き者、久しくして、常、方進の己を推すを知り、意に自得せず。其の後、士大夫の間に居りて、未だ嘗て方進を称せずんばあらず。〔馮評〕人を尊びて以て自ら尊くす。腐儒は用いらるる所と為りて知らず。
現代語訳
清河の胡常と汝南の翟方進は、同じ経典を学んでいました。胡常は先輩で、名声は翟方進より劣り、心の中で翟方進の才能を妬み、議論でも翟方進を持ち上げませんでした。翟方進はそれを知り、胡常が多くの人に講義するときを見計らって、門下の学生を胡常のところへ遣わして、教義の疑問点を質問させ、その説を書き留めさせました。こうしたことが長く続くと、胡常は翟方進が自分を尊んでいることを知り、心中落ち着かなくなりました。その後は、士大夫の間で、翟方進を褒めないことはありませんでした。〔馮評〕人を尊ぶことで自分も尊くなる。頭の固い学者は、利用されていることに気づかない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』公孫丑下 第十一章「子、長者を絶つか、長者、子を絶つか」。行を留めんと欲する者、斉戒して宿を越え、然る後敢へて言ふ。而して孟子一言の応もなく、几に隠りて臥す。是れ俗論より云はば、長者子を絶つなり、孟子より客を絶つなり。然れども行を留むる者、慮ること子思に及ばず、是れ孟子の応ぜざる所以なれば、子長者を絶つなり、客より孟子を絶つなり。世間の事斯くの如き者甚だ多し。大抵俗論の見る所は形の上なり、君子の論ずる所は心なり。譬へば今我れ巧言令色を以て人に親しまんと欲す、人必ず我を容れず、是れ我仁鮮きを以てなり。然れば人我を容れざるに非ず、我人をして容れしめざるなり。是等を以て其の他を推知すべし。抑々余嘗て深く疑ふ、今の世臣子思の如き者なきか、君繆公の如き者なきか、又君臣共になきか、又君臣共にありて未だ相遇はざるか、臣君を絶つか、君臣を絶つか、是れ遂に知るべからざるなり。(第十四塲上)
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尚書・盤庚上人は惟れ旧きを求め、器は旧きを求むるに非ず、惟れ新しきを求む。
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