智囊 / 遠猶・郭子儀
郭令公每見客,姬侍滿前。乃聞盧杞至,悉屏去。諸子不解。公曰:「杞貌陋,婦女見之,未必不笑。他日杞得志,我屬無噍類矣!」〔馮述評〕齊頃以婦人笑客,幾至亡國。令公防微之慮遠矣。王勉夫云:〈寧成傳〉末載,周陽由為郡守,汲黯、司馬安俱在二千石列,同車未嘗敢均茵伏。司馬安不足言也,汲長孺與大將軍亢禮,長揖丞相,面折九卿,矯矯風力,不肯為人下,至為周陽由所抑,何哉?周蓋無賴小人,其居二千石列,肆為驕暴,凌轢同事,若無人焉。汲蓋遠之,非畏之也。異時河東太守勝屠公不堪其侵權,遂與之角,卒並就戮。玉石俱碎,可勝歎恨!士大夫不幸而與此輩同官,遜而避之,不失為厚,何苦與之較而自取辱哉!
新字:郭令公毎見客,姫侍満前。乃聞盧杞至,悉屏去。諸子不解。公曰:「杞貌陋,婦女見之,未必不笑。他日杞得志,我属無噍類矣!」〔馮述評〕斉頃以婦人笑客,幾至亡国。令公防微之慮遠矣。王勉夫云:〈寧成伝〉末載,周陽由為郡守,汲黯、司馬安倶在二千石列,同車未嘗敢均茵伏。司馬安不足言也,汲長孺与大将軍亢礼,長揖丞相,面折九卿,矯矯風力,不肯為人下,至為周陽由所抑,何哉?周蓋無頼小人,其居二千石列,肆為驕暴,凌轢同事,若無人焉。汲蓋遠之,非畏之也。異時河東太守勝屠公不堪其侵権,遂与之角,卒並就戮。玉石倶砕,可勝嘆恨!士大夫不幸而与此輩同官,遜而避之,不失為厚,何苦与之較而自取辱哉!
書き下し
郭令公は客を見る毎に、姫侍前に満つ。乃ち盧杞の至るを聞くや、悉く屏け去らしむ。諸子解せず。公曰く、「杞は貌陋し、婦女之を見て、未だ必ずしも笑わざらず。他日杞が志を得れば、我が属は噍類無からん」と。〔馮述評〕斉頃は婦人の客を笑うを以て、幾ど亡国に至る。令公の微を防ぐ慮りは遠し。王勉夫云う、〈寧成伝〉の末に載す、周陽由は郡守為り、汲黯、司馬安は俱に二千石の列に在り、同車するに未だ嘗て敢えて茵を均しくして伏せず。司馬安は言うに足らざるなり、汲長孺は大将軍と抗礼し、丞相に長揖し、九卿を面折し、矯矯たる風力あり、人の下と為るを肯んぜざるに、周陽由に抑えらるるに至るは何ぞや。周は蓋し無頼の小人にして、其の二千石の列に居りて、肆に驕暴を為し、同事を凌轢し、人無きが若し。汲は蓋し之を遠ざけしなり、之を畏れしに非ざるなり。異時、河東太守の勝屠公は其の侵権に堪えず、遂に之と角し、卒に並びに戮に就く。玉石俱に砕く、勝げて歎恨すべけんや。士大夫は不幸にして此の輩と同官せば、遜りて之を避くるも、厚きを失わず、何ぞ苦しみて之と較べて自ら辱めを取るや。
現代語訳
郭令公(郭子儀)は客に会うとき、いつも侍女たちが前にずらりと並んでいた。ところが盧杞が来たと聞くと、皆を退かせた。子供たちは理由が分からなかった。公は言った。「杞は容貌が醜く、女たちが見れば、笑わないとは限らない。のちに杞が志を得たなら、我が一族は皆殺しにされるだろう」。〔馮夢龍の評〕斉の頃公は女が客を笑ったことで、もう少しで国を滅ぼすところだった。令公の兆しを防ぐ思慮は遠い。王勉夫は言う。『史記』寧成伝の末尾にこうある。周陽由が郡守となり、汲黯と司馬安はともに二千石の列にあり、同じ車に乗っても、決して同じ敷物に並んで座ろうとしなかった。司馬安はともかく、汲長孺は大将軍と対等に礼を交わし、丞相に軽く会釈し、九卿を面と向かって論破し、気骨があり、人の下になるのを承知しない人物なのに、周陽由に抑えられたのはなぜか。周は無頼の小人で、二千石の列にいて勝手に驕り暴れ、同僚を踏みにじり、人がいないかのようだった。汲黯は、これを遠ざけたのであって、恐れたのではない。のちに河東太守の勝屠公は、その権限侵害に耐えられず、ついに対抗し、ともに処刑された。玉も石もともに砕け、嘆かわしいことだ。士大夫が不幸にしてこうした輩と同じ役所になったなら、へりくだって避けることが、厚い人柄を失うことにはならない。なぜ苦労して相手と張り合い、自分から恥を招くのか。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』通簡・郭子儀汾陽王の宅は親仁里に在り、大いに其の第を啓き、人の出入りを任せて問わず。麾下の将吏、出鎮して来りて辞するや、王の夫人及び愛女は方に臨妝し、巾を持ち水を汲ましむること、僕隷に異ならず。他日、子弟列諫するも、聴かず、継ぐに泣を以てして曰く、「大人の功業は隆赫なるに、自ら崇重せず、貴賤皆な臥内に游ぶ。某ら以為らく、伊、霍と雖も当に此の如くなるべからず」と。公は笑いて謂いて曰く、「爾曹は固より料る所に非ず。且つ吾が馬の官粟を食む者は五百匹、官餼の者は一千人、進むも往く所無く、退くも拠る所無し。向使し垣を崇くし戸を扃ざして、内外を通ぜざれば、一怨将に起こらんとし、構うるに不臣を以てし、其の功を貪り能を害うの徒の其の事を成就する有らば、則ち九族は斉粉し、噬臍すとも追う莫し。今は蕩蕩として間無く、四門洞開す、讒毀興らんと欲すと雖も、加うる所無きなり」と。諸子は拝服す。〔馮述評〕徳宗、山陵近きを以て屠宰を禁ず。郭子儀の隷人禁を犯し、金吾将軍裴諝は之を奏す。或るひと謂いて曰く、「君は独り郭公の為に地せざるか」と。諝曰く、「此れ乃ち之が為に地する所以なり。郭公は望重く、上は新たに即位し、必ず党附する者衆しと謂わん。故に我は其の小過を発し、以て郭公の畏るるに足らざるを明らかにす。亦た可ならずや」と。諝の若き者は、郭公の益友と謂うべし。郭汾陽を看れば、王翦、蕭何の家数は便ち小なるを覚ゆ。〔王、蕭の事は《委虵部》に見ゆ。〕
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『智囊』見大・丙吉・郭進吉、相と為るや、馭吏に酒を嗜む者有り、吉に従いて出で、酔いて丞相の車上に嘔す。西曹の主吏は白して之を斥けんと欲す。吉曰く、醉飽の失を以て士を去らば、此の人をして復た何れに容れしめんや。西曹は第だ之を忍べ。此れ丞相の車茵を汚すに過ぎざるのみ、と。此の馭吏は辺郡の人にして、辺塞の奔命警備の事を習知す。嘗て出でて、適たま駅騎の赤白の囊を持ち、辺郡の奔命の書を発して馳せ至るを見る。馭吏は因りて駅騎に随いて公車に至り、刺取して、虜の雲中・代郡に入るを知り、遽に帰る。吉に見えて状を白し、因りて曰く、虜の入る所の辺郡は、二千石の長吏に老病にして兵馬に任えざる者有らん。宜しく豫め視るべし、と。吉は其の言を善とし、東曹を召して辺長吏を案じ、其の人を科条せしむ。未だ已まざるに、詔して丞相・御史を召し、入る所の郡吏を問う。吉は具に対う。御史大夫は卒遽にして詳らかに知る能わず、以て譴讓を得たり。而して吉は辺を憂い職を思うと謂われしは、馭吏の力なり。郭進は山西巡検に任ず。軍校の闕に詣りて進を訟うる者有り。上は召して訊い、其の誣なるを知り、即ち遣りて進に送り、之を殺さしむ。会たま并寇入る。進は其の人に謂いて曰く、汝は能く我を訟う、信に胆気有り。今、汝の罪を赦す。能く并寇を掩殺せば、即ち汝を朝に薦めん。如し敗れなば、即ち自ら河に役せよ。我が剣を汚す毋かれ、と。其の人は踴躍して赴き闘い、竟に大捷す。進は即ち薦めて之を擢く。〔馮述評〕小過を容るる者は、一長を以て酬いられ、大仇を釈す者は、死力を以て報いらる。唯だ酬報の情の中に迫れば、故に其の長は之に触れて必ず試み、其の力は之に激して必ず竭くす。彼の過ちを索め仇を尋ぬる者は、豈に大愚に非ずや。
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『智囊』通簡・郭子儀魚朝恩は陰かに人をして郭氏の墓を発かしむるも、盗は未だ得られず。子儀は涇陽より来朝し、帝は之を唁す。即ち号泣して曰く、「臣は久しく兵を主とし、士の人の墓を殘うを禁ずる能わず。今、人も亦た先臣の墓を発く。此れ天の譴にして、人の患に非ざるなり」と。朝恩は又た嘗て具えを修めて公を邀え、或るひと将に公に利あらずと言う。其の下は甲を裹みて以て従わんことを願う。子儀は許さず、但だ家僮数人を以て往く。朝恩曰く、「何ぞ車騎の寡きや」と。子儀は聞く所を以て告ぐ。朝恩は惶恐して曰く、「公の長者に非ざれば、疑いを致す無きを得んや」と。〔馮述評〕黄老の術に精しく、朝恩と雖も亦た盛徳の化する所と為らざるを得ず。子は不幸にして小人に遇わば、切に与に一般の見識とすべからず。
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