智囊 / 遠猶・王旦
王旦為兗州景靈宮朝修使,內臣周懷政偕行。或乘間請見,旦必俟從者盡至,冠帶出見於堂皇,白事而退。後懷政以事敗,方知旦遠慮。內臣劉承規以忠謹得倖,病且死,求為節度使。帝語旦曰:「承規待此以瞑目。」旦執不可,曰:「他日將有求為樞密使者,奈何?」遂止。自是內臣官不過留後。
新字:王旦為兗州景霊宮朝修使,内臣周懐政偕行。或乗間請見,旦必俟従者尽至,冠帯出見於堂皇,白事而退。後懐政以事敗,方知旦遠慮。内臣劉承規以忠謹得倖,病且死,求為節度使。帝語旦曰:「承規待此以瞑目。」旦執不可,曰:「他日将有求為枢密使者,奈何?」遂止。自是内臣官不過留後。
書き下し
王旦、兗州景霊宮の朝修使たり、内臣周懐政偕に行く。或いは間に乗じて見えんことを請うに、旦は必ず従者の尽く至るを俟ち、冠帯して堂皇に出で見え、事を白して退かしむ。後、懐政事を以て敗れ、方に旦の遠慮を知る。内臣劉承規、忠謹を以て幸を得、病みて且に死せんとし、節度使と為らんことを求む。帝、旦に語りて曰く、「承規は此を待ちて以て瞑せん」と。旦執りて不可とし、曰く、「他日、枢密使と為らんことを求むる者有らば、奈何せん」と。遂に止む。是より内臣の官は留後に過ぎず。
現代語訳
王旦が兗州の景霊宮で朝修使を務めたとき、宦官の周懐政が同行した。周懐政が隙を見て面会を求めても、王旦は必ず従者が全員揃うのを待ち、冠と帯を整えて広間に出て会い、用件を聞くと退出させた。のちに周懐政が事件で失脚したとき、人々は初めて王旦の遠慮深さを知った。宦官の劉承規は、忠実で慎み深いために寵愛を得ていたが、病んで死にそうになり、節度使になりたいと願った。皇帝は王旦に言った。「承規はこれがかなえば安らかに目を閉じられる」。王旦は固く反対して言った。「いずれ、枢密使になりたいという者が出たら、どうなさいますか」。そこで取りやめになった。それ以来、宦官の官位は留後を超えなくなった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
-
『韓非子』外儲説右下第三十五是に於て燕王因りて国を挙げて之に属す、子之大いに重し。一に曰く、潘寿は、隠者なり。燕人をして之を聘せしむ。潘寿燕王に見えて曰く、「臣子之の益の如くならんことを恐るるなり」と。王曰く、「何の益ぞや」と。対へて曰く、「古者禹死し、将に天下を益に伝へんとす、啓の人因りて相与に益を攻めて啓を立つ。今王子之を信愛し、将に国を子之に伝へんとす、太子の人尽く印を懐き、子之の人為る者一人の朝廷に在る者無し。王不幸にして羣臣を弃てなば、則ち子之も亦益ならん」と。王因りて吏の璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之大いに重し。夫れ人主の鏡照とする所以の者は、諸侯の士徒なり、今諸侯の士徒は皆私門の党なり。人主の自ら浅娋する所以の者は、巌穴の士徒なり、今巌穴の士徒は皆私門の舎人なり。是れ何ぞや。奪褫の資子之に在ればなり。故に呉章曰く、「人主は佯りて人を憎愛せず。佯りて人を愛すれば、復た憎むを得ざるなり。佯りて人を憎めば、復た愛するを得ざるなり」と。一に曰く、燕王国を子之に伝へんと欲するや、之を潘寿に問ふ、対へて曰く、「禹益を愛して天下を益に任じ、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓を以て天下に任ずるに足らずと為す、故に天下を益に伝ふ、而して勢重尽く啓に在るなり。已にして啓友党と益を攻めて之が天下を奪ふ、是れ禹名は天下を益に伝へて、実は啓をして自ら之を取らしむるなり。此れ禹の堯・舜に及ばざること明らかなり。今王之を子之に伝へんと欲す、而して吏太子の人に非ざる者無きなり、是れ名は之を伝へて実は太子をして自ら之を取らしむるなり」と。燕王乃ち璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之遂に重し。
-
『墨子』尚同中今、王公大人の刑政を為すは則ち此を舉ぐ。政、以て便辟を屬し、父兄故舊に宗りて、以て左右と為し、置きて以て正長と為す。民、上の正長を置くの、正しく以て民を治むるに非ざるを知る。是を以て皆な比周隠匿して、肯えて其の上に尚同すること莫し。是の故に上下、義を同じくせず。若し茍くも上下、義を同じくせざれば、賞譽も以て善を勸むるに足らずして、刑罰も以て暴を沮むるに足らず。
-
『韓非子』説疑第四十四従ひて之を罰す。是を以て賢良遂に進みて姦邪並びに退く、故に一挙して能く諸侯を服す。其の記に在りて曰く、堯に丹朱有り、而して舜に商均有り、啓に五観有り、商に太甲有り、武王に管・蔡有り。五王の誅する所の者は、皆父兄子弟の親なり、而して殺して其の身を亡ぼし、其の家を残破する所の者は何ぞや。其の国を害し民を傷つけ法類を敗るを以てなり。其の挙ぐる所を観れば、或いは山林藪沢巌穴の間に在り、或いは囹圄緤紲纏索の中に在り、或いは割烹芻牧飯牛の事に在り。然れども明主は其の卑賤を羞ぢざるなり、其の能の以て法を明らかにし、国を便にし民を利すべきを以て、従ひて之を挙げ、身安く名尊し。乱主は則ち然らず、
-
『春秋左氏伝』僖公二十七年 蒍賈、賀さず二十七年春、杞の桓公來朝す。夷禮を用ゐる、故に「子」と曰ふ。公杞を卑しむ、杞共ならざればなり。夏、齊の孝公卒す。齊の怨み有れども、喪紀を廢せず、禮なり。秋、杞に入る、無禮を責むるなり。楚子將に宋を圍まんとし、子文をして兵を睽に治めしむ。終朝にして畢り、一人をも戮せず。子玉復た兵を蒍に治む。終日にして畢り、七人を鞭ち、三人の耳を貫く。國老皆子文を賀す、子文之に酒を飲ましむ。蒍賈尚ほ幼し、後れて至り、賀せず。子文之を問ふ。對へて曰く、「賀する所を知らず。子の政を子玉に傳ふるや、曰く、『以て國を靖んずるなり』と。諸を內に靖んじて諸を外に敗らば、獲る所幾何ぞ。子玉の敗るるは、子の舉なり。舉げて以て國を敗らば、將た何をか賀せん。子玉は剛にして無禮、以て民を治むべからず。三百乘を過ぎば、其れ以て入る能はざらん。苟も入りて賀すとも、何の後るることか之れ有らん」と。
-
『韓非子』説疑第四十四其の臣の意行を知らずして、之に任ずるに国を以てす、故に小なるは之れ名卑しく地削られ、大なるは之れ国亡び身死す、臣を用ふるに明らかならざればなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る