智囊 / 遠猶・羊馬因・劉慶祖
趙汝愚與韓侂冑既定策,欲立寧宗,尊光宗為太上皇。汝愚諭殿帥郭杲,以軍五百至祥禧殿前祈請御寶。杲入,索於職掌內侍羊馬因、劉慶祖。二人私議曰:「今外議洶洶如此,萬一璽入其手,或以他授,豈不利害?」於是封識空函授杲。二璫取璽從間道詣德壽宮,納之憲聖。及汝愚開函奉璽之際,憲聖自內出璽與之。〔馮述評〕璽何等物,而欲以力取、以恩獻?此與絳侯請間之意同。功名之士,未聞道也。絕大一題目,而好破題反被二閹做去。惜夫!
新字:趙汝愚与韓侂冑既定策,欲立寧宗,尊光宗為太上皇。汝愚諭殿帥郭杲,以軍五百至祥禧殿前祈請御宝。杲入,索於職掌内侍羊馬因、劉慶祖。二人私議曰:「今外議洶洶如此,万一璽入其手,或以他授,豈不利害?」於是封識空函授杲。二璫取璽従間道詣徳寿宮,納之憲聖。及汝愚開函奉璽之際,憲聖自内出璽与之。〔馮述評〕璽何等物,而欲以力取、以恩献?此与絳侯請間之意同。功名之士,未聞道也。絶大一題目,而好破題反被二閹做去。惜夫!
書き下し
趙汝愚と韓侂冑、既に策を定め、寧宗を立てて光宗を尊びて太上皇と為さんと欲す。汝愚、殿帥郭杲に諭し、軍五百を以て祥禧殿前に至りて御宝を祈請せしむ。杲入りて、職掌の内侍羊馬因、劉慶祖に索む。二人私かに議して曰く、「今、外議は洶洶として此のごとし。万一璽が其の手に入り、或いは以て他に授けられなば、豈に利害ならずや」と。是に於いて空函を封識して杲に授く。二璫は璽を取り間道より徳寿宮に詣り、之を憲聖に納む。汝愚が函を開き璽を奉ずるの際に及び、憲聖は内より璽を出だして之に与う。〔馮述評〕璽は何等の物ぞ、而も力を以て取り、恩を以て献ぜんと欲するか。此は絳侯が間を請うの意と同じ。功名の士は、未だ道を聞かざるなり。絶大の題目にして、好き破題が反って二閹に做し去らる。惜しいかな。
現代語訳
趙汝愚と韓侂冑は計画を定め、寧宗を立てて光宗を太上皇として尊ぼうとした。汝愚は殿前都指揮使の郭杲に命じ、兵五百を連れて祥禧殿の前に行き、玉璽を請い求めさせた。杲は中に入り、璽を管理する宦官の羊馬因と劉慶祖に要求した。二人はひそかに相談して言った。「いま世間の議論はこんなに騒がしい。万一璽がその手に渡り、別の者に授けられたら、取り返しがつかないのではないか」。そこで空の箱に封をして杲に渡した。二人の宦官は璽を持って間道から徳寿宮に行き、憲聖皇后に納めた。汝愚が箱を開いて璽を奉じようとしたとき、憲聖皇后は奥から璽を取り出して汝愚に与えた。〔馮夢龍の評〕璽とはどれほど重いものか、それを力で取り、恩で差し出そうとするのか。これは絳侯(周勃)が間を取って請うた意図と同じである。功名を求める者は、まだ道を聞いていない。極めて大きな課題で、せっかくの良い切り出しが、かえって二人の宦官にやり遂げられてしまった。惜しいことだ。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』遠猶・薛季昶・徐誼張柬之ら既に二張を誅し、武后を遷すに、薛季昶曰く、「二凶誅せらると雖も、産、禄猶お在り。草を去りて根を除かざれば、終に当に復た生ずべし」と。桓彦範曰く、「三思は幾ど上の肉のみ、留めて天子の藉手と為さん」と。季昶歎じて曰く、「吾は死する所無し」と。三思の政を乱すに及び、范甚だ之を悔ゆ。趙汝愚、先に韓侂冑の力を借りて宮掖に通じ、寧宗を立つ。事成りて、徐誼曰く、「侂冑は異時必ず国患と為らん。宜しく其の欲を飽かしめて之を遠ざくべし」と。葉適も亦た汝愚に謂う、「侂冑の望む所は節鉞に過ぎず、宜しく之を与うべし」と。朱熹曰く、「汝愚は宜しく厚賞を以て侂冑に酬い、政に預からしむる勿かるべし」と。汝愚其の制し易きを謂い、皆聴かず、止だ侂冑に防禦使を加うるのみ。侂冑大いに怨望し、遂に汝愚の禍を構う。武三思、韓侂冑は、皆小人なり。然れども三思は罪有り、故に宜しく討ちて之を除くべし。冑は功有り、故に宜しく賞して之を遠ざくべし。三思を除くは、宜しく武氏を遷すの時に及ぶべし。侂冑を遠ざくは、宜しく未だ志を得ざるの日に及ぶべし。此を過ぐれば皆為すべからず。五王、汝愚は皆其の位望才力を自恃し、以て凌駕して余り有るべしとし、而も凶人の手段が豪傑に更に勝るを知らず。何ぞや。此は疏にして彼は密、此は寛にして彼は狠なればなり。忠謀従われず、自ら伊の戚を貽す。悲しいかな。
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『智囊』遠猶・陳瓘徽宗の初め、紹聖の弊を革めて以て靖国せんと欲し、是に於いて大いに言路を開く。衆議は瑤華の復位、司馬光らの叙官を以て当に先とすべき所と為す。陳瓘、時に諫省に在りて、独り以為えらく、「母后を幽廃し、故相を追貶するは、彼は皆な名を立てて以て行う、細故に非ざるなり。今、正復せんと欲せば、当に先ず誣罔を辨明し、非辜を昭雪し、造意の人を誅責し、然る後に詔を発し、礼を以て之を行うべし。庶わくは後患無からん。宜しく速やかならんことを欲して悔を貽すべからず」と。朝議は公論の久しく鬱せしを以て、速やかに人情を快くせんことを欲し、遽かに之を施行す。崇寧の間に至り、蔡京事を用い、悉く建中の政を改む。人皆な公の遠識に服す。
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『智囊』迎刃・韓琦英宗の初めて即位するや、慈寿(皇太后)は一日、密札を韓魏公に送り、上と高后が奉事しないことを諭し、「孀婦の為に主を作せ」の語があり、なお中貴に敕して報を俟たせた。公はただ「聖旨を領しました」と言うのみ。一日、札子を入れ、山陵に事が有ることを以て、覆を取り、晩臨の後に上殿して独り対することを乞い、謂う、「官家は驚かれますな。一つの文字を進呈せねばなりません。説き破りますが、ただ泄らさぬように。上の今日は皆慈寿の力です。恩は忘るべからず、然るに既に天属の親にあらず、ただ承奉を加えれば、自ずから事無きに至ります」と。上は曰く、「謹んで教えを奉ずる」と。また云う、「この文字は、臣は敢えて留めません。願わくは宮中で密かに燒かれよ。もし泄れれば、讒間が乗じます」と。上は唯と応じた。それより後、両宮は相い歓び、人はその跡を窺うことがなかった。〔馮述評〕宋の盛時、賢相が力を尽くすことを得たのは、皆動もすれば面対を得たことに由る。そもそも面対が便であれば畏忌が消えて情誼が洽く、これこそ肺腑を罄くすことができる所以であり、宮闈の微密の嫌いといえども、潜かに調停を用いることができる。これが章奏のみで功を収められようか。しかし、面対は全く事に因って忠を納めることにある。もし徒らに唯唯諾諾するだけならば、盛典に辜負することを免れない。これは果たして聖主が威を霽らして虚心に受け容れられなかったのか、それとも実に奇謀碩画が九重の聴を聳かすに足る者がなかったのか。請う、思え。
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