智囊 / 遠猶・陳瓘
陳公在通州。張無垢〔馮注:商英〕入相,欲引公自助,時置政典局,乃自局中奉旨,取公所著《尊堯集》,蓋將施行所論,而由局中用公也。公料其無成,書已繕寫未發,州郡復奉政典局牒催促。公乃用奏狀進表,以黃帕封緘,徼申政典局,乞於御前開拆。或謂公當徑申局中,何必通書廟堂,公曰:「恨不得直達御覽,豈可復與書耶?彼為宰相,有所施為,不於三省公行,乃置局建官若自私者,人將懷疑生忌,恐《尊堯》至而彼已動搖也,遠其跡猶恐不免,況以書耶?」已而悉如公言,張既罷黜,公亦有台州之命,責詞猶謂公「私送與張商英,意要行用」,於是眾人服公遠識。
新字:陳公在通州。張無垢〔馮注:商英〕入相,欲引公自助,時置政典局,乃自局中奉旨,取公所著《尊堯集》,蓋将施行所論,而由局中用公也。公料其無成,書已繕写未発,州郡復奉政典局牒催促。公乃用奏状進表,以黄帕封緘,徼申政典局,乞於御前開拆。或謂公当径申局中,何必通書廟堂,公曰:「恨不得直達御覧,豈可復与書耶?彼為宰相,有所施為,不於三省公行,乃置局建官若自私者,人将懐疑生忌,恐《尊堯》至而彼已動揺也,遠其跡猶恐不免,況以書耶?」已而悉如公言,張既罷黜,公亦有台州之命,責詞猶謂公「私送与張商英,意要行用」,於是衆人服公遠識。
書き下し
陳公、通州に在り。張無垢〔馮注:商英〕入りて相となり、公を引きて自ら助けしめんと欲す。時に政典局を置き、乃ち局中より旨を奉じ、公の著す所の《尊堯集》を取る。蓋し将に論ずる所を施行し、而して局中より公を用いんとするなり。公、其の成る無きを料り、書已に繕写せるも未だ発せず、州郡復た政典局の牒を奉じて催促す。公乃ち奏状を用いて表を進め、黄帕を以て封緘し、政典局に徼申し、御前に於いて開拆せられんことを乞う。或いは公は当に径ちに局中に申すべし、何ぞ必ずしも書を廟堂に通ずるやと謂う。公曰く、「直ちに御覧に達することを得ざるを恨む、豈に復た与に書を為すべけんや。彼は宰相と為りて、施為する所有るに、三省に公行せずして、乃ち局を置き官を建つること自ら私するが若し。人将に疑いを懐きて忌みを生ぜんとす。恐らくは《尊堯》至りて彼は已に動揺せん。其の跡を遠ざけて猶お免れざるを恐る、況んや書を以てせんや」と。已にして悉く公の言の如し。張既に罷黜せられ、公も亦台州の命有り。責詞に猶お公を「張商英に私送し、意は行用を要す」と謂う。是に於いて衆人は公の遠識に服す。
現代語訳
陳瓘は通州にいた。張商英(張無垢)が入朝して宰相となり、陳瓘を引き立てて自分の助けにしようとした。当時、政典局が置かれており、その局から詔を奉じて、陳瓘の著した『尊堯集』を取り寄せた。おそらく、その中の議論を実施し、政典局を通じて陳瓘を用いようとしたのだろう。陳瓘は、これが成功しないと見通し、書物はすでに清書していたが送らなかった。州郡はまた政典局の文書を受けて催促した。そこで陳瓘は、奏状の形で表を提出し、黄色い帕で封をして、政典局経由で申し出て、御前で開封されるよう願った。ある人が言った。「そのまま政典局に提出すべきなのに、なぜ宰相に書状を通じる必要があるのか」。陳瓘は言った。「直接天子のご覧に達しないことが残念なのに、どうして宰相に書状を送れようか。彼は宰相でありながら、政策を三省で公にせず、局を置き官を設けて、自分の私物のようにしている。人は疑いを抱いて忌み嫌うだろう。『尊堯集』が届いたとき、彼はすでに動揺しているだろう。痕跡を遠ざけてもなお免れるか分からないのに、まして書状など出せようか」。まもなく、すべて陳瓘の言うとおりになった。張商英はすでに罷免され、陳瓘にも台州行きの命が下った。責任を問う文言には、なお陳瓘が「張商英に私的に送り、採用を求めた」と言った。ここで人々は陳瓘の遠い見識に服した。
解説
この章句が説くこと
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