智囊 / 遠猶・李允則・程顥・畢仲游
司馬光為政,反王安石所為。畢仲游予之書曰:「昔安石以興作之說動先帝,而患財之不足也。故凡政之可以得民財者,無不用。蓋散青苗、置市易、斂役錢、變鹽法者,事也;而欲興作患不足者,情出。未能杜其興作之情,而徒欲禁其散斂變置之事,是以百說而百不行。今遂廢青苗、罷市易、蠲役錢、去鹽法,凡號為利而傷民者,一掃而更之。則向來用事於新法者,必不喜矣;不喜之人,必不但曰『青苗不可廢,市易不可罷,役錢不可蠲,鹽法不可去』,必操不足之情,言不足之事,以動上意。雖致石人而使聽之,猶將動也。如是,則廢者可復散,罷者可復置,蠲者可復斂,去者可復存矣。為今之策,當大舉天下之計,深明出入之數,以諸路所積之錢粟,一歸地官,使經費可支二十年之用。數年之間,又將十倍於今日。
新字:司馬光為政,反王安石所為。畢仲游予之書曰:「昔安石以興作之説動先帝,而患財之不足也。故凡政之可以得民財者,無不用。蓋散青苗、置市易、斂役銭、変塩法者,事也;而欲興作患不足者,情出。未能杜其興作之情,而徒欲禁其散斂変置之事,是以百説而百不行。今遂廃青苗、罷市易、蠲役銭、去塩法,凡号為利而傷民者,一掃而更之。則向来用事於新法者,必不喜矣;不喜之人,必不但曰『青苗不可廃,市易不可罷,役銭不可蠲,塩法不可去』,必操不足之情,言不足之事,以動上意。雖致石人而使聴之,猶将動也。如是,則廃者可復散,罷者可復置,蠲者可復斂,去者可復存矣。為今之策,当大舉天下之計,深明出入之数,以諸路所積之銭粟,一帰地官,使経費可支二十年之用。数年之間,又将十倍於今日。
書き下し
司馬光、政を為すに、王安石の為す所に反す。畢仲游、之に書を予えて曰く、「昔、安石は興作の説を以て先帝を動かし、而して財の足らざるを患うるなり。故に凡そ政の以て民の財を得べき者は、用いざる無し。蓋し青苗を散じ、市易を置き、役銭を斂め、塩法を変うるは、事なり。而して興作を欲して不足を患うるは、情の出づるなり。未だ其の興作の情を杜ぐ能わずして、徒らに其の散斂変置の事を禁ぜんと欲す、是を以て百説して百行われず。今遂に青苗を廃し、市易を罷め、役銭を蠲き、塩法を去り、凡そ利と号して民を傷つくる者は、一掃して之を更む。則ち向来新法に用事せる者は、必ず喜ばざらん。喜ばざるの人は、必ず但だ『青苗は廃すべからず、市易は罷むべからず、役銭は蠲くべからず、塩法は去るべからず』と曰うのみならず、必ず不足の情を操り、不足の事を言い、以て上意を動かさん。石人を致して之を聴かしむと雖も、猶お将に動かんとす。是くの如くんば、則ち廃する者は復た散ずべく、罷むる者は復た置くべく、蠲く者は復た斂むべく、去る者は復た存すべし。今の策を為さば、当に大いに天下の計を挙げ、深く出入の数を明らかにし、諸路の積む所の銭粟を以て、一に地官に帰し、経費をして二十年の用を支えしむべし。数年の間に、又将に今日の十倍ならんとす。
現代語訳
司馬光は政治を行うとき、王安石のやったことをすべて反対にした。畢仲游は彼に手紙を送った。「昔、王安石は大規模な事業の説で先帝を動かし、財源が足りないことを心配していました。そのため、民から財を得られる政策なら何でも用いました。青苗法で金を貸し付け、市易法で市場を管理し、役銭を徴収し、塩法を変えるのは、事(具体的な政策)です。ところが事業を興したいのに財源が足りないと心配するのは、情(動機)から出ています。その事業を興したい動機を断てないまま、ただ貸付、徴収、変更といった事だけを禁じようとしても、百の説を述べても百とも実行されません。今、青苗法を廃止し、市易法をやめ、役銭を免除し、塩法を廃止し、およそ利益と称して民を傷つけるものを一掃して改めようとしています。そうなれば、これまで新法で職務を担った者は、必ず喜びません。喜ばない人は、ただ『青苗法は廃止できない、市易法はやめられない、役銭は免除できない、塩法は廃止できない』と言うだけでなく、必ず財源不足という動機を操り、不足の事情を語って、皇帝の心を動かすでしょう。石の人形に聞かせても、動かされるほどです。そうなれば、廃止したものは再び貸し付けられ、やめたものは再び設けられ、免除したものは再び徴収され、廃したものは再び存続します。今の策としては、大きく天下の会計を立て、収支の数を深く明らかにし、諸路に蓄えた銭と穀物をすべて戸部に帰属させ、経費が二十年分の用に足りるようにすべきです。数年のうちに、さらに今日の十倍になるでしょう。
解説
この章句が説くこと
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