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智囊 / 遠猶・李允則・程顥・畢仲游

李允則再守長沙。湖湘之地,下田藝稻穀,高田水力不及,一委之蓁莽。允則一日出令曰:「將來並納粟米稈草。」湖民購之襄州,每一斗一束,至湘中為錢一千。自爾競以田藝粟,至今湖南無荒田,粟米妙天下焉。神宗升遐,會程顥以檄至府。舉哀既罷,留守韓康公之子宗師,問:「朝廷之事如何?」曰:「司馬君實、呂晦叔作相矣!」又問:「果作相,當如何?」曰:「當與元豐大臣同,若先分黨與,他日可憂。」韓曰:「何憂?」曰:「元豐大臣皆嗜利者,使自變其已甚害民之法,則善矣。不然,衣冠之禍未艾也。君實忠直,難與議,晦叔解事,恐力不足耳。」已而皆驗。〔馮述評〕建中初〔馮注:徽宗年號〕,江公望為左司諫,上言:「神考與元祐〔馮注:哲宗初號〕諸臣,非有斬祛、射鉤之隙也,先帝信仇人黜之。陛下若立元祐為名,必有元豐〔馮注:神宗改元〕、紹聖〔馮注:哲宗改元〕為之對,有對則爭興,爭興則黨復立矣。」

新字:李允則再守長沙。湖湘之地,下田芸稲穀,高田水力不及,一委之蓁莽。允則一日出令曰:「将来並納粟米稈草。」湖民購之襄州,毎一斗一束,至湘中為銭一千。自爾競以田芸粟,至今湖南無荒田,粟米妙天下焉。神宗升遐,会程顥以檄至府。舉哀既罷,留守韓康公之子宗師,問:「朝廷之事如何?」曰:「司馬君実、呂晦叔作相矣!」又問:「果作相,当如何?」曰:「当与元豊大臣同,若先分党与,他日可憂。」韓曰:「何憂?」曰:「元豊大臣皆嗜利者,使自変其已甚害民之法,則善矣。不然,衣冠之禍未艾也。君実忠直,難与議,晦叔解事,恐力不足耳。」已而皆験。〔馮述評〕建中初〔馮注:徽宗年号〕,江公望為左司諫,上言:「神考与元祐〔馮注:哲宗初号〕諸臣,非有斬祛、射鉤之隙也,先帝信仇人黜之。陛下若立元祐為名,必有元豊〔馮注:神宗改元〕、紹聖〔馮注:哲宗改元〕為之対,有対則争興,争興則党復立矣。」

書き下し

李允則、再び長沙を守る。湖湘の地、下田は稲穀を藝え、高田は水力及ばず、一に蓁莽に委ぬ。允則一日令を出して曰く、「将来は並びに粟米・稈草を納めよ」と。湖民之を襄州に購い、一斗毎に一束、湘中に至りて銭一千と為る。爾自り競いて田に粟を藝え、今に至るまで湖南に荒田無く、粟米は天下に妙なり。神宗升遐し、会たま程顥、檄を以て府に至る。哀を挙げ既に罷み、留守韓康公の子宗師、問う、「朝廷の事は如何」と。曰く、「司馬君実・呂晦叔、相と作れり」と。又問う、「果たして相と作らば、当に如何すべき」と。曰く、「当に元豊の大臣と同にすべし。若し先に党与を分かたば、他日憂うべし」と。韓曰く、「何をか憂えん」と。曰く、「元豊の大臣は皆な利を嗜む者なり。其をして自ら其の已に民を害すること甚だしきの法を変えしめば、則ち善し。然らずんば、衣冠の禍は未だ艾きず。君実は忠直にして、与に議し難し。晦叔は事を解するも、恐らくは力足らざらん」と。已にして皆な験あり。〔馮述評〕建中の初め〔馮注:徽宗の年号〕、江公望、左司諫と為り、上言す、「神考と元祐〔馮注:哲宗の初号〕の諸臣は、斬袪・射鉤の隙有るに非ざるなり。先帝は仇人を信じて之を黜く。陛下若し元祐を立てて名と為さば、必ず元豊〔馮注:神宗の改元〕・紹聖〔馮注:哲宗の改元〕の之が対を為す有らん。対有らば則ち争い興り、争い興らば則ち党復た立たん」と。

現代語訳

李允則は再び長沙を治めた。湖南の地は、低い田では稲を植えたが、高い田には水が届かず、すべて雑草に任せていた。李允則はある日、命令を出した。「今後は、粟(あわ)と茎の草を納めよ」。湖南の民はそれを襄州で買い求め、一斗ごとに一束、湘中に届くと銭一千にもなった。それ以来、競って田に粟を植え、今に至るまで湖南には荒れ地がなく、粟は天下に優れている。神宗が崩御したとき、ちょうど程顥が公文書を携えて府に来た。弔いが終わると、留守の韓康公の子の宗師が尋ねた。「朝廷のことはどうなりますか」。程顥は「司馬光と呂公著が宰相になりました」と答えた。さらに「本当に宰相になったら、どうすべきですか」と問われ、答えた。「元豊の大臣たちと協調すべきです。先に党派を分けたら、将来が心配です」。韓は言った。「何を憂えるのですか」。「元豊の大臣は皆、利益を好む人たちです。彼ら自身に民を大いに害した法を変えさせれば良い。そうしなければ、官僚たちの禍は尽きません。司馬光は忠実で正直ですが、相談しにくい。呂公著は物事をよく分かっていますが、力が足りないかもしれません」。その後、すべてその通りになった。〔馮夢龍の評〕建中の初め〔馮夢龍の注:徽宗の年号〕、江公望は左司諫となって上言した。「神宗と元祐〔注:哲宗の初めの年号〕の諸臣には、斬袪や射鉤のような(命を狙った)恨みはありません。先帝は仇敵を信じて彼らを退けました。陛下がもし元祐を名目として立てれば、必ず元豊〔注:神宗の改元〕や紹聖〔注:哲宗の改元〕がその対となります。対ができれば争いが起こり、争いが起こればまた党派ができます」。

解説

李允則は、水の届かない高田を荒れ地のまま放置せず、粟と草を納める命令で、民が自分から作物を植えるように仕向けました。命令は一見強引ですが、荒地が消え、地域の産物ができました。一方、程顥は新旧両派が対立する時、元豊の大臣たち自身に法を改めさせるべきで、先に党派を分けるべきではないと見ました。馮夢龍も、名目を立てれば対抗する名目が生まれ、争いが再燃すると見ています。現代の組織でも、新旧の路線を二分すると対立が固定化するため、改革は旧来の人を巻き込みながら進める配慮が必要です。

この章句が説くこと

荒田粟米稈草元豊の大臣党与を分かつ党争改革

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