晏子春秋 / 諫下・景公自矜冠裳遊處之貴晏子諫
景公為西曲潢,其深滅軌,高三仞,橫木龍蛇,立木鳥魯。公衣黼黻之衣,素繡之裳,一衣而五彩具焉,帶球玉而冠且,被髮亂首,南面而立,傲然。晏子見,公曰:「昔仲父之霸何如?」晏子抑首而不對。公又曰:「昔仲父之霸何如?」晏子對曰:「臣聞之,維翟人與龍蛇比,今君橫木龍蛇,立木鳥魯,亦室一就矣,何暇在霸哉。且公伐公室之美,矜衣服之麗,一衣而五彩具焉,帶球玉而冠且,被髮亂首,亦室一容矣。萬乘之君,而壹心於邪,君之魂魄亡矣,以誰與圖霸哉?」公下堂就晏子曰:「梁丘據、裔款以室之成告寡人,是以竊襲此服,與據款為笑,又使夫子及,寡人請改室易服,而敬聽命,其可乎?」晏子曰:「夫二子營君以邪,公安得知道哉!且伐木不自其根,則蘖又生也,公何不去二子者,毋使耳目淫焉。」
新字:景公為西曲潢,其深滅軌,高三仞,横木竜蛇,立木鳥魯。公衣黼黻之衣,素繍之裳,一衣而五彩具焉,帯球玉而冠且,被髪乱首,南面而立,傲然。晏子見,公曰:「昔仲父之覇何如?」晏子抑首而不対。公又曰:「昔仲父之覇何如?」晏子対曰:「臣聞之,維翟人与竜蛇比,今君横木竜蛇,立木鳥魯,亦室一就矣,何暇在覇哉。且公伐公室之美,矜衣服之麗,一衣而五彩具焉,帯球玉而冠且,被髪乱首,亦室一容矣。万乗之君,而壱心於邪,君之魂魄亡矣,以誰与図覇哉?」公下堂就晏子曰:「梁丘拠、裔款以室之成告寡人,是以窃襲此服,与拠款為笑,又使夫子及,寡人請改室易服,而敬聴命,其可乎?」晏子曰:「夫二子営君以邪,公安得知道哉!且伐木不自其根,則蘖又生也,公何不去二子者,毋使耳目淫焉。」
書き下し
景公西曲潢を為る。其の深さ軌を滅し、高さ三仞、木を横たえて龍蛇とし、木を立てて鳥魯とす。公黼黻の衣、素繡の裳を衣て、一衣にして五彩具わり、球玉を帯びて冠且、被髪乱首にして、南面して立ち、傲然たり。晏子見ゆ。公曰く、「昔仲父の霸は何如」と。晏子首を抑えて対えず。公又た曰く、「昔仲父の霸は何如」と。晏子対えて曰く、「臣之を聞く、維れ翟人は龍蛇と比すと。今君木を横たえて龍蛇とし、木を立てて鳥魯とす、亦た室の一就なり、何ぞ霸に在るに暇あらんや。且つ公室の美を伐り、衣服の麗を矜り、一衣にして五彩具わり、球玉を帯びて冠且、被髪乱首なるは、亦た室の一容なり。万乗の君にして、一心に邪に壱にす、君の魂魄亡せり、誰と与にか霸を図らんや」と。公堂を下りて晏子に就きて曰く、「梁丘据、裔款は室の成るを以て寡人に告ぐ、是を以て窃かに此の服を襲い、据款と笑いを為す、又た夫子をして及ばしむ、寡人請う室を改め服を易え、而して敬んで命を聴かん、其れ可ならんか」と。晏子曰く、「夫れ二子は君を営わすに邪を以てす、公安んぞ道を知るを得んや。且つ木を伐るに其の根よりせざれば、則ち蘖又た生ず。公何ぞ二子の者を去りて、耳目をして淫せしむる毋からざる」と。
現代語訳
景公は西に曲がった水路を作りました。深さは車輪の跡が隠れるほど、高さは三仞で、横木で龍や蛇を作り、立木で鳥を作りました。公は縫い取りのある衣と白い刺繍の裳を着て、一枚の衣に五つの色がそろい、球玉を帯びて冠をかぶり、髪を乱したまま南向きに立ち、傲然としていました。晏子が参内すると、公は「昔の仲父の覇業はどうだったか」と聞きました。晏子はうつむいて答えません。公がもう一度尋ねると、晏子は答えました。「私は、翟人は龍や蛇と並ぶものだと聞いています。今、殿は横木を龍蛇にし、立木を鳥にしましたが、これは住まいの一つの完成にすぎません。どうして覇業を語る暇がありましょうか。また殿は宮室の美を誇り、衣服の華やかさを自慢し、一枚の衣に五彩をそろえ、球玉を帯び、髪を乱しておられますが、これも住まいの一つの姿にすぎません。万乗の君でありながら、心を一つに邪に傾けておられては、魂魄が失われています。誰とともに覇業を図るのですか。」公は堂を下りて晏子に近づき、言いました。「梁丘据と裔款が住まいの完成を私に告げたので、こっそりこの服を着て、二人と笑い合っていたのだ。そこへあなたが来た。住まいを改め、服を替えて、謹んで命を聴きたい。よいだろうか。」晏子は言いました。「その二人は殿を邪で惑わせます。殿はどうして道を知ることができましょう。木を伐るのに根から断たなければ、ひこばえがまた生えます。殿はなぜその二人を遠ざけ、耳目を惑わせないようになさらないのですか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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