智囊 / 遠猶・李允則・程顥・畢仲游
使天子曉然知天下之餘於財也。則不足之論不得陳於前,而後新法始可永罷而不行。昔安石之居位也,中外莫非其人,故其法能行。今欲救前日之弊,而左右待職司使者,約十有七八皆安石之徒。雖起二三舊臣,用六七君子,然累百之中存其十數,烏在其勢之可為也?勢未可為而欲為之,則青苗雖廢將復散,況未廢乎?市易、役錢、鹽法亦莫不然。以此救前日之弊,如人久病而少間,其父子兄弟喜見顏色而未敢賀者,以其病之猶在也。」光得書聳然,竟如其慮。
新字:使天子暁然知天下之余於財也。則不足之論不得陳於前,而後新法始可永罷而不行。昔安石之居位也,中外莫非其人,故其法能行。今欲救前日之弊,而左右待職司使者,約十有七八皆安石之徒。雖起二三旧臣,用六七君子,然累百之中存其十数,烏在其勢之可為也?勢未可為而欲為之,則青苗雖廃将復散,況未廃乎?市易、役銭、塩法亦莫不然。以此救前日之弊,如人久病而少間,其父子兄弟喜見顔色而未敢賀者,以其病之猶在也。」光得書聳然,竟如其慮。
書き下し
天子をして暁然として天下の財に余り有るを知らしめば、則ち不足の論は前に陳ぶるを得ず、而して後に新法は始めて永く罷めて行われざるべし。昔、安石の位に居るや、中外は其の人に非ざる莫し、故に其の法能く行われたり。今、前日の弊を救わんと欲するも、左右に職司使者を待つ者、約ね十に七八は皆な安石の徒なり。二三の旧臣を起こし、六七の君子を用うと雖も、累百の中に其の十数を存するのみ、烏くんぞ其の勢の為すべきに在らん。勢の未だ為すべからずして之を為さんと欲せば、則ち青苗は廃すると雖も将に復た散ぜんとす、況んや未だ廃せざるをや。市易・役銭・塩法も亦た然らざる莫し。此を以て前日の弊を救わんとするは、人の久病して少し間あり、其の父子兄弟は顔色に喜見すれども未だ敢えて賀せざるが如し、其の病の猶お在るを以てなり」と。光、書を得て聳然とするも、竟に其の慮の如し。
現代語訳
天子にはっきりと、天下の財には余裕があると理解させれば、財源不足の議論は御前で述べられなくなり、そうして初めて新法は永久に廃止され、行われなくなるでしょう。昔、王安石が高位にいたとき、中央も地方も彼の味方でない人はいなかったので、その法が行われました。今、前日の弊害を救おうとしても、側近や職務に就いている使者のうち、およそ七、八割は王安石の仲間です。二、三人の旧臣を登用し、六、七人の君子を用いても、百のうち十数人にすぎません。どうして勢いを得られるでしょう。勢いがまだ得られていないのに実行しようとすれば、青苗法は廃止しても再び貸し付けられるでしょう。まして廃止していないものはなおさらです。市易、役銭、塩法も、すべて同様です。これで前日の弊害を救おうとするのは、人が長く病んで少しよくなったとき、その父子兄弟が顔に喜びの色を見せるけれど、まだ祝おうとはしない、病がまだ残っているからだ、というようなものです」。司馬光は手紙を受け取って驚いたが、結局、畢仲游が危惧したとおりになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五是に於て燕王因りて国を挙げて之に属す、子之大いに重し。一に曰く、潘寿は、隠者なり。燕人をして之を聘せしむ。潘寿燕王に見えて曰く、「臣子之の益の如くならんことを恐るるなり」と。王曰く、「何の益ぞや」と。対へて曰く、「古者禹死し、将に天下を益に伝へんとす、啓の人因りて相与に益を攻めて啓を立つ。今王子之を信愛し、将に国を子之に伝へんとす、太子の人尽く印を懐き、子之の人為る者一人の朝廷に在る者無し。王不幸にして羣臣を弃てなば、則ち子之も亦益ならん」と。王因りて吏の璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之大いに重し。夫れ人主の鏡照とする所以の者は、諸侯の士徒なり、今諸侯の士徒は皆私門の党なり。人主の自ら浅娋する所以の者は、巌穴の士徒なり、今巌穴の士徒は皆私門の舎人なり。是れ何ぞや。奪褫の資子之に在ればなり。故に呉章曰く、「人主は佯りて人を憎愛せず。佯りて人を愛すれば、復た憎むを得ざるなり。佯りて人を憎めば、復た愛するを得ざるなり」と。一に曰く、燕王国を子之に伝へんと欲するや、之を潘寿に問ふ、対へて曰く、「禹益を愛して天下を益に任じ、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓を以て天下に任ずるに足らずと為す、故に天下を益に伝ふ、而して勢重尽く啓に在るなり。已にして啓友党と益を攻めて之が天下を奪ふ、是れ禹名は天下を益に伝へて、実は啓をして自ら之を取らしむるなり。此れ禹の堯・舜に及ばざること明らかなり。今王之を子之に伝へんと欲す、而して吏太子の人に非ざる者無きなり、是れ名は之を伝へて実は太子をして自ら之を取らしむるなり」と。燕王乃ち璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之遂に重し。
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『墨子』尚同中今、王公大人の刑政を為すは則ち此を舉ぐ。政、以て便辟を屬し、父兄故舊に宗りて、以て左右と為し、置きて以て正長と為す。民、上の正長を置くの、正しく以て民を治むるに非ざるを知る。是を以て皆な比周隠匿して、肯えて其の上に尚同すること莫し。是の故に上下、義を同じくせず。若し茍くも上下、義を同じくせざれば、賞譽も以て善を勸むるに足らずして、刑罰も以て暴を沮むるに足らず。
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