智囊 / 遠猶・富弼・司馬光
元旦日食,富弼請罷宴撤樂,呂夷簡不從。弼曰:「萬一契丹行之,恐為中國羞。」後有自契丹還者,言虜是日罷宴。仁宗深悔之。〔馮述評〕值華、虜爭勝之日,故以契丹為言。其實理合罷宴,不係虜之行不行也。交趾貢異獸,謂之麟。司馬公言:「真偽不可知。使其真,非自至不為瑞;若偽,為遠夷笑。願厚賜而還之。」〔馮述評〕方知秦皇、漢武之愚。
新字:元旦日食,富弼請罷宴撤楽,呂夷簡不従。弼曰:「万一契丹行之,恐為中国羞。」後有自契丹還者,言虜是日罷宴。仁宗深悔之。〔馮述評〕値華、虜争勝之日,故以契丹為言。其実理合罷宴,不係虜之行不行也。交趾貢異獣,謂之麟。司馬公言:「真偽不可知。使其真,非自至不為瑞;若偽,為遠夷笑。願厚賜而還之。」〔馮述評〕方知秦皇、漢武之愚。
書き下し
元旦、日食あり。富弼、宴を罷め楽を撤せんことを請う。呂夷簡従わず。弼曰く、「万一契丹之を行わば、恐らくは中国の羞と為らん」と。後、契丹より還る者有り、虜は是の日宴を罷めたりと言う。仁宗深く之を悔ゆ。〔馮述評〕華・虜、勝ちを争うの日に値う、故に契丹を以て言を為す。其の実、理として宴を罷むべく、虜の行うと行わざるとに係らざるなり。交趾、異獣を貢し、之を麟と謂う。司馬公言う、「真偽知るべからず。使し其れ真ならば、自ら至るに非ざれば瑞と為さず。若し偽ならば、遠夷の笑いと為らん。願わくは厚く賜いて之を還さんことを」と。〔馮述評〕方に秦皇・漢武の愚を知る。
現代語訳
元日に日食があった。富弼は宴会と音楽を取りやめるよう願い出たが、呂夷簡は聞き入れなかった。富弼は言った。「万一、契丹が取りやめたなら、中国の恥になります」。のちに契丹から帰った者が、あちらはその日宴を取りやめていたと報告した。仁宗は深く悔やんだ。〔馮夢龍の評〕当時は中国と異民族が優劣を争っていたので、富弼は契丹を引き合いに出した。しかし本当は、道理として宴を取りやめるべきで、異民族がやるかやらないかは関係がない。また、交趾が珍しい獣を献上し、これを麒麟だと言った。司馬光は言った。「真偽は分かりません。もし本物でも、自然に現れたのでなければ瑞祥とは言えません。もし偽物なら、遠方の異民族に笑われます。手厚く褒美を与えて返すのがよいでしょう」。〔馮夢龍の評〕これでようやく、秦の始皇帝や漢の武帝の愚かさが分かる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心上 第五章此の章専ら学問思弁の益を云ふ。世には生質甚だ美にして、言を慎み行ひを謹み、入りては孝、出でては弟、郷党之れを愛し、朋友之れを信ずる、一箇の善人あり。此の様の人は別に学問を為さずとも済むべき様なれども、生質の美にて能く是れ程の事を為せども、学問せず思弁せざれば、何か天下の大乱・人倫の至変・忠孝の大関係あることに至りて、却つて大いに謬戻を生ずることあり。是れ「著らかならず、察らかならず」の弊なり。故に学問思弁は固より日用常行の為めなれども、日用常行は無学にても可也に出来る者衆ければ、是れを以て学問思弁と罵るに足らず。必ずや大節大義に明らかに、天下の大乱・人倫の至変に至りて謬戻なき如く常々工夫すべし。是れ学問思弁の功に非ずんば、悪んぞ能く是に至らんや。
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『驢鞍橋』卷上壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に対して曰く、当寺の大衆一様に志出来、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ仏法繁昌の基也。則ち示曰、仏法の至極したる処を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に仏弟子と為りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の涙を流し、跳り上つて仏意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。
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史記 楚世家九年、若敖氏に相たり。人或いは之を王に讒す。誅せられんことを恐れ、反って王を攻む。王撃ちて若敖氏の族を滅ぼす。十三年、舒を滅ぼす。十六年、陳を伐ち、夏徴舒を殺す。徴舒其の君を弑す。故に之を誅するなり。已に陳を破り、即ち之を県とす。群臣皆賀す。申叔時斉に使ひして来たり、賀せず。王問ふ。対へて曰く、「鄙語に曰く、牛を牽きて人の田を徑(わた)れば、田主其の牛を取る、と。徑る者は則ち直からず。之が牛を取るは亦た甚だしからずや。且つ王陳の乱を以て諸侯を率ゐて之を伐つ。義を以て之を伐ちて其の県を貪る。亦た何を以て復た天下に令せん」と。荘王乃ち陳の後を復国す。十七年春、楚の荘王鄭を囲み、三月にして之に克つ。皇門より入る。鄭伯肉袒し羊を牽きて以て逆へて曰く、「孤天ならず、君に事ふること能はず。君用て怒りを懐き、以て敝邑に及ぶ。孤の罪なり。敢て惟だ命を是れ聴かざらんや。之を南海に賓(しりぞ)くるも、若しくは臣妾を以て諸侯に賜ふも、亦た惟だ命を是れ聴かん。若し君厲・宣・桓・武を忘れず、其の社稷を絶たず、改めて君に事へしめば、孤の願ひなり。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。楚の群臣曰く、「王許すこと勿かれ」と。荘王曰く、「其の君能く人に下る。必ず能く其の民を信用せん。庸ぞ絶つべけんや」と。荘王自ら旗を手にし、左右に軍を麾(さしまね)き、兵を引きて去ること三十里にして舎り、遂に之に平らぐことを許す。潘尪入りて盟ひ、子良出でて質たり。夏六月、晋鄭を救ひ、楚と戦ふ。大いに晋の師を河上に敗り、遂に衡雍に至りて帰る。二十年、宋を囲む。楚の使ひを殺せしを以てなり。宋を囲むこと五月、城中食尽き、子を易へて食らひ、骨を析きて炊ぐ。宋の華元出でて告ぐるに情を以てす。荘王曰く、「君子なるかな」と。遂に兵を罷めて去る。二十三年、荘王卒し、子の共王審立つ。共王の十六年、晋鄭を伐つ。鄭急を告ぐ。共王鄭を救ふ。晋の兵と鄢陵に戦ふ。晋楚を敗り、共王の目に射中つ。共王将軍子反を召す。
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『春秋左氏伝』哀公十四年 陳恒、簡公を弑す六月、左師巢をして之を伐たしむ。大夫を質として以て入らんと欲す。能はず。亦た曹に入りて質を取らんとす。魋曰く、「不可なり。既に君に事ふる能はず、又罪を民に得ば、將に之を若何せん」と。乃ち之を舍(ゆる)す。民遂に之に叛く。向魋衛に奔る。向巢來奔す。宋公之を止めしめて曰く、「寡人子と言有り。以て向氏の祀を絕つ可からず」と。辭して曰く、「臣の罪大なり。盡く桓氏を滅ぼすも可なり。若し先臣の故を以て、後有らしめば、君の惠なり。臣の若きは則ち以て入る可からず」と。司馬牛其の邑と珪とを致して、齊に適く。向魋衛の地に出づ。公文氏之を攻め、夏后氏の璜を求む。之に他の玉を與へて、齊に奔る。陳成子次卿と為さしむ。司馬牛又其の邑を致して、吳に適く。吳人之を惡みて反る。趙簡子之を召き、陳成子も亦た之を召く。魯の郭門の外に卒す。阬氏諸を丘輿に葬る。甲午、齊の陳恆其の君壬を舒州に弒す。孔丘三日齊(ものいみ)して、齊を伐たんことを請ふこと三たび。公曰く、「魯の齊の為に弱めらるること久し。子の之を伐つ、將に之を若何せん」と。對へて曰く、「陳恆其の君を弒す。民の與せざる者半ばなり。魯の眾を以て、齊の半ばに加へば、克つ可きなり」と。公曰く、「子季孫に告げよ」と。孔子辭す。退きて人に告げて曰く、「吾大夫の後に從ふを以てなり。故に敢へて言はずんばあらず」と。初め孟孺子洩將に馬を成に圉(か)はんとす。成の宰公孫宿受けずして曰く、「孟孫成の病なるが為に、焉に馬を圉はず」と。孺子怒り、成を襲ふ。從者入るを得ず。乃ち反る。成の有司使ひす。孺子之を鞭うつ。秋八月辛丑、孟懿子卒す。成人喪に奔る。內(い)れず。袒免して衢に哭し、共を聽かんとす。許さず。懼れて歸らず。
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史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。
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『春秋左氏伝』成公二年 我が疆、我が理蕭同叔子は他に非ず、寡君の母なり。若し匹敵を以てせば、則ち亦た晉君の母なり。吾子大命を諸侯に布きて、曰く、必ず其の母を質として以て信と為さんと。其れ王命を若何せん。且つ是れ不孝を以て令するなり。詩に曰く、『孝子匱しからず、永く爾が類に錫ふ』と。若し不孝を以て諸侯に令せば、其れ乃ち德類に非ざること無からんや。先王天下を疆理し、土の宜しきを物して其の利を布く。故に詩に曰く、『我が疆我が理、其の畝を南東にす』と。今吾子諸侯を疆理して、曰く、盡く其の畝を東にせよと。唯だ吾子の戎車是れ利するのみにして、土の宜しきを顧みず、其れ乃ち先王の命に非ざること無からんや。先王に反くは則ち不義なり、何を以てか盟主と為らん。其れ晉實に闕くる有り。四王の王たるや、德を樹てて同欲を濟す。五伯の霸たるや、勤めて之を撫し、以て王命に役す。今吾子諸侯を合せんことを求めて、以て無疆の欲を逞しくす。詩に曰く、『政を布くこと優優たり、百祿是れ遒まる』と。子實に優ならずして、百祿を棄つ。
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