武治提要 / 傳璽・第11段
父將老て、政事を執こと不叶、以て武德を後將に傳へ、或は死して而して后、後將に任ずるが如き、皆士道の大義により、やむことを得ざるの道を以てするにあり。此間毫末も人欲の私意を以て、其則を加損すべからず。
新字:父将老て、政事を執こと不叶、以て武徳を後将に伝へ、或は死して而して后、後将に任ずるが如き、皆士道の大義により、やむことを得ざるの道を以てするにあり。此間毫末も人欲の私意を以て、其則を加損すべからず。
書き下し
父將老て、政事を執こと不叶、以て武德を後將に傳へ、或は死して而して后、後將に任ずるが如き、皆士道の大義により、やむことを得ざるの道を以てするにあり。此間毫末も人欲の私意を以て、其則を加損すべからず。
現代語訳
父の将が老いて、政事を執ることができなくなり、武徳を後の将に伝えるにあたって、または死んだ後で後の将に任じるといったことは、すべて士道の大義によって、やむを得ない道としてなされるものです。この間、わずかでも人欲の私意をもって、その定めに加減してはなりません。
解説
短い段ですが、地位の継承は私情を交えず、士道の大義に従って行えと求めています。高齢で政事が執れなくなったときの譲りも、死後の任命も、いずれもやむを得ない道として行うべきものだと位置づけます。そして、その間に少しでも私的な欲を入れ、定めを増減してはならないと戒めます。継承の局面では、人は愛着や不安から、基準を曲げたくなるものです。事業承継でも、退く側が名誉や影響力を手放せず、後任の裁量を狭めたり、条件を恣意的に変えたりすることは珍しくありません。基準を事前に定め、ぶらさず適用することが、公正な交代の条件になります。
この章句が説くこと
私意大義承継公正引き際武治提要
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