智囊 / 遠猶・宋太祖
神宗一日行後苑,見牧猳豬者,問:「何所用?」牧者曰:「自太祖來,嘗令畜,自稚養至大,則殺之,更養稚者。累朝不改,亦不知何用。」神宗命革之,月餘,忽獲妖人於禁中,索豬血澆之,倉卒不得,方悟祖宗遠慮。
新字:神宗一日行後苑,見牧猳豬者,問:「何所用?」牧者曰:「自太祖来,嘗令畜,自稚養至大,則殺之,更養稚者。累朝不改,亦不知何用。」神宗命革之,月余,忽獲妖人於禁中,索豬血澆之,倉卒不得,方悟祖宗遠慮。
書き下し
神宗、一日、後苑を行き、猳豬を牧する者を見て、問う、「何の用ぞ」と。牧者曰く、「太祖より来、嘗て畜わしむ。稚きより養いて大に至れば、則ち之を殺し、更に稚きものを養う。累朝改めず、亦た何の用なるかを知らず」と。神宗は命じて之を革めしむ。月余にして、忽ち妖人を禁中に獲、豬血を索めて之に澆ぐに、倉卒に得ず。方に祖宗の遠慮を悟れり。
現代語訳
神宗はある日、後苑を歩いていて、雄の豚を飼っている者を見かけ、尋ねました。「何に使うのか。」飼い手は言いました。「太祖の時代から、ずっと飼わせております。子豚のころから育てて、大きくなれば殺し、また子豚を育てます。歴代の朝廷でも改められず、何に使うのかも存じません。」神宗は命じてこれをやめさせました。一か月余りして、突然、禁中で妖術使いを捕らえました。豚の血を求めてこれにかけようとしましたが、急なことで手に入りませんでした。そこで初めて、祖先の遠い先のことまで見通した深い考えを悟りました。
解説
目的が不明なまま続けられてきた慣習にも、意味があるかもしれないという教訓です。神宗は、用途の分からない豚の飼育を無駄と判断して廃止しましたが、直後に妖人が現れ、豚の血が必要になる場面で、先祖の備えの意味を理解します。これは、慣習を見直す際に、理由が分からないという理由だけで廃止する危険を示す話です。現代の管理職も、組織に残る古い手続きや備えを見直すときは、導入された背景やリスク対策としての意味を調べてから判断する必要があります。改革を急ぐ前の確認の大切さを考えさせます。
この章句が説くこと
猳豬祖宗遠慮妖人慣習の見直しリスク対策前例の意味
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