智囊 / 遠猶・蘇頌・宋太祖
蘇頌執政時,見哲宗年幼,每大臣奏事,但取決於宣仁。哲宗有言,或無對者;唯頌奏宣仁後,必再稟哲宗;有宣諭,必告諸臣俯伏而聽。及貶元祐故官,御史周秩並劾頌,哲宗曰:「頌知君臣之義,無輕議此老。」宋太祖推戴之初,陳橋守門者拒而不納,遂如封丘門,抱關吏望風啟鑰。及即位,斬封丘吏而官陳橋者,以旌其忠。至正間,廣東王成、陳仲玉作亂。東莞人何真請於行省,舉義兵,擒仲玉以獻。成築砦自守,圍之,久不下。真募人能縛成者,予錢十千,於是成奴縛之以出,真笑謂成曰:「公奈何養虎為害?」成慚謝。奴求賞,真如數與之。使人具湯鑊,駕諸轉輪車上。成懼,謂將烹己。真乃縛奴於上,促烹之。使數人鳴鼓推車,號於眾曰:「四境有奴縛主者,視此!」人服其賞罰有章,嶺表悉歸心焉。〔馮述評〕高祖戮丁公而封項伯,賞罰為不均矣;光武封蒼頭子密為不義侯,尤不可訓。當以何真為正。
新字:蘇頌執政時,見哲宗年幼,毎大臣奏事,但取決於宣仁。哲宗有言,或無対者;唯頌奏宣仁後,必再稟哲宗;有宣諭,必告諸臣俯伏而聴。及貶元祐故官,御史周秩並劾頌,哲宗曰:「頌知君臣之義,無軽議此老。」宋太祖推戴之初,陳橋守門者拒而不納,遂如封丘門,抱関吏望風啓鑰。及即位,斬封丘吏而官陳橋者,以旌其忠。至正間,広東王成、陳仲玉作乱。東莞人何真請於行省,舉義兵,擒仲玉以献。成築砦自守,囲之,久不下。真募人能縛成者,予銭十千,於是成奴縛之以出,真笑謂成曰:「公奈何養虎為害?」成慚謝。奴求賞,真如数与之。使人具湯鑊,駕諸転輪車上。成懼,謂将烹己。真乃縛奴於上,促烹之。使数人鳴鼓推車,号於衆曰:「四境有奴縛主者,視此!」人服其賞罰有章,嶺表悉帰心焉。〔馮述評〕高祖戮丁公而封項伯,賞罰為不均矣;光武封蒼頭子密為不義侯,尤不可訓。当以何真為正。
書き下し
蘇頌、政に執るとき、哲宗の年幼きを見、大臣の事を奏する毎に、但だ宣仁に決を取る。哲宗に言有るも、或いは対うる者無し。唯だ頌のみ宣仁に奏して後、必ず再び哲宗に稟す。宣諭有らば、必ず諸臣に告げて俯伏して聴かしむ。元祐の故官を貶するに及び、御史の周秩は並びに頌を劾す。哲宗曰く、「頌は君臣の義を知る。軽がるしく此の老を議する無かれ」と。宋の太祖の推戴の初め、陳橋の守門者は拒んで納れず、遂に封丘門に如く。抱関の吏は風を望みて鑰を啓く。即位するに及び、封丘の吏を斬りて陳橋の者を官とし、以て其の忠を旌す。至正の間、広東の王成・陳仲玉、乱を作す。東莞の人何真、行省に請い、義兵を挙げ、仲玉を擒えて以て献ず。成は砦を築いて自ら守る。これを囲むも、久しく下らず。真は人の能く成を縛る者を募り、銭十千を予えんとす。是に於て成の奴これを縛して出ず。真は笑いて成に謂いて曰く、「公、奈何ぞ虎を養いて害を為すや」と。成は慚じて謝す。奴は賞を求む。真は数のごとくこれを与う。人をして湯鑊を具え、諸れを転輪車上に駕せしむ。成は懼れ、将に己を烹んとすと謂う。真は乃ち奴を上に縛り、促してこれを烹る。数人をして鼓を鳴らして車を推し、衆に号して曰く、「四境に奴の主を縛る者あらば、此れを視よ」と。人はその賞罰の章有るに服し、嶺表は悉く心を帰す。〔馮述評〕高祖の丁公を戮して項伯を封ずるは、賞罰の均しからずと為す。光武の蒼頭子密を封じて不義侯と為すは、尤も訓とすべからず。当に何真を以て正と為すべし。
現代語訳
蘇頌は政務をとっていたとき、哲宗がまだ年少なのを見て、大臣たちが何かを奏上するたびに、宣仁太后だけが決裁をとっているのを見ました。哲宗が何か言っても、答える者がいないことがありました。ただ蘇頌だけは、宣仁太后に奏上したあと、必ずもう一度哲宗にも申し上げました。皇帝のお言葉があれば、必ず群臣に告げて、身をかがめて聞かせました。元祐年間の旧臣たちが貶められるに及んで、御史の周秩は蘇頌も弾劾しました。哲宗は言いました。「蘇頌は君臣の義をわきまえている。この老人を軽々しく論じてはならない。」宋の太祖が推戴されたはじめ、陳橋の門番は拒んで入れず、そこで封丘門に向かいました。封丘門の関守は、様子を見て扉を開けました。即位すると、封丘の門番を斬って、陳橋の門番を官位につけ、その忠義を表彰しました。至正年間、広東の王成と陳仲玉が乱を起こしました。東莞の何真は行省に願い出て、義兵を挙げ、仲玉を捕らえて献上しました。王成は砦を築いて立てこもっていました。これを包囲しても、長いあいだ落ちませんでした。何真は、王成を縛れる者を募り、銭十千を与えると言いました。そこで王成の奴が主人を縛って出てきました。何真は笑って王成に言いました。「公よ、どうして虎を飼って害をなすのか。」王成は恥じて謝りました。奴は恩賞を求めました。何真は約束どおり与えました。そして人に命じて湯の鑊を用意し、回転する車に載せました。王成は恐れ、自分を煮るのだと思いました。何真はそこで奴を鑊の上に縛り、急がせて煮させました。数人に太鼓を鳴らして車を押させ、人々に呼びかけました。「四方の領内に、奴で主人を縛る者がいたら、これを見よ。」人々は賞罰の筋が通っていることに服し、嶺南の地はすべて心を寄せました。〔馮夢龍の評〕漢の高祖が丁公を斬って項伯に封じたのは、賞罰が不公平でした。光武帝が蒼頭の子密を封じて不義侯としたのは、なお手本にすべきではありません。何真の例こそ正しいとすべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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人物志・流業是を主道得られて臣道序すと謂い、官方を易えずして、太平用て成る。
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
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『春秋左氏伝』昭公七年 天に十日、人に十等天に十日有り、人に十等有り。下は上に事ふる所以、上は神に共する所以なり。故に王は公を臣とし、公は大夫を臣とし、大夫は士を臣とし、士は皁を臣とし、皁は輿を臣とし、輿は隸を臣とし、隸は僚を臣とし、僚は僕を臣とし、僕は臺を臣とす。馬に圉有り、牛に牧有り、以て百事を待つ。今有司曰く、『女胡ぞ人を王宮に執ふる』と。將た焉にか之を執へん。周の文王の法に曰く、『亡有れば荒(おほ)いに閱す』と。天下を得し所以なり。吾が先君文王、僕區の法を作りて曰く、『盜の隱す所の器は、盜と罪を同じくす』と。汝に封ずる所以なり。若し有司に從はば、是れ逃臣を執ふる所無きなり。逃げて之を舍かば、是れ陪臺無きなり。王事乃ち闕くること無からんや。昔武王紂の罪を數へて、以て諸侯に告げて曰く、『紂は天下の逋逃の主と為り、淵藪に萃む』と。故に夫(か)の死を致す。君王始めて諸侯を求めて紂に則るは、乃ち不可なること無からんや。若し二文の法を以て之を取らば、盜所在有らん」と。王曰く、「而(なんぢ)の臣を取りて以て往け。盜寵有り、未だ得べからざるなり」と。遂に之を赦す。
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