智囊 / 見大・柳公綽
柳公綽節度山東,行部至鄧,吏有納賄、舞文,二人同係。縣令聞公綽素持法,必殺貪者。公綽判曰:「贓吏犯法,法在;奸吏壞法,法亡。」竟誅舞文者。〔馮評譯文〕天論、王法,兩者持世之大端。彪舍賊寇而案殺子,公綽置贓吏而誅舞文。此種識力,於以感化賊盜贓吏有餘矣。若丙吉不問道旁死人而問牛喘,未免失之迂腐。
新字:柳公綽節度山東,行部至鄧,吏有納賄、舞文,二人同係。県令聞公綽素持法,必殺貪者。公綽判曰:「贓吏犯法,法在;奸吏壊法,法亡。」竟誅舞文者。〔馮評訳文〕天論、王法,両者持世之大端。彪舎賊寇而案殺子,公綽置贓吏而誅舞文。此種識力,於以感化賊盗贓吏有余矣。若丙吉不問道旁死人而問牛喘,未免失之迂腐。
書き下し
柳公綽、山東に節度たり、部を行りて鄧に至る。吏の賄を納るる者、文を舞わす者の二人、同じく繫がる。県令は、公綽が素より法を持するを聞き、必ず貪る者を殺さんと思う。公綽判して曰く、「贓吏の法を犯すは、法在り。奸吏の法を壊すは、法亡ぶ」と。竟に文を舞わす者を誅す。〔馮評訳文〕天論・王法は、両者世を持する大端なり。彪は賊寇を舎てて子を殺すを案じ、公綽は贓吏を置きて舞文を誅す。此の種の識力は、以て賊盗・贓吏を感化するに余り有り。丙吉の道旁の死人を問わずして牛の喘を問うが若きは、未だ迂腐に失するを免れず。
現代語訳
柳公綽は山東で節度使をしていたとき、管内を巡って鄧州に着きました。賄賂を受けた役人と、法律の文言をもてあそんだ役人の二人が、同じく拘束されていました。県令は、公綽が日ごろから法を厳守していると聞いていたので、きっと賄賂を取った者を殺すだろうと思っていました。公綽は判決を下しました。「賄賂を受ける役人が法を犯しても、法は残る。悪賢い役人が法を壊すなら、法は滅びる。」そして結局、法をもてあそんだ者を処刑しました。〔馮夢龍の評〕天の道理と王の法は、世を支える二つの大きな柱です。賈彪は盗賊を後回しにして子殺しを調べ、柳公綽は賄賂の役人を置いて法をもてあそんだ者を処刑しました。このような見識は、盗賊や賄賂の役人を感化するのに十分です。丙吉が道ばたの死人を問わず、牛が息を切らしているのを問うた話のようなものは、やはり融通のきかない迂遠な人と言わざるを得ません。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』見大・柳郡守唐の柳大夫玭は、謫せられて瀘州の郡守を授けらる。渝州に牟秀才有り、即ち都校の牟居厚の子なり。文采は高からざるも、業とする所を執りて謁見す。柳は獎飾すること甚だ勤む。子弟は以て太過と為す。柳曰く、巴蜀には豪士多し。此の押衙の子の独り能く文を好む。苟くも誘進せずんば、渠は即ち志を退かん。吾が称誉を以て、人は必ず之を栄とせん。是に由りて草賊三五員を減ぜば、亦た善からずや、と。
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『智囊』狡黠・猾吏奸官包孝粛の京に尹たる日、民の法を犯して当に脊を杖たるべき者有り。吏は賕を受け、与に約して曰く、「今尹に見ゆれば必ず我に責状を付さん、汝は第だ呼号して自ら弁ぜよ、我は汝と此の罪を分かたん」と。既にして包は囚を引きて問い畢り、果たして吏に責状を付す、囚は吏の教えの如くして分辯して已まず、吏は大声に之を呵して曰く、「但だ杖を受けて出で去れ、何ぞ多言を用いん」と。包は其の権を市るを謂い、吏を庭に捽え、之を杖つこと七十、特に囚の罪を寛くして以て吏の勢を抑う、知らず売らるる所と為るを。〔議〕「包鉄面」すら尚お爾り、況んや他人をや。県令の用印を監視する有り。暗に数うるに已に一顆多く、検するも得ず、厳しく吏を訊すも、亦た承けず。令は乃ち好く謂いて曰く、「我は明らかに汝が印を盗むを知る、今汝を罪せず、第だ我が為に蔵する処を言え」と。此の令は素より言を食まざる者なり、是に於いて吏は叩頭して罪を謝し曰く、「実に之有り、即ち折りて印匣内に置き、後の開印の時を俟ちて方に取り出さんとするのみ」と。又た聞く、某按院は一吏書の途中に賄を受くるを疑い、親ら簡査するも、跡無くして止む。蓋し按院は止だ其の通身の行李を捜すのみにして、串鈴と馬鞭、大帽は明らかに案前に置かれ、賄は即ち内に在るも、察するに及ばざるなり。吏の奸弊、何の至らざる所あらんや。
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『智囊』威克・呂公弼・張詠公弼は夷簡の子。其の成都を治むるに、治は寛を尚び、人は其の威断少なきを嫌う。適たま営卒の法を犯す有り、杖に当たるに、扞ぎて受けず、曰く、「寧ろ剣を以て死せん」と。公弼曰く、「杖は国法なり、剣は自ら請う者なり」と。為に杖して後に之を斬る。軍府は粛然たり。張詠、崇陽に在りし時、一吏の庫中より出ずる有り、其の鬢旁を視れば下に一銭有り、之を詰めれば、乃ち庫中の銭なり。詠命じて之を杖す。吏勃然として曰く、「一銭何ぞ道うに足らん、乃ち我を杖するか。爾は能く我を杖するとも、我を斬ること能わざるなり」と。詠は筆判して云う、「一日に一銭、千日に千銭。縄も木を断ち、水滴も石を穿つ」と。自ら剣を仗りて階を下り、其の首を斬る。府に申して自ら劾す。崇陽の人は今に至るまで之を伝う。詠、益州に知たりし時、嘗て小吏の詠に忤う有り、詠は其の頸に械す。吏恚りて曰く、「枷は即ち易く、脱するは即ち難し」と。詠曰く、「脱するも亦た何ぞ難からん」と。即ち枷に就きて之を斬る。吏は倶に悚懼す。〔馮評〕若し此等の胆決無くんば、強横の小人、何の至らざる所あらん。賊に耕牛を殺して逃亡する者有り、公自首を許す。其の母を拘して、十日出でず、之を釈す。再び其の妻を拘せば、一宿して来たる。公断じて曰く、「母を拘すること十夜、妻を留むること一宿。門に倚りて望むは何ぞ疏く、結髪の情は何ぞ厚きや」と。市に就きて之を斬る。是に於いて自首する者継ぎて至り、並びに遣わして業に帰らしむ。
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『智囊』善言・宋均・盧垣東漢の宋均常に言う、「吏の能く宏厚なれば、貪汚放縦と雖も猶お害する所無し。唯だ苛察の人は、身は廉なりと雖も、巧黠刻剜にして、毒は百姓に加わる」と。識者以て確論と為す。唐の盧坦、字は保衡、始めて仕えて河南尉と為る。時に杜黄裳尹たり、坦を召して諭して曰く、「某は巨室の子にして、悪人と游び、産を破る。盍ぞ之を察せざる」と。坦曰く、「凡そ官に居りて廉なれば、大臣と雖も厚蓄無し。其の能く財を積む者は、必ず下を剥ぎて之を致す。如し子孫善く守らば、是れ天が不道の家を富ますなり。其の不道を恣にして、以て人に帰せしむるに如かず」と。黄裳其の言に驚異す。〔評〕只だ「酷」「貪」の二字を説き得るのみなれど、議論痛快にして、便ち開天を覚ゆ。
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『智囊』見大・胡霆桂・尹源胡霆桂は、開慶の間に鉛山の主簿と為る。時に私醸の禁は甚だ厳し。婦の其の姑の私醸を訴うる有り。霆桂は之を詰いて曰く、汝は姑に事えて孝か、と。曰く、孝なり、と。曰く、既に孝ならば、汝の姑に代わりて責めを受くべし、と。私醸の律を以て之を笞つ。政化遂に行われ、県は大いに治まる。『姑蘇志』は此れを趙懙夫の事と載す。尹源は尹洙の兄なり。進士に挙げられ、滄州に通判たりし時、知滄州の劉渙は専斬の部卒に坐し、降して密州に知たり。源は上書して言う、渙は主将たり。部卒に罪有るに、笞に伏せず、輒ち万歳を呼ぶ。渙の之を斬るは過ぎたりと為さず。此を以て渙を謫さば、臣は辺兵の愈いよ驕り、主将を軽視せんことを恐る。繋わる所は軽からず、と。渙は遂に免るるを獲たり。〔馮述評〕諸生の娼に宿るを禁ずるは法なり。而れども告訐の風は長ぜしむべからず。尹の書判に效い、及び失税・私醸・専斬部卒は、皆な不法なり。而れども奴は以て主に加うべからず、婦は以て姑を凌ぐべからず、卒は以て帥に抗すべからず。其の細を舎てて其の大を全うするは、弘智に非ざれば能わず。
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