智囊 / 威克・呂公弼・張詠
公弼,夷簡子,其治成都,治尚寬,人嫌其少威斷。適有營卒犯法,當杖,扞不受,曰:「寧以劍死。」公弼曰:「杖者國法,劍者自請。」為杖而後斬之,軍府肅然。張詠在崇陽,一吏自庫中出,視其鬢旁下有一錢,詰之,乃庫中錢也。詠命杖之,吏勃然曰:「一錢何足道,乃杖我耶?爾能杖我,不能斬我也!」詠筆判云:「一日一錢,千日千錢,繩鋸木斷,水滴石穿。」自仗劍下階斬其首。申府自劾。崇陽人至今傳之。詠知益州時,嘗有小吏忤詠,詠械其頸,吏恚曰:「枷即易,脫即難。」詠曰:「脫亦何難?」即就枷斬之,吏俱悚懼。〔馮評〕若無此等膽決,強橫小人,何所不至?賊有殺耕牛逃亡者,公許自首。拘其母,十日不出,釋之;再拘其妻,一宿而來。公斷曰:「拘母十夜,留妻一宿,倚門之望何疏?結髮之情何厚?」就市斬之。於是首身者繼至,並遣歸業。
新字:公弼,夷簡子,其治成都,治尚寛,人嫌其少威断。適有営卒犯法,当杖,扞不受,曰:「寧以剣死。」公弼曰:「杖者国法,剣者自請。」為杖而後斬之,軍府粛然。張詠在崇陽,一吏自庫中出,視其鬢旁下有一銭,詰之,乃庫中銭也。詠命杖之,吏勃然曰:「一銭何足道,乃杖我耶?爾能杖我,不能斬我也!」詠筆判云:「一日一銭,千日千銭,縄鋸木断,水滴石穿。」自仗剣下階斬其首。申府自劾。崇陽人至今伝之。詠知益州時,嘗有小吏忤詠,詠械其頸,吏恚曰:「枷即易,脱即難。」詠曰:「脱亦何難?」即就枷斬之,吏倶悚懼。〔馮評〕若無此等胆決,強横小人,何所不至?賊有殺耕牛逃亡者,公許自首。拘其母,十日不出,釈之;再拘其妻,一宿而来。公断曰:「拘母十夜,留妻一宿,倚門之望何疏?結髪之情何厚?」就市斬之。於是首身者継至,並遣帰業。
書き下し
公弼は夷簡の子。其の成都を治むるに、治は寛を尚び、人は其の威断少なきを嫌う。適たま営卒の法を犯す有り、杖に当たるに、扞ぎて受けず、曰く、「寧ろ剣を以て死せん」と。公弼曰く、「杖は国法なり、剣は自ら請う者なり」と。為に杖して後に之を斬る。軍府は粛然たり。張詠、崇陽に在りし時、一吏の庫中より出ずる有り、其の鬢旁を視れば下に一銭有り、之を詰めれば、乃ち庫中の銭なり。詠命じて之を杖す。吏勃然として曰く、「一銭何ぞ道うに足らん、乃ち我を杖するか。爾は能く我を杖するとも、我を斬ること能わざるなり」と。詠は筆判して云う、「一日に一銭、千日に千銭。縄も木を断ち、水滴も石を穿つ」と。自ら剣を仗りて階を下り、其の首を斬る。府に申して自ら劾す。崇陽の人は今に至るまで之を伝う。詠、益州に知たりし時、嘗て小吏の詠に忤う有り、詠は其の頸に械す。吏恚りて曰く、「枷は即ち易く、脱するは即ち難し」と。詠曰く、「脱するも亦た何ぞ難からん」と。即ち枷に就きて之を斬る。吏は倶に悚懼す。〔馮評〕若し此等の胆決無くんば、強横の小人、何の至らざる所あらん。賊に耕牛を殺して逃亡する者有り、公自首を許す。其の母を拘して、十日出でず、之を釈す。再び其の妻を拘せば、一宿して来たる。公断じて曰く、「母を拘すること十夜、妻を留むること一宿。門に倚りて望むは何ぞ疏く、結髪の情は何ぞ厚きや」と。市に就きて之を斬る。是に於いて自首する者継ぎて至り、並びに遣わして業に帰らしむ。
現代語訳
呂公弼は呂夷簡の子である。成都を治めたとき、政治は寛容を重んじ、人々は威厳ある決断が少ないと不満に思っていた。ちょうど兵卒が法を犯して杖刑に当たったとき、これを拒んで受けず、「剣で死ぬ方がましだ」と言った。公弼は「杖は国法であり、剣は自分から求める者に与えるものだ」と言い、杖で打ってから斬った。軍府は引き締まった。張詠が崇陽にいたとき、ある役人が倉庫から出てきた。その鬢の脇を見ると、下に銭が一枚あったので問いただすと、倉庫の銭だった。張詠は杖で打つよう命じた。役人は怒って言った。「たった一銭がなんだ。私を杖で打つのか。お前は私を打てても、斬ることはできないぞ」。張詠は筆で判決を書いた。「一日一銭、千日で千銭。縄でも木を断ち、水滴でも石を穿つ」。自ら剣を持って階を降り、その首を斬った。府に報告して自ら罪を申し出た。崇陽の人々は今に至るまでこの話を伝えている。張詠が益州の長官だったとき、ある小役人が張詠に逆らったので、首に枷をはめた。役人は怒って「枷をはめるのは簡単でも、外すのは難しいぞ」と言った。張詠は「外すのも難しくない」と言い、枷のまま斬った。役人たちはみな恐れた。〔馮夢龍の評〕こうした胆力と決断がなければ、横暴な小人はどこまで悪事を働くか分からない。盗賊のうち、耕牛を殺して逃亡した者に、公は自首を許した。その母を拘束して十日たっても出てこなかったので釈放した。次に妻を拘束すると、一晩で出頭した。公は断じて言った。「母を十夜拘束しても出てこず、妻を一晩留めるとすぐ来た。門に寄りかかって帰りを待つ母の思いに対して何と薄情で、夫婦の情には何と厚いことか」。市で斬った。そこで自首する者が次々と現れ、皆、仕事に戻した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・善說魏の文侯大夫と酒を飲み、公乘不仁をして觴政と爲さしめて曰く、「飲みて釂さざる者は大白を以て浮せ。」文侯飲みて釂を盡くさず。公乘不仁擧げて君を浮すと曰う。君視て應えず。侍者曰く、「不仁退け、君已に醉えり。」公乘不仁曰く、「周書に曰く、『前車覆り、後車戒む。』蓋し其の危きを言うなり。人臣爲ること易からず、君爲ること亦た易からず。今君已に令を設くるに、令行われずんば可ならんや。」君曰く、「善し。」白を擧げて飲み、飲み畢りて曰く、「公勝不仁を以て上客と爲さん。」
-
『春秋左氏伝』宣公十二年 師出づるに律を以てす中軍の佐を以って濟る。知莊子曰く、「此の師殆ふいかな。周易に之有り、師の臨に在りて曰く、『師出づるに律を以ってす、否臧なれば凶』と。事を執りて順成するを臧と為し、逆を否と為す。眾散ずるを弱と為し、川壅がるを澤と為す。律有りて以って己の如くするなり、故に律否臧と曰ふ。且つ律竭くるなり。盈ちて以って竭く、夭にして且つ整はず、凶なる所以なり。行かざる之を臨と謂ふ。帥有りて從はず、臨孰れか甚だしからん。此れを之れ謂ふなり。果たして遇はば必ず敗れん。彘子之を尸(つかさど)らん。免れて歸ると雖も、必ず大咎有らん」と。韓獻子桓子に謂ひて曰く、「彘子偏師を以って陷らば、子の罪大なり。子元帥為り、師命を用ゐざるは、誰の罪ぞ。屬を失ひ師を亡ぼすは、罪為ること已に重し。進むに如かざるなり。事の捷たざる、惡分かつ所有り。其の罪を專らにせんよりは、六人之を同じくするは、猶ほ愈(まさ)らざらんや」と。師遂に濟る。楚子師を北にして郔に次(やど)る。沈尹中軍に將たり、子重左に將たり、子反右に將たり。將に馬に河に飲ませて歸らんとす。
-
『洗心洞箚記』卷上・第五十條穰苴の後期の寵臣を斬り、孫武の約に背く愛姫を斬るを、世此を以て二子の創意と為す。決して二子の創意に非ざるなり。周官大司馬の法より来たる。曰く、群吏陳前に誓ひを聴き、牲を斬りて以て左右に陳に徇へて曰く、命を用ひざる者は之を斬ると。又曰く、大常を致建し、軍衆を比するに及びて、後れて至る者を誅すと。二子は真に斯の事を行ふのみ。春秋戦国の間の名将は、皆成周の軍制に明らかなり。特に二子のみに非ざるなり。然るに彭越の最も後るる者一人を誅せしは、此れ則ち必ず二子の顰に傚ふ者か。
-
尚書・牧誓時れ甲子の昧爽、王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。王左に黄鉞(こうえつ)を杖つき、右に白旄(はくぼう)を秉(と)りて以て麾(さしまね)きて、曰く、「逖(とほ)いかな西土の人。」王曰く、「嗟(ああ)、我が友邦の冢君、御事・司徒・司馬・司空・亜・旅・師氏・千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳(ぼう)・微・盧・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比(なら)べ、爾の矛を立てよ、予其れ誓はん。」王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨(あした)すること無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索(つ)くるなり』と。今商王受、惟れ婦の言を是れ用ふ。昏(くら)くして厥の肆祀を棄てて、答へず。昏くして厥の遺王父母弟を弃てて、迪(みちび)かず。乃ち惟れ四方の多罪逋逃(ほとう)、是れ崇び是れ長じ、是れ信じ是れ使ひ、是れ以て大夫卿士と為し、百姓に暴虐し、以て商邑に姦宄せしむ。今予発、惟れ恭しく天の罰を行ふ。今日の事、六歩・七歩に愆(す)ぎずして、乃ち止まりて斉(ととの)へよ。夫子勖(つと)めよや。四伐・五伐・六伐・七伐に愆ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勖めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く、貔(ひ)の如く、熊の如く、羆(ひ)の如く、商の郊に于いてせよ。克く奔るものを御(ふせ)ぐこと弗く、以て西土に役せしめよ。勖めよや夫子。爾の勖めざる所は、其れ爾の躬に于いて戮有らん。」
-
史記 孫子呉起列伝孫子武は、斉人なり。兵法を以て呉王闔廬に見ゆ。闔廬曰く、「子の十三篇、吾尽く之を観たり。以て小しく兵を勒するを試みる可きか」と。対へて曰く、「可なり」と。闔廬曰く、「試みるに婦人を以てす可きか」と。曰く、「可なり」と。是に於いて之を許し、宮中の美女を出だして、百八十人を得たり。孫子、分かちて二隊と為し、王の寵姫二人を以て各々隊長と為し、皆戟を持たせしむ。之に令して曰く、「汝、而の心と左右の手と背を知るか」と。婦人曰く、「之を知る」と。孫子曰く、「前には則ち心を視よ、左には左の手を視よ、右には右の手を視よ、後ろには即ち背を視よ」と。婦人曰く、「諾」と。約束既に布かれ、乃ち鈇鉞を設け、即ち之に三令五申す。是に於いて之を右に鼓す。婦人大いに笑ふ。孫子曰く、「約束明らかならず、申令熟せざるは、将の罪なり」と。復た三令五申して之を左に鼓す。婦人復た大いに笑ふ。孫子曰く、「約束明らかならず、申令熟せざるは、将の罪なり。既に已に明らかにして而も法の如くにせざるは、吏士の罪なり」と。乃ち左右の隊長を斬らんと欲す。呉王、台上より観、且に愛姫を斬らんとするを見て大いに駭き、趣かに使ひをして令を下さしめて曰く、「寡人已に将軍の能く兵を用ゐるを知れり。寡人、此の二姫に非ずんば、食するも味はひを甘しとせず。願はくは斬る勿れ」と。孫子曰く、「臣、既に已に命を受けて将為り。将、軍に在りては、君命も受けざる所有り」と。遂に隊長二人を斬りて以て徇ふ。其の次を用ゐて隊長と為し、是に於いて復た之を鼓す。婦人、左右前後跪起し、皆規矩縄墨に中り、敢て声を出だす者無し。是に於いて孫子、使ひをして王に報ぜしめて曰く、「兵既に整斉たり。王試みに下りて之を観る可し。唯だ王の之を用ゐんと欲する所、水火に赴くと雖も猶ほ可なり」と。呉王曰く、「将軍罷休して舎に就け。寡人、下りて観るを願はじ」と。孫子曰く、「王、徒に其の言を好み、其の実を用ゐる能はず」と。是に於いて闔廬、孫子の能く兵を用ゐるを知り、卒に以て将と為す。西のかた彊楚を破りて郢に入り、北のかた斉・晋を威し、名を諸侯に顕ししは、孫子与りて力有り。
-
史記 淮南衡山列伝呂后諸呂を王とし、以て劉氏を危うくせんと欲す、辟陽侯争はず、罪の三なり。臣謹んで天下の為に賊臣辟陽侯を誅し、母の仇に報ゆ、謹んで闕下に伏して罪を請ふ」と。孝文其の志を傷み、親の為の故に、治めず、厲王を赦す。是の時に当たり、薄太后及び太子諸大臣皆厲王を憚る、厲王此を以て国に帰りて益々驕恣にして、漢の法を用ひず、出入に警蹕を称し、制と称し、自ら法令を為り、天子に擬す。六年、男子但等七十人をして棘蒲侯柴武の太子奇と謀り、輂車四十乗を以て谷口に反せしめ、人をして閩越・匈奴に使ひせしむ。事覚り、之を治め、使ひをして淮南王を召さしむ。淮南王長安に至る。「丞相臣張倉・典客臣馮敬・行御史大夫事宗正臣逸・廷尉臣賀・備盗賊中尉臣福昧死して言ふ。淮南王長先帝の法を廃し、天子の詔を聴かず、居処度無く、黄屋蓋の乗輿を為り、出入天子に擬し、擅に法令を為り、漢の法を用ひず。及び置く所の吏、其の郎中春を以て丞相と為し、漢の諸侯の人及び罪有りて亡ぐる者を聚収し、匿して与に居り、為に家室を治め、其の財物爵禄田宅を賜ひ、爵或いは関内侯に至り、奉ずるに二千石を以てす、当に得べからざる所なり、以て為す有らんと欲す。大夫但・士伍開章等七十人棘蒲侯の太子奇と謀反し、以て宗廟社稷を危うくせんと欲す。開章をして陰に長に告げしめ、与に謀りて閩越及び匈奴に使ひして其の兵を発せしめんとす。開章淮南に之きて長に見ゆ、長数々与に坐して語り飲食し、為に家室を為り婦を娶らしめ、二千石の俸を以て之を奉ず。開章人をして但に告げしむ、已に之を王に言ふと。春使ひをして但等に報ぜしむ。吏覚知し、長安の尉奇等をして往きて開章を捕へしむ。長匿して予へず、故の中尉蕑忌と謀り、殺して以て口を閉ざす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る