智囊 / 狡黠・猾吏奸官
包孝肅尹京日,有民犯法當杖脊。吏受賕,與約曰:「今見尹必付我責狀,汝第呼號自辯,我與汝分此罪。」既而包引囚問畢,果付吏責狀,囚如吏教,分辯不已,吏大聲呵之曰:「但受杖出去,何用多言?」包謂其市權,捽吏於庭,杖之七十,特寬囚罪以抑吏勢,不知為所賣也。〔議〕「包鐵面」尚爾,況他人乎!有縣令監視用印。暗數已多一顆,檢不得,嚴訊吏,亦不承。令乃好謂曰:「我明知汝盜印,今不汝罪矣,第為我言藏處。」此令素不食言者,於是吏叩頭謝罪曰:「實有之,即折置印匣內,俟後開印時方取出耳。」又聞某按院疑一吏書途中受賄,親自簡查,無跡而止。蓋按院止搜其通身行李,而串鈴與馬鞭,大帽明置案前,賄即在內,不及察也。吏之奸弊,何所不至哉!
新字:包孝粛尹京日,有民犯法当杖脊。吏受賕,与約曰:「今見尹必付我責状,汝第呼号自弁,我与汝分此罪。」既而包引囚問畢,果付吏責状,囚如吏教,分弁不已,吏大声呵之曰:「但受杖出去,何用多言?」包謂其市権,捽吏於庭,杖之七十,特寛囚罪以抑吏勢,不知為所売也。〔議〕「包鉄面」尚爾,況他人乎!有県令監視用印。暗数已多一顆,検不得,厳訊吏,亦不承。令乃好謂曰:「我明知汝盗印,今不汝罪矣,第為我言蔵処。」此令素不食言者,於是吏叩頭謝罪曰:「実有之,即折置印匣内,俟後開印時方取出耳。」又聞某按院疑一吏書途中受賄,親自簡查,無跡而止。蓋按院止捜其通身行李,而串鈴与馬鞭,大帽明置案前,賄即在内,不及察也。吏之奸弊,何所不至哉!
書き下し
包孝粛の京に尹たる日、民の法を犯して当に脊を杖たるべき者有り。吏は賕を受け、与に約して曰く、「今尹に見ゆれば必ず我に責状を付さん、汝は第だ呼号して自ら弁ぜよ、我は汝と此の罪を分かたん」と。既にして包は囚を引きて問い畢り、果たして吏に責状を付す、囚は吏の教えの如くして分辯して已まず、吏は大声に之を呵して曰く、「但だ杖を受けて出で去れ、何ぞ多言を用いん」と。包は其の権を市るを謂い、吏を庭に捽え、之を杖つこと七十、特に囚の罪を寛くして以て吏の勢を抑う、知らず売らるる所と為るを。〔議〕「包鉄面」すら尚お爾り、況んや他人をや。県令の用印を監視する有り。暗に数うるに已に一顆多く、検するも得ず、厳しく吏を訊すも、亦た承けず。令は乃ち好く謂いて曰く、「我は明らかに汝が印を盗むを知る、今汝を罪せず、第だ我が為に蔵する処を言え」と。此の令は素より言を食まざる者なり、是に於いて吏は叩頭して罪を謝し曰く、「実に之有り、即ち折りて印匣内に置き、後の開印の時を俟ちて方に取り出さんとするのみ」と。又た聞く、某按院は一吏書の途中に賄を受くるを疑い、親ら簡査するも、跡無くして止む。蓋し按院は止だ其の通身の行李を捜すのみにして、串鈴と馬鞭、大帽は明らかに案前に置かれ、賄は即ち内に在るも、察するに及ばざるなり。吏の奸弊、何の至らざる所あらんや。
現代語訳
包孝粛(包拯)が都の長官だったとき、法を犯して背を杖で打たれるべき民がいた。書記役の吏が賄賂を受け取り、その男と取り決めて言った。「今度、長官に引き合わされれば、必ず私に処罰の書き付けを書かせるはずだ。お前は大声で叫んで自分で弁明しろ。私はお前と罪を分け合おう。」やがて包拯が囚人を引き出して取り調べを終え、はたして吏に処罰の書き付けを任せた。囚人は吏の教えどおりに弁明し続け、吏は大声で叱った。「ただ杖を受けて出て行け、なぜそんなにしゃべる。」包拯は、吏が権力を売りものにしていると思い、庭で吏を引きずり出して七十回杖で打たせ、特に囚人の罪を軽くして吏の勢いを抑えた。しかし、自分が吏に利用されていたことに気づかなかった。〔議〕「包鉄面」と呼ばれた人でもこのとおりである。ましてほかの人ならなおさらだ。ある県令が印の押印を監視していたとき、こっそり数えると印が一つ多く、調べても見つからず、厳しく吏を問いただしても白状しなかった。県令はそこで穏やかに言った。「私はお前が印を盗んだことをはっきり知っている。今は罪に問わない。ただ隠した場所だけを教えてくれ。」この県令はもともと約束を違えない人だったので、吏は叩頭して罪を詫びて言った。「確かに盗みました。折って印の箱の中に置き、後日の開印の時に取り出すつもりでした。」また聞くところでは、ある巡按が、一人の書記が道中で賄賂を受けていると疑い、自ら調べたが何も出なかった。それは、巡按が荷物をくまなく調べただけで、鈴の束や馬の鞭、大きな帽子が机の前に堂々と置かれ、賄賂はその中にあったのに、気づかなかったからである。吏の悪事は、何でも尽くすものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十一其上大唐にては二万二千五百の人数にて、五万の敵に勝ち、或は五万の勢にて億万をきつてとることも有り、吾朝にても北条氏康は、八千の人数にて管領公八万の人数を伐りくづす、是皆弓矢の取り様武略の故なり、惣じて軍は十の物九ツかつこと有るとも、それをばのけ一ツのあやうき方へ付、談合すれば全くかたん、
-
『智囊』通簡・高拱乃ち開くに五事を以てす。一に国亨に責めて撥置の人犯を献出せしめ、一に夷俗に照らして安信らの人命を賠償せしめ、一に地を分けて疏窮の母子を安插せしめ、一に宣慰の職銜を削奪して伊の男に権に替わらしめ、一に重きに従いて罰し以て其の悪を懲らしむ。而るに国亨は安智の省中に居るを見て益々疑い畏れ、軍門の誘いて之を殺さんことを恐れ、兵を擁すること故の如く、終に勘に赴かず、上疏して冤を弁ず。阮は浮議に狃れ、復た上疏して剿を請う。拱は剿せば則ち計に非ず、剿せざれば則ち威を損なうと念い、乃ち意を兵部に授け、題覆して請を得、吏科給事賈三近を以て往きて勘せしむ。国亨は科官の命を奉じて来り勘すと聞き、喜びて曰く、「吾は聴勘の人に係る、軍門は必ず敢えて我を殺さじ、我は乃ち以て自ら明らかにすべし」と。是に於いて群奸を出だして省に赴き審を聴き、五事は皆命の如くし、銀三万五千両を罰して以て自ら贖わんことを願う。安智は猶お従わざりしが、阮は其の事を用い撥置せし人を治め、始めて伏す。智も亦た管事を革められ、母に随いて安插さる。科官の未だ到らざるに、事は已に定まれり。〔馮述評〕国家の土司に於けるや、戎索を以て羈縻するのみ、原より内地と同じからず。彼は世々富貴を享く、故無くして叛を思うは、理として必ず然らず。皆な当事者の或いは濬削し、或いは慢残し、或いは処置を失当し、激して之を成すなり。反すら猶お原すべし、況んや未だ必ずしも反せざるをや。安国亨の一事の如きは、若し高中玄の力めて主持するに非ざれば、勢い必ず兵を用いん。即使い幸いにして捷を獲るも、数省の兵糧を竭くして、以て一の自ら相い仇殺する夷人に勝つは、甚だ無謂なり。嗚呼、前事忘れざるは後事の師なり。吾れ今日安んぞ中玄を思わざるを得んや。
-
『智囊』小慧・敖陶孫・愈澹韓侂冑は既に趙汝愚を逐いて死に至らしめ、太学生の敖陶孫は詩を三元楼の壁に賦して之を弔う。方に筆を投ずるに、飲むこと未だ一二行ならざるに、壁は已に舁ぎ去られたり。敖は必ず韓の廉する所と為るを知り、急ぎ更衣して酒具を持ちて楼を下る、正に捕者に逢い、問う、「敖上舎は在るか」と。対えて曰く、「方に酣飲す」と。亟やかに命を亡ぼして閩に走る。韓の敗るるに、乃ち第一に登る。荊公は素より俞清老を喜ぶ。一日、荊公に謂いて曰く、「吾は浮屠と為らんと欲するも、苦だ祠部牒を買う銭無きのみ」と。荊公は欣然として為に僧資を具え、日を約して髪を祝る。期を過ぎて寂然たり、公は故を問う、清老は徐ろに曰く、「吾は思う、僧も亦た為し易からず、祠部牒の金は且く酒家に送りて債を還さん」と。公は大いに笑う。〔議〕肯えて銭を出して僧牒を買うに、何ぞ酒債を償うを肯んぜざらん、清老は似て多く一謊を説く。
-
『智囊』小慧・王姓官員宋の時に世賞の官の王氏有り、浙西の一監に任ず。初め任に蒞む日、吏民は銭物を献ずること幾んど数百千、仍お白して「下馬の常例」と曰う。王公は之を見て、以て己を汚すと為し、便ち状を作り、物を並せて上司に申解せんと欲す。吏輩は祈請すること再四、乃ち一櫃を取らしめ、物を以て悉く其の中に納れ、衆に対して封緘し、庁治に置き、戒めて曰く、「一小犯有れば、即ち発かん」と。是に由りて吏民は警懼し、課息は俱に備わる、終任を比びて榮帰するに、登舟の次、吏は庁の櫃を白す、公曰く、「尋常に既に此の例有らば、須く文牘有るべし」と。吏は案を齎して至る、俾いて櫃を舟に舁がしめ、載せて之を去る。〔評〕矯らず貪らず、人も己も両つながら利す。是れ大いに作用有る人にして、止だ巧宦のみならざるなり。
-
『智囊』武案・任瑰・唐太宗「我れ坐して日月を費やさば、衆心離れ沮み、則ち大事去らん。且つ関中蜂起の将、未だ属する所有らず、早く懐けざるべからず。屈突通は自ら虜を守るのみ、慮りとするに足らず」と。会々久しく雨ふり、淵進むこと能わず、軍中糧に乏し。劉文静兵を始畢可汗に請い、未だ返らず、或いは突厥と劉武周と虚に乗じて晋陽を襲わんと伝う。淵還りて根本を救わんと欲す。世民曰く、「今禾菽野を被う、何ぞ乏糧を憂えん。老生は軽躁、一戦して擒にすべし。李密は倉粟を顧恋し、未だ遠略に遑あらず。武周と突厥とは外は相附くと雖も、内は実に相猜う。武周遠く太原を利すと雖も、豈に近く馬邑を忘れんや。本と大義を興し、身を顧みず奮いて以て蒼生を救う、当に先ず咸陽に入り天下に号令すべし。今小敵に遇いて遂に已に師を班す。恐らくは義に従うの徒、一朝にして解体し、還りて太原一城の地を守らば、賊と為るのみ、何を以て自ら全うせん」と。淵聴かず。世民将に復た入りて諫めんとするも、会々淵已に寝ね、入るを得ず、外に号哭す。声帳中に聞こゆ。淵召して之を問う。世民曰く、「今兵は義を以て動く、進み戦えば則ち克ち、退き還れば則ち散ず。衆前に散じ、敵後に乗ぜば、死亡日無し、何ぞ悲しまざるを得ん」と。淵乃ち悟りて曰く、「兵已に発す、奈何せん」と。世民曰く、「右軍厳にして未だ発せず、左軍去ること亦た未だ遠からず。請う自ら之を追わん」と。乃ち建成と道を分かちて夜進み、左軍を追いて復た還らしむ。已にして太原の運糧も亦た至る。老生を誘いて戦い、之を斬る。日已に暮れ、攻城の具無く、将士肉薄して登り、遂に霍邑に克つ。
-
『智囊』小慧・某秀才・定遠弓箭手王卞は軍中に宴を置く。一角抵夫の甚だ魁岸にして大力を負う者有り、諸健卒と較うるに、悉く敵せず。坐間の一秀才は自ら能く之に勝つと言い、乃ち左指を以て略ぼ展ぶるに、魁岸の者は輒ち倒る、卞は以て神と為し、其の故を叩く。秀才云う、「此の人は醬を怕る、預め之を同伴より得たり、先に廚に入り、少許の醬を求め得て、彼の見れば輒ち倒るるのみ」と。濠州定遠県の一弓手は善く矛を用う。有偸も亦た此の技に精にして、毎に与に生死を決せんと欲す。一日、弓手は事に因りて村に至り、偸の適ま市に在りて飲むに値い、勢い避くべからず、遂に矛を曳きて闘う。観る者は堵の如し。久しくして、各ず未だ進むこと能わず、弓手は忽ち偸に謂いて曰く、「尉至れり、我と汝は皆な健者なり、汝は敢えて我と尉の前に生死を決せんや」と。偸曰く、「諾」と。弓手は声に応じて之を刺して斃す、蓋し其の隙に乗ずるなり。又た人の曾て強寇に遇う有り、闘い方に刃を接するに、寇は先に水を含みて口に満たし、忽ち其の面に噀く、其の人は愕然とし、刃は已に胸に揕さる。後に一壮士の復た寇と遇う有り、已に先に噀水の事を知り、寇は復た之を用い、反って刺す所と為る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る