智囊 / 見大・胡霆桂・尹源
胡霆桂,開慶間為鉛山主簿。時私釀之禁甚嚴,有婦訴其姑私釀者。霆桂詰之曰:「汝事姑孝乎?」曰:「孝。」曰:「既孝,可代汝姑受責。」以私釀律笞之。政化遂行,縣大治。《姑蘇志》載此為趙懙夫事。尹源,尹洙之兄也。舉進士,通判滄州時,知滄州劉渙坐專斬部卒,降知密州。源上書言:「渙為主將,部卒有罪,不伏笞,輒呼萬歲,渙斬之不為過。以此謫渙,臣恐邊兵愈驕,輕視主將,所繫非輕。」渙遂獲免。〔馮述評〕禁諸生宿娼,法也,而告訐之風不可長。效尹書判,及失稅私釀,專斬部卒,皆不法也,而奴不可以加主,婦不可以凌姑,卒不可以抗帥。舍其細而全其大,非弘智不能。
新字:胡霆桂,開慶間為鉛山主簿。時私醸之禁甚厳,有婦訴其姑私醸者。霆桂詰之曰:「汝事姑孝乎?」曰:「孝。」曰:「既孝,可代汝姑受責。」以私醸律笞之。政化遂行,県大治。《姑蘇志》載此為趙懙夫事。尹源,尹洙之兄也。舉進士,通判滄州時,知滄州劉渙坐専斬部卒,降知密州。源上書言:「渙為主将,部卒有罪,不伏笞,輒呼万歳,渙斬之不為過。以此謫渙,臣恐辺兵愈驕,軽視主将,所繋非軽。」渙遂獲免。〔馮述評〕禁諸生宿娼,法也,而告訐之風不可長。効尹書判,及失税私醸,専斬部卒,皆不法也,而奴不可以加主,婦不可以凌姑,卒不可以抗帥。舎其細而全其大,非弘智不能。
書き下し
胡霆桂は、開慶の間に鉛山の主簿と為る。時に私醸の禁は甚だ厳し。婦の其の姑の私醸を訴うる有り。霆桂は之を詰いて曰く、汝は姑に事えて孝か、と。曰く、孝なり、と。曰く、既に孝ならば、汝の姑に代わりて責めを受くべし、と。私醸の律を以て之を笞つ。政化遂に行われ、県は大いに治まる。『姑蘇志』は此れを趙懙夫の事と載す。尹源は尹洙の兄なり。進士に挙げられ、滄州に通判たりし時、知滄州の劉渙は専斬の部卒に坐し、降して密州に知たり。源は上書して言う、渙は主将たり。部卒に罪有るに、笞に伏せず、輒ち万歳を呼ぶ。渙の之を斬るは過ぎたりと為さず。此を以て渙を謫さば、臣は辺兵の愈いよ驕り、主将を軽視せんことを恐る。繋わる所は軽からず、と。渙は遂に免るるを獲たり。〔馮述評〕諸生の娼に宿るを禁ずるは法なり。而れども告訐の風は長ぜしむべからず。尹の書判に效い、及び失税・私醸・専斬部卒は、皆な不法なり。而れども奴は以て主に加うべからず、婦は以て姑を凌ぐべからず、卒は以て帥に抗すべからず。其の細を舎てて其の大を全うするは、弘智に非ざれば能わず。
現代語訳
胡霆桂は、開慶年間に鉛山の主簿となった。当時、密造酒の禁令はとても厳しかった。ある婦人が姑の密造を訴えた。霆桂は問いただした。あなたは姑に孝行をしているか、と。孝行です、と答えた。霆桂は言った。孝行であるなら、姑に代わって罰を受けるべきだ、と。密造の律で婦人を鞭打った。こうして教化が行われ、県は大いに治まった。『姑蘇志』はこれを趙懙夫の事としている。尹源は尹洙の兄である。進士に挙げられ、滄州の通判であった時、滄州の知事の劉渙は、部下の兵を独断で斬ったことで罪とされ、降格されて密州の知事となった。尹源は上書して言った。劉渙は主将です。部下の兵に罪があり、笞罰に従わず、すぐに万歳を叫びました。劉渙がその兵を斬るのは行き過ぎではありません。このことで劉渙を左遷すれば、私は辺境の兵がますます驕り、主将を軽んじることを恐れます。関わるところは軽くありません、と。劉渙はついに罰を免れることができた。〔馮の評〕書生が妓楼に泊まるのを禁じるのは法である。しかし密告の風潮は助長してはならない。尹の判決書をまねたこと、税を免れたこと、密造酒、部下の兵を独断で斬ったことは、いずれも法に反する。しかし奴が主を訴えてはならず、嫁が姑を押さえつけてはならず、兵が帥に逆らってはならない。細かい点を捨てて大きな点を全うするのは、広い智でなければできない。
解説
この章句が説くこと
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