智囊 / 通簡・宋太宗
孔守正拜殿前都虞侯。一日侍宴北園,守正大醉,與王榮論邊功於駕前,忿爭失儀。侍臣請以屬吏,上弗許。明日俱詣殿廷請罪,上曰:「朕亦大醉,漫不復省。」〔馮述評〕以狂藥飲人,而責其勿亂,難矣!托之同醉,而朝廷之體不失,且彼亦未嘗不知警也。
新字:孔守正拝殿前都虞侯。一日侍宴北園,守正大酔,与王栄論辺功於駕前,忿争失儀。侍臣請以属吏,上弗許。明日倶詣殿廷請罪,上曰:「朕亦大酔,漫不復省。」〔馮述評〕以狂薬飲人,而責其勿乱,難矣!托之同酔,而朝廷之体不失,且彼亦未嘗不知警也。
書き下し
孔守正、殿前都虞侯を拝す。一日、北園に宴に侍し、守正大いに酔い、王栄と辺功を駕前に論じ、忿争して儀を失う。侍臣は以て吏に属せんことを請うも、上は許さず。明日、俱に殿廷に詣りて罪を請う。上曰く、「朕も亦た大いに酔い、漫として復た省みず」と。〔馮述評〕狂薬を以て人に飲ませて、其の乱るる勿きを責むるは難し。同酔に托して、朝廷の体を失わず、且つ彼も亦た未だ嘗て警めを知らざるにあらざるなり。
現代語訳
孔守正は殿前都虞侯に任じられた。ある日、北園の宴に侍り、守正は大いに酔い、王栄と国境での功績を皇帝の面前で論じ合い、怒って争い、礼を失った。侍臣はこの二人を役人に引き渡して罰することを請うたが、皇帝は許さなかった。翌日、二人はそろって殿廷に出て罪を請うた。皇帝は言った。「朕も大いに酔っていて、何も覚えていない」。〔馮夢龍の評〕狂わせる薬(酒)を人に飲ませておいて、乱れるなと責めるのは難しい。自分も同じく酔っていたことにして、朝廷の体面を失わず、彼らも決して警めを受け取らなかったわけではない。
解説
宋の太宗は、酒の席での失態を厳しく罰せば、自分が飲ませた責任も問われると考え、自分も酔っていたことにして不問にしました。罰を回避することで、二人は恥じ入り、警めを胸に刻んだはずです。馮夢龍は、これを体面を保ちつつ人を許す巧みな手腕と評価します。現代の職場でも、懇親会での失言や失態を厳しく責めると、相手の萎縮と周囲の萎縮を招きます。上に立つ者が責任を分かち合う姿勢を見せることで、本人も自ら反省し、組織の信頼が深まります。
この章句が説くこと
朕亦大酔同酔朝廷之体寛容責任の分かち合い体面
関連する章句
-
『智囊』權奇・宋太祖芸祖、既に杯酒もて諸将の兵権を釈き、又た其の蓄うる所の貲らざるを慮り、人ごとに地一方を賜いて第を蓋てしむ。費す所は皆な数万。又た嘗て宴を賜い、酒酣にして、乃ち各人の子弟一人に宣して扶けて帰らしむ。太祖、送りて殿門に至り、其の子弟に謂いて曰く、「汝の父は各おの朝廷に十万緡を許せり」と。諸節度使、醒めて、帰りし所以を問い、上の前に礼を失わざりしやと。子弟、各おの緡の事を以て対う。疑うらくは酔中に真に是の言有りしやと。翌日、各おの表を以て進むること数の如し。
-
『智囊』見大・魯宗道宋の魯宗道、字は貫夫、亳州の人なり。諭徳たりし日、真宗、嘗て召す所有り。使者門に及ぶも、宗道在らず。時を移して、乃ち仁和肆より飲みて帰る。中使、先に入りて白し、約して曰く、「上、若し公の来たること遅きを怪しまば、当に何事に托して以て対うべきか」と。宗道曰く、「但だ実を以て告げよ」と。曰く、「然らば則ち当に罪を得べし」と。宗道曰く、「酒を飲むは、人の常情なり。君を欺くは、臣子の大罪なり」と。中使は公の対えのごとくす。真宗、公に問う、「何の故に私かに酒家に入るや」と。公、謝して曰く、「臣、家貧しく、器皿無し。酒肆は具備す。適たま郷親の遠来する有り、遂に邀えてこれに飲ましむ。然れども臣は既に服を易えたれば、市人も亦た臣を識る者無し」と。真宗笑いて曰く、「卿は宮臣たり。恐らくは御史の弾ずる所と為らん」と。然れども此れより公を奇とし、以て真実にして大用すべしと為す。
-
『宋名臣言行録』前集巻五・魯宗道仁宗、東宫に在り。公、諭徳と為る。其の居に酒肆の側に在る有り。仁和酒と號し、京師に名有り。公、往往にして服を易えて㣲行し、其の中に飲む。一日、真宗急に公を召す。將に問う所有らんとす。使者、門に及ぶも公在らず。時を移して乃ち仁和肆の中より飲みて歸る。中使遽かに先ず入りて白す。乃ち公と約して曰く、上、若し公の来たるの遲きを怪しまば、當に何事に託して以て對うべき。幸わくは先ず教を見よ。異同ならざるを兾うと。公曰く、但だ實を以て告げよと。曰く、然らば則ち當に罪を得べしと。公曰く、酒を飲むは人の常情なり。君を欺くは臣子の大罪なりと。中使嗟歎して去る。真宗果たして問う。使者、具さに公の對うるが如くす。真宗、何の故に私かに酒家に入るかを問う。公謝して曰く、臣が家貧しく器皿無し。酒肆は百物具備し、賔至れば歸るが如し。適ま鄉里の親客の逺きより来たる有り。遂に之と飲む。然れども臣既に服を易う。市人も亦た臣を識る者無しと。真宗笑いて曰く、卿は宫臣為り。恐らくは御史の彈ずる所と為らんと。然れども此れより公を竒として以て忠實にして大いに用う可しと為す。晚年、毎に章獻の為に、羣臣の大いに用う可き者數人を言う。公は其の一なり。後、章獻皆な之を用う。
-
『智囊』通簡・宋真宗宋の真宗の朝、嘗て兵士の過ちを作す有り、法に於いて合に死すべく、貸命して決脊杖二十、配に改むるを持す。其の兵士は高声に叫喚して剣を乞い、杖を決せらるるに服せず、従人把捉する得ず、遂に奏して進止を取る。伝宣して云う、「須く杖を決して後、別に進止を取りて斬るべし」と。尋いで決し訖りて旨を取る。真宗云う、「此れは只だ是れ杖を吃うを怕るるのみ。既に決し了れば、便ち配所に送れ、問う莫かれ」と。
-
『智囊』見大・曹彬・竇儀宋の太祖、始め周の世宗に澶州に事うるに、曹彬は世宗の親吏として、茶酒を掌る。太祖、嘗て従りて酒を求む。彬曰く、「此は官酒なり、相い与うべからず」と。自ら酒を沽いて以てこれに飲ましむ。太祖の即位するに及び、群臣に語りて曰く、「世宗の吏にして其の主を欺かざる者は、独り曹彬のみ」と。是に由りて腹心を委ぬ。太祖、滁州を下すに、世宗は竇儀に命じてその帑蔵を籍せしむ。数日に至り、太祖は親吏に命じて蔵絹を取らしむ。儀曰く、「公は初めて城を下し、傾蔵してこれを取ると雖も、誰か敢えて言う者あらん。今既に籍有り、即ち官物たり。詔旨に非ずんば得べからず」と。後、太祖は屡ば儀の守る有るを称し、以て相と為さんと欲す。
-
『智囊』見大・丙吉・郭進吉、相と為るや、馭吏に酒を嗜む者有り、吉に従いて出で、酔いて丞相の車上に嘔す。西曹の主吏は白して之を斥けんと欲す。吉曰く、醉飽の失を以て士を去らば、此の人をして復た何れに容れしめんや。西曹は第だ之を忍べ。此れ丞相の車茵を汚すに過ぎざるのみ、と。此の馭吏は辺郡の人にして、辺塞の奔命警備の事を習知す。嘗て出でて、適たま駅騎の赤白の囊を持ち、辺郡の奔命の書を発して馳せ至るを見る。馭吏は因りて駅騎に随いて公車に至り、刺取して、虜の雲中・代郡に入るを知り、遽に帰る。吉に見えて状を白し、因りて曰く、虜の入る所の辺郡は、二千石の長吏に老病にして兵馬に任えざる者有らん。宜しく豫め視るべし、と。吉は其の言を善とし、東曹を召して辺長吏を案じ、其の人を科条せしむ。未だ已まざるに、詔して丞相・御史を召し、入る所の郡吏を問う。吉は具に対う。御史大夫は卒遽にして詳らかに知る能わず、以て譴讓を得たり。而して吉は辺を憂い職を思うと謂われしは、馭吏の力なり。郭進は山西巡検に任ず。軍校の闕に詣りて進を訟うる者有り。上は召して訊い、其の誣なるを知り、即ち遣りて進に送り、之を殺さしむ。会たま并寇入る。進は其の人に謂いて曰く、汝は能く我を訟う、信に胆気有り。今、汝の罪を赦す。能く并寇を掩殺せば、即ち汝を朝に薦めん。如し敗れなば、即ち自ら河に役せよ。我が剣を汚す毋かれ、と。其の人は踴躍して赴き闘い、竟に大捷す。進は即ち薦めて之を擢く。〔馮述評〕小過を容るる者は、一長を以て酬いられ、大仇を釈す者は、死力を以て報いらる。唯だ酬報の情の中に迫れば、故に其の長は之に触れて必ず試み、其の力は之に激して必ず竭くす。彼の過ちを索め仇を尋ぬる者は、豈に大愚に非ずや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る