智囊 / 見大・張耳
張耳、陳餘,皆魏名士。秦滅魏,懸金購兩人。兩人變姓名俱之陳,為里監門以自食。吏嘗以過笞陳餘。餘怒欲起,張耳躡之,使受笞。吏去,耳乃引餘之桑下,數之曰:「始吾與公言何若?今見小辱而欲死一吏乎!」〔馮述評〕勾踐石室,淮陰胯下,皆忍小恥以就大業也。陳餘淺躁,不及張耳遠甚,所以一成一敗。
新字:張耳、陳余,皆魏名士。秦滅魏,懸金購両人。両人変姓名倶之陳,為里監門以自食。吏嘗以過笞陳余。余怒欲起,張耳躡之,使受笞。吏去,耳乃引余之桑下,数之曰:「始吾与公言何若?今見小辱而欲死一吏乎!」〔馮述評〕勾践石室,淮陰胯下,皆忍小恥以就大業也。陳余浅躁,不及張耳遠甚,所以一成一敗。
書き下し
張耳・陳餘は、皆な魏の名士なり。秦は魏を滅ぼし、金を懸けて両人を購う。両人は姓名を変えて倶に陳に之き、里の監門と為りて以て自ら食う。吏の嘗て過ちを以て陳餘を笞つ有り。餘は怒りて起たんと欲す。張耳は之を躡みて、笞を受けしむ。吏の去るに、耳は乃ち餘を引きて桑下に之き、之を数めて曰く、始め吾れ公と言うこと何若ぞ。今、小辱を見て一吏を死せしめんと欲するか、と。〔馮述評〕勾践の石室、淮陰の胯下は、皆な小恥を忍びて以て大業を就す。陳餘は浅躁にして、張耳の遠きに及ばざること甚だし。所以に一は成り一は敗る。
現代語訳
張耳と陳餘は、どちらも魏の名士であった。秦が魏を滅ぼすと、賞金を懸けて二人を捜した。二人は姓名を変えてそろって陳に行き、里の門番となって自活した。ある時、役人が過ちを理由に陳餘を鞭打った。陳餘は怒って立ち上がろうとした。張耳はその足を踏んで、鞭打ちを受けさせた。役人が去ると、張耳は陳餘を引いて桑の木の下に行き、責めて言った。当初、私があなたと話したことはどうだったか。今、小さな辱めを受けたくらいで、一人の役人を殺そうとするのか、と。〔馮の評〕勾践の石室での忍耐、淮陰侯韓信の股くぐりは、どちらも小さな恥を忍んで大きな事業を成し遂げた。陳餘は浅はかで短気で、張耳の遠大さにはるかに及ばない。だから一人は成功し、一人は失敗した。
解説
この章句が説くこと
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