竹馬抄 / 思い通りを求めすぎない
一人の世にすむは、十に一も我心に叶ふヿはなき習なり、一天の君だにも、おぼしめすまゝには、渡らせ給はぬなるべし、それに我等が身ながら心にかなはぬ事をば、いかゞして本意をとをさんとせんには、終に天道のいましめを蒙るべき也、すべて人毎にきなふ無念なりしかば、けふ其心をさんじ、去年かなはざりしかば、今年其望を達せんとおもふまじき也、さらぬだにも塵のごとくなる心を相續して、念々ごとになす身、いよ〱望みを忘ずべし、怨を殘さん事、口惜きねぢけ人なるべし、【俊/儍】人とて世法佛法にきたなきことに申也、人毎に我執をおこしわするまじきには、心みじかくよは〱しき也、打拂ふて心にとゞむまじきやうなる事には、餘念を起すヿ也、あひかまへて〱萬の事に人をもとゝして、
新字:一人の世にすむは、十に一も我心に叶ふヿはなき習なり、一天の君だにも、おぼしめすまゝには、渡らせ給はぬなるべし、それに我等が身ながら心にかなはぬ事をば、いかゞして本意をとをさんとせんには、終に天道のいましめを蒙るべき也、すべて人毎にきなふ無念なりしかば、けふ其心をさんじ、去年かなはざりしかば、今年其望を達せんとおもふまじき也、さらぬだにも塵のごとくなる心を相続して、念々ごとになす身、いよ〱望みを忘ずべし、怨を残さん事、口惜きねぢけ人なるべし、【俊/儍】人とて世法仏法にきたなきことに申也、人毎に我執をおこしわするまじきには、心みじかくよは〱しき也、打払ふて心にとゞむまじきやうなる事には、余念を起すヿ也、あひかまへて〱万の事に人をもとゝして、
書き下し
一人の世にすむは、十に一も我心に叶ふヿはなき習なり、一天の君だにも、おぼしめすまゝには、渡らせ給はぬなるべし、それに我等が身ながら心にかなはぬ事をば、いかゞして本意をとをさんとせんには、終に天道のいましめを蒙るべき也、すべて人毎にきなふ無念なりしかば、けふ其心をさんじ、去年かなはざりしかば、今年其望を達せんとおもふまじき也、さらぬだにも塵のごとくなる心を相續して、念々ごとになす身、いよ〱望みを忘ずべし、怨を殘さん事、口惜きねぢけ人なるべし、【俊/儍】人とて世法佛法にきたなきことに申也、人毎に我執をおこしわするまじきには、心みじかくよは〱しき也、打拂ふて心にとゞむまじきやうなる事には、餘念を起すヿ也、あひかまへて〱萬の事に人をもとゝして、
現代語訳
人が世に生きるのは、十に一つも思いどおりになることはない習いです。天下の君主でさえ、お思いのままにはならないのでしょう。ましてわれらの身で、思いどおりにならないことを、何とかして本意を遂げようとすれば、ついには天道の戒めを受けるでしょう。総じて、人はそれぞれ無念なことがあったからといって、今日その気を晴らし、去年かなわなかったから今年その望みを遂げようと思ってはなりません。そうでなくても、塵のように小さな心を続けて、一念ごとに生きる身ですから、いよいよ望みを忘れるべきです。恨みを残すのは、残念なひねくれ者のすることです。愚かな人といって、世の法でも仏の法でも、きたないこととされます。人はそれぞれ我執を起こし、忘れてはならないことのように思いますが、それは心が短く弱いからです。きれいに払って心にとめないようなことに、余念を起こしてはなりません。くれぐれも万事に人を基本として、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『初学訓』巻之一一天につかへておこたらずとは、人となる者、只朝夕天道の眼前にありて遠からざることを思ひ、つねに天道を畏れ敬ひてあなどらず、かりにも天道をそむき無道のことをなすべからず。天道にしたがひてそむかず、わが身をへりくだりて、人をあなどりほこらず、欲をこらへてほしいままにせず、天地の生みていつくしみ給ふ人倫をあつくあはれみて、あなどらずそこなはず。天地の、人のためにつくり出し給ふ五穀と万のたからを、わが一人の欲のためにみだりにつひやさず。次に、鳥獣虫魚の生ける物をみだりにころさず、草木をも時ならずしてみだりに伐らず。是皆天地のうみ出しやしなひて、いつくしみ給ふ物なれば、これをあはれみ養ふは、天地の御心に従ひて背かざるわざなり。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『慎思録』巻之四陽過ぐれば則ち大旱と為り、陰過ぐれば則ち霪雨と為る。或いは大風洪水、山崩れ川決し、海溢れ地震ひ、疾疫蟲蝗、種種の災害は、皆是れ陰陽闔闢の大過不及なり。是れ天道は無心にして、陰陽に変有る所以なり。天道の至理は、本自ら善にして悪無し。之を善と謂ふ者は生生覆育の謂なり。然れども陰陽の変易は、雑糅して究まり無く、動静常無し。是を以て災害時有りて生ず。是れ天理の正に非ずと雖も、然れども是れも亦た天理の中に無きこと能はざる者にして、自然の理なり。故に程子曰く、善悪皆天理なり、と。又曰く、善は固より性なり。然れども悪も亦た之を性と謂はざるべからず、と。深く此の意を得たりと謂ふべし。
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『呻吟語』内篇・問學・胸中獨り得たる中正の道理學問の大要は、須らく天道・人情・物理・世故を把りて識得すること透徹し、卻って胸中獨り得たる中正底の道理を以て之を消息すべし。
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孔子家語・六本孔子斉に在り、外館に舎る。景公造く。賓主の辞既に接するや、左右白して曰わく、「周の使い適に至り、先王の廟災すと言う。」景公覆た災は何れの王の廟なるかを問う。孔子曰わく、「此れ必ず厘王の廟ならん。」公曰わく、「何を以て之れを知るや。」孔子曰わく、「詩に云う、『皇皇たる上天、其の命忒わず。天の善を以てするや、必ず其の徳に報ゆ。』禍も亦た之れの如し。夫れ厘王は文武の制を変じ、玄黄華麗の飾りを作り、宮室崇峻に、輿馬奢侈にして、振るう可からず。故に天殃宜しく其の廟に加うべし、是を以て之れを占なうに然りと為す。」公曰わく、「天何ぞ其の身を殃せずして、其の廟に罰を加うるや。」孔子曰わく、「蓋し文武を以ての故なり。若し其の身を殃せば、則ち文武の嗣、乃ち殄びんとするに無からんや。故に当に其の廟を殃すべく、以て其の過ちを彰らかにす。」俄頃にして、左右報じて曰わく、「災する所は、厘王の廟なり。」景公驚き起ちて、再拝して曰わく、「善いかな、聖人の智、人に過ぐること遠し。」
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『初学訓』巻之三一天道は、人の善に福し、悪に禍し給ふ。是人のしわざの善悪によりて、天より、福と禍とを報い給へる理なり。是は、天道の常理なり、疑ふべからず。又人の生質によりて、富貴、貧賤、禍福、寿夭あり。或は、時によりて不意に吉凶あり。皆是、陰陽の変化にして、人の生れつきにより、気を禀くること厚薄あり。厚き気をうけたる人は富貴にして福あり。薄き気をうけたる人は、貧賤にして禍あり。又、長き気をうけたるは寿く、短き気をうけたるは夭し。天の陰陽の気をうけて如斯なれば、すべて天命といふ。

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