武士訓 / 卷二・第10段
すべてつねになすべきことゝ。なすまじきことを。かねて決斷して。たとひ身を醢にし。骨を粉にするとも。節操を變ずべからず。義をおもんずるこゝろは鐵石のごとく。義にすつる命は塵芥にひとしかるべし。むかし源義經賴朝の勘氣をうけて。西國へくだるとて。攝津國に住する渡邊源次馬允番(セツツカフ三田ノ綱が末葉也)が許にたちより。事のよしを謂れければ。番いたはしくおもひ。出船のところまでおくりけり。後に此事關東にきこえて。あしざまに云ものありしかば。賴朝いきどほり給ひ。梶原に預て十二年まで置れたり。しかるに右大將のさりものなりし天野式部太輔遠景西國を知行しけるが。上洛のとき。攝州渡邊にて。番が妹を娶り。關東にくだり。番がもとへ使をつかはしていひけるは。おもひがけずかく御緣になり候ぬ。今よりしては。疎略候はじと云けるに。番は。多年の囚人なれども。方人をもたねば。申なだむるともがらもなかりしに。たま〳〵かゝる緣出來ることは。いかばかりうれしかるべきを。番おもひけるは。弓矢とる身の。かゝることにあひて。
新字:すべてつねになすべきことゝ。なすまじきことを。かねて決断して。たとひ身を醢にし。骨を粉にするとも。節操を変ずべからず。義をおもんずるこゝろは鉄石のごとく。義にすつる命は塵芥にひとしかるべし。むかし源義経頼朝の勘気をうけて。西国へくだるとて。摂津国に住する渡辺源次馬允番(セツツカフ三田ノ綱が末葉也)が許にたちより。事のよしを謂れければ。番いたはしくおもひ。出船のところまでおくりけり。後に此事関東にきこえて。あしざまに云ものありしかば。頼朝いきどほり給ひ。梶原に預て十二年まで置れたり。しかるに右大将のさりものなりし天野式部太輔遠景西国を知行しけるが。上洛のとき。摂州渡辺にて。番が妹を娶り。関東にくだり。番がもとへ使をつかはしていひけるは。おもひがけずかく御縁になり候ぬ。今よりしては。疎略候はじと云けるに。番は。多年の囚人なれども。方人をもたねば。申なだむるともがらもなかりしに。たま〳〵かゝる縁出来ることは。いかばかりうれしかるべきを。番おもひけるは。弓矢とる身の。かゝることにあひて。
書き下し
すべてつねになすべきことゝ。なすまじきことを。かねて決斷して。たとひ身を醢にし。骨を粉にするとも。節操を變ずべからず。義をおもんずるこゝろは鐵石のごとく。義にすつる命は塵芥にひとしかるべし。むかし源義經賴朝の勘氣をうけて。西國へくだるとて。攝津國に住する渡邊源次馬允番(セツツカフ三田ノ綱が末葉也)が許にたちより。事のよしを謂れければ。番いたはしくおもひ。出船のところまでおくりけり。後に此事關東にきこえて。あしざまに云ものありしかば。賴朝いきどほり給ひ。梶原に預て十二年まで置れたり。しかるに右大將のさりものなりし天野式部太輔遠景西國を知行しけるが。上洛のとき。攝州渡邊にて。番が妹を娶り。關東にくだり。番がもとへ使をつかはしていひけるは。おもひがけずかく御緣になり候ぬ。今よりしては。疎略候はじと云けるに。番は。多年の囚人なれども。方人をもたねば。申なだむるともがらもなかりしに。たま〳〵かゝる緣出來ることは。いかばかりうれしかるべきを。番おもひけるは。弓矢とる身の。かゝることにあひて。
現代語訳
すべて、常になすべきこととなすまじきことを、かねて決断しておき、たとえ身を塩漬けにされ、骨を粉にされても、節操を変えてはなりません。義を重んじる心は鉄や石のように固く、義のために捨てる命は塵芥と同じと考えるべきです。昔、源義経が頼朝の勘気を受けて西国へ下るとき、摂津国に住む渡辺源次馬允番(せっつの渡辺、綱の末裔)のもとに立ち寄り、事情を話されたので、番は気の毒に思い、出船の場所まで送りました。のちにこのことが関東に伝わり、悪く言う者があったので、頼朝は怒り、梶原に預けて十二年まで置かれました。ところが右大将の側近であった天野式部大輔遠景が西国を治めており、上洛のとき、摂州渡辺で番の妹を娶り、関東に下って、番のもとへ使いをやって言いました。思いがけずこのような縁になりました、今からは疎略にはいたしません、と。番は、長年の囚人であって、味方もなく、とりなす者もいなかったので、たまたまこんな縁ができたことは、どれほど嬉しいことだろうと思われるところ、番が思ったのは、弓矢をとる身が、このようなことに遭って、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。
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