武士道 / 第十六章 武士道の命脈・武士道の株幹に接ぐ嫩枝
然ゼ、オールド、オールド、ストーるに予は惟へらく、斯〓は即ち『昔昔の物語』にして、之を傳ふるに當り、明晰なる言語、即ち古より一國民の道德的發達に伴ひたる言語文字を以てせんには、人種國土の異同を破して、直ちに其心裡に徹するを得べしと。米國人若くは英國人の作爲せる形式を有せる――アングロ、サクソン的なる傾癖妄想の、〓祖の優美〓高なる精神を冐瀆せる基督教は、以て武士道の株幹に接ぐべき嫩枝と爲すに足らず。敢て問ふ、新宗教の宣傳者は、幹根枝葉を艾除し、而して荒蕪の土壤に播蒔するに、福音の種子を以てせんとするものなるかと。
新字:然ゼ、オールド、オールド、ストーるに予は惟へらく、斯〓は即ち『昔昔の物語』にして、之を伝ふるに当り、明晰なる言語、即ち古より一国民の道徳的発達に伴ひたる言語文字を以てせんには、人種国土の異同を破して、直ちに其心裡に徹するを得べしと。米国人若くは英国人の作為せる形式を有せる――アングロ、サクソン的なる傾癖妄想の、〓祖の優美〓高なる精神を冐瀆せる基督教は、以て武士道の株幹に接ぐべき嫩枝と為すに足らず。敢て問ふ、新宗教の宣伝者は、幹根枝葉を艾除し、而して荒蕪の土壤に播蒔するに、福音の種子を以てせんとするものなるかと。
書き下し
然るに予は惟へらく、斯(教)は即ち『昔昔の物語』(オールド・オールド・ストーリー)にして、之を伝ふるに当り、明晰なる言語、即ち古より一国民の道徳的発達に伴ひたる言語文字を以てせんには、人種国土の異同を破して、直ちに其心裡に徹するを得べしと。米国人若くは英国人の作為せる形式を有せる――アングロ・サクソン的なる傾癖妄想の、(教)祖の優美(崇)高なる精神を冒涜せる基督教は、以て武士道の株幹に接ぐべき嫩枝と為すに足らず。敢て問ふ、新宗教の宣伝者は、幹根枝葉を芟除し、而して荒蕪の土壌に播蒔するに、福音の種子を以てせんとするものなるかと。
現代語訳
しかし私はこう思う。この教え(キリスト教)はすなわち「昔ながらの物語」であって、これを伝えるにあたり、明らかな言葉、すなわち昔から一国民の道徳的な発達とともにあった言葉と文字によって伝えるならば、人種や国土の違いを越えて、まっすぐにその心の中に届くことができるだろう、と。アメリカ人やイギリス人が作り上げた形式をまとった――アングロ・サクソン的な癖や思い込みによって、教祖(キリスト)の優美で崇高な精神を汚したキリスト教は、武士道の幹に接ぎ木する若枝とするには足りない。あえて問う。新しい宗教を広める者たちは、幹も根も枝も葉も刈り払い、荒れ果てた土地に福音の種をまこうとするつもりなのか、と。
解説
この章句が説くこと
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