武士道 / 第十六章 武士道の命脈・己の最善を他の最悪に比す
此の英斷快擧たる、夫れ或は之を施すに其地あらん。布哇を見よ、聞道く、基督教の彼國に於けるや、傳道軍は其國土の富源を鹵獲し、土人を滅絕して、全捷を占むるを得たりと。然るに此擧の如きは、斷じて之を日本に行ふことを得ず。否、此擧は、基督の王國を此世に建設せんとするに於て、必ずや取らざる所なり。吾人は爰に敬虔なる基督教徒にして、又た學殖深遠なる一賢哲の言を銘記するを可とす。ジヨヱツト教授曰く、『人は此世界を異教徒と基督教徒とに二分し、而して一者に隱れたる善美と、他者に混ぜる醜惡との量を算へず。彼等は己れの有する最善なるものを擧げて、其隣人の有する最惡なるものに比し、基督教の理想を以て希臘若くは東洋の敗德に較す。
新字:此の英断快挙たる、夫れ或は之を施すに其地あらん。布哇を見よ、聞道く、基督教の彼国に於けるや、伝道軍は其国土の富源を鹵獲し、土人を滅絶して、全捷を占むるを得たりと。然るに此挙の如きは、断じて之を日本に行ふことを得ず。否、此挙は、基督の王国を此世に建設せんとするに於て、必ずや取らざる所なり。吾人は爰に敬虔なる基督教徒にして、又た学殖深遠なる一賢哲の言を銘記するを可とす。ジヨヱツト教授曰く、『人は此世界を異教徒と基督教徒とに二分し、而して一者に隠れたる善美と、他者に混ぜる醜悪との量を算へず。彼等は己れの有する最善なるものを挙げて、其隣人の有する最悪なるものに比し、基督教の理想を以て希臘若くは東洋の敗徳に較す。
書き下し
此の英断快挙たる、それ或は之を施すに其地あらん。布哇を見よ、聞くならく、基督教の彼国に於けるや、伝道軍は其国土の富源を鹵獲し、土人を滅絶して全捷を占むるを得たりと。然るに此挙の如きは、断じて之を日本に行ふことを得ず。否、此挙は基督の王国を此世に建設せんとするに於て、必ずや取らざる所なり。吾人はここに、敬虔なる基督教徒にして、又た学殖深遠なる一賢哲の言を銘記するを可とす。ジョウェット教授曰く、『人は此世界を異教徒と基督教徒とに二分し、而して一者に隠れたる善美と、他者に混ぜる醜悪との量を算へず。彼等は己れの有する最善なるものを挙げて、其隣人の有する最悪なるものに比し、基督教の理想を以て希臘もしくは東洋の敗徳に較す』。
現代語訳
この思い切った振る舞いには、あるいはそれを施すにふさわしい土地があるのでしょう。ハワイをご覧なさい。聞くところでは、キリスト教があの国では、伝道の軍勢がその国土の富の源を奪い取り、原住民を滅ぼし尽くして完全な勝利を占めたといいます。しかしこのようなことは、決して日本で行うことはできません。いや、このような振る舞いは、キリストの王国をこの世に建てようとするうえで、必ず取るべきでないものです。私たちはここで、敬虔なキリスト教徒であり、また学識の深い一人の賢者の言葉を心に刻むべきです。ジョウェット教授は言います。人はこの世界を異教徒とキリスト教徒に二分し、一方に隠れた善や美と、他方に混じっている醜悪の量を数えない。彼らは自分が持つ最善のものを挙げて隣人が持つ最悪のものと比べ、キリスト教の理想をギリシャや東洋の堕落と比べる、と。
解説

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