武士道 / 第十五章 武士道の感化・花は桜木人は武士
而して若しシドニー及びスコツトに代ふるに、近松、馬琴の名を以てせんか、日本文學史の特色は、乃ち一目瞭然たるものあらん。庶人に娛樂を供し、教訓を與ふべき諸多の方法――演劇、講釋、說教、淨瑠璃、小說等の如きは、其主題を武士譚に採るものなりき。農夫は白屋の裡、爐火を圍んで、義經、辨慶の功勳、曾我兄弟の仇討を反覆して厭ふこと無し。黎面の頑童は茫然口を開き、耳を欹て〓、薪火旣に盡くとも心頭此れが爲に尙ほ燃灼す。番頭小僧は一日の業務を終へ、店頭の扉を鎖せば、膝を交へて信長、秀吉の物語に時を移し、睡魔の倦眼を襲ひ來るや、彼等を誘ひ、日夕牙籌の辛勞を忘れて、夢に戰塲の功名に馳驅せしむ。細步蹣跚たる孩兒も、啞々として桃太郞鬼ケ島征伐の昔噺を誦することを學び、女兒亦た武邊の偉功美德を慕ふを知り、かのデスデモナと共に、其耳はさむらひの物語を貪食して更に娶くこと無かりき。ボウ、イデアル『花は武士は日本民族の理想となりたり。俚謠に歌ふ、櫻に、人は武士』と。
新字:而して若しシドニー及びスコツトに代ふるに、近松、馬琴の名を以てせんか、日本文学史の特色は、乃ち一目瞭然たるものあらん。庶人に娯楽を供し、教訓を与ふべき諸多の方法――演劇、講釈、説教、浄瑠璃、小説等の如きは、其主題を武士譚に採るものなりき。農夫は白屋の裡、炉火を囲んで、義経、弁慶の功勲、曽我兄弟の仇討を反覆して厭ふこと無し。黎面の頑童は茫然口を開き、耳を欹て〓、薪火既に尽くとも心頭此れが為に尚ほ燃灼す。番頭小僧は一日の業務を終へ、店頭の扉を鎖せば、膝を交へて信長、秀吉の物語に時を移し、睡魔の倦眼を襲ひ来るや、彼等を誘ひ、日夕牙籌の辛労を忘れて、夢に戦塲の功名に馳駆せしむ。細歩蹣跚たる孩児も、唖々として桃太郎鬼ケ島征伐の昔噺を誦することを学び、女児亦た武辺の偉功美徳を慕ふを知り、かのデスデモナと共に、其耳はさむらひの物語を貪食して更に娶くこと無かりき。ボウ、イデアル『花は武士は日本民族の理想となりたり。俚謡に歌ふ、桜に、人は武士』と。
書き下し
而して若しシドニー及びスコットに代ふるに、近松、馬琴の名を以てせんか、日本文学史の特色は、乃ち一目瞭然たるものあらん。庶人に娯楽を供し、教訓を与ふべき諸多の方法――演劇、講釈、説教、浄瑠璃、小説等の如きは、其主題を武士譚に採るものなりき。農夫は白屋の裡、炉火を囲んで、義経、弁慶の功勲、曾我兄弟の仇討を反覆して厭ふこと無し。黧面の頑童は茫然口を開き、耳を欹てて、薪火既に尽くとも心頭此れが為に尚ほ燃灼す。番頭小僧は一日の業務を終へ、店頭の扉を鎖せば、膝を交へて信長、秀吉の物語に時を移し、睡魔の倦眼を襲ひ来るや、彼等を誘ひ、日夕牙籌の辛労を忘れて、夢に戦場の功名に馳駆せしむ。細歩蹣跚たる孩児も、唖々として桃太郎鬼ケ島征伐の昔噺を誦することを学び、女児亦た武辺の偉功美徳を慕ふを知り、かのデスデモナと共に、其耳はさむらひの物語を貪食して更に厭くこと無かりき。武士は日本民族の理想(ボウ・イデアル)となりたり。俚謡に歌ふ、『花は桜に、人は武士』と。
現代語訳
そしてもし(英国の)シドニー(フィリップ・シドニー)やスコット(ウォルター・スコット)の代わりに、近松(近松門左衛門)や馬琴(曲亭馬琴)の名を置いてみれば、日本文学史の特色は一目瞭然となるだろう。庶民に娯楽を与え、教訓を授けるさまざまな手段――芝居、講談、説教、浄瑠璃、小説など――は、その主題を武士の物語に取ったものであった。農夫はみすぼらしい家の中で囲炉裏を囲み、義経・弁慶の手柄や曾我兄弟の仇討ちを繰り返し語って飽きることがない。日焼けした顔のいたずら小僧はぽかんと口を開けて耳をそばだて、薪の火が燃え尽きても、心の中はそのためになお燃えている。番頭や丁稚は一日の仕事を終え、店の戸を閉めると、膝を寄せ合って信長・秀吉の物語に時を過ごし、眠気が疲れた目を襲ってくると、それが彼らを誘って、朝晩のそろばん勘定の苦労を忘れさせ、夢の中で戦場の手柄を求めて駆け回らせる。よちよち歩きの幼子も、片言で桃太郎の鬼ヶ島征伐の昔話を口ずさむことを覚え、女の子もまた武士の偉い手柄や美しい徳を慕うことを知り、あのデズデモーナのように、その耳は侍の物語をむさぼり聞いて、少しも飽きることがなかった。武士は日本民族の理想となった。俗謡に「花は桜、人は武士」と歌う。
解説
この章句が説くこと
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