武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・生を求むるは真の大勇
眞の名譽とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが爲に招くの死は必ずや耻辱に非らず。然るに、一死以て天の賦與する所を免れんとするが如きは、眞に怯儒なりと云ふべし。書『醫道宗教』は、英語を以て我國'〓サア、トマス、ブラウンの奇武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を說破して曰く、『死を輕んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは眞の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隱れするものなり』と云ひ、又た『一たび、心の中にて死したる者には、眞田の槍も、爲朝の矢も透らず』と。此等の語は、盖し吾人をして『我が爲に生命を喪ふ者は、之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。
新字:真の名誉とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが為に招くの死は必ずや耻辱に非らず。然るに、一死以て天の賦与する所を免れんとするが如きは、真に怯儒なりと云ふべし。書『医道宗教』は、英語を以て我国'〓サア、トマス、ブラウンの奇武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を説破して曰く、『死を軽んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは真の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり』と云ひ、又た『一たび、心の中にて死したる者には、真田の槍も、為朝の矢も透らず』と。此等の語は、盖し吾人をして『我が為に生命を喪ふ者は、之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。
書き下し
真の名誉とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが為に招くの死は必ずや恥辱に非らず。然るに一死以て天の賦与する所を免れんとするが如きは、真に怯懦なりと云ふべし。サア・トマス・ブラウンの奇書『医道宗教』は、英語を以て我国武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を説破して曰く、『死を軽んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは真の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも、死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり』と云ひ、又た『一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の矢も透らず』と。此等の語は、蓋し吾人をして、『我が為に生命を喪ふ者は之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。
現代語訳
真の名誉とは、天が命じることを成し遂げることをいう。そのために招いた死は、決して恥ではない。ところが、一度死ぬことで天から与えられた務めを免れようとするようなことは、まことに臆病だと言うべきである。サー・トマス・ブラウンの奇書『医師の宗教』は、英語で、わが国の武士道がつねに教えるところと同じ筋の戒めを説き明かしてこう言う。「死を軽んじるのは勇である。しかし生が死よりも恐ろしいときに臨んで、あえて生きることを求めるのは、真の大勇である」と。昔の名僧の戒めの言葉にも、「ふだんどれほど口達者に言っても、一度も死んだことのない侍は、いざというときに逃げ隠れするものである」と言い、また「一度心の中で死んだ者には、真田の槍も為朝の矢も通らない」とある。これらの言葉は、思うに、私たちを「わたしのために命を失う者は、それを得る」と言った大いなる工匠(キリスト)の建てた殿堂の門に近づけるものではないだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なりされど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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『呻吟語』外篇・品藻・至勇は氣無し小勇は噭燥、巧勇は色笑、大勇は沉毅、至勇は氣無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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