武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・敵討もまた美点ありや
世には基督教と異教徒との間に一大障壁を築くに銳意するものありと雖、奈何せん此等の訓語は、宇內人類の凡て道德的一致の點を有するものなることを例證すべき、九牛の一毛に非らずや。吾人は旣に切腹てふ武士道制度の、之を一見すれば、或は其妄なるに驚くことあるべしと雖、其實決して悖理蠻野の弊習に非らざるを知れり。吾人は今爰に切腹と姉妹の制度たる敵討、即ち復讐も亦た之に美點あり、特長あるや否やを觀察せんとす。然るに此れと齊しき制度若くは習慣は、時代の異同こそあれ、凡ての民族間に行はれたるものにして、今日と雖、未だ全く廢弛せず。決闘、私刑の形を以て歐米の國にすら、尙ほ存續するものなるを以て、此問題の如きは、予は僅かに數語を以て之を解明するを得べきものなるが如し。
新字:世には基督教と異教徒との間に一大障壁を築くに銳意するものありと雖、奈何せん此等の訓語は、宇内人類の凡て道徳的一致の点を有するものなることを例證すべき、九牛の一毛に非らずや。吾人は旣に切腹てふ武士道制度の、之を一見すれば、或は其妄なるに驚くことあるべしと雖、其実決して悖理蠻野の弊習に非らざるを知れり。吾人は今爰に切腹と姉妹の制度たる敵討、即ち復讐も亦た之に美点あり、特長あるや否やを観察せんとす。然るに此れと斉しき制度若くは習慣は、時代の異同こそあれ、凡ての民族間に行はれたるものにして、今日と雖、未だ全く廃弛せず。決闘、私刑の形を以て欧米の国にすら、尚ほ存続するものなるを以て、此問題の如きは、予は僅かに数語を以て之を解明するを得べきものなるが如し。
書き下し
世には基督教と異教徒との間に、一大障壁を築くに鋭意するものありと雖、いかんせん、此等の訓語は、宇内人類の凡て道徳的一致の点を有するものなることを例証すべき、九牛の一毛に非らずや。吾人は既に、切腹てふ武士道制度の、之を一見すれば或は其妄なるに驚くことあるべしと雖、其実決して悖理蛮野の弊習に非らざるを知れり。吾人は今ここに、切腹と姉妹の制度たる敵討、即ち復讐も亦た之に美点あり、特長あるや否やを観察せんとす。然るに此れと斉しき制度もしくは習慣は、時代の異同こそあれ、凡ての民族間に行はれたるものにして、今日と雖、未だ全く廃弛せず。決闘、私刑の形を以て欧米の国にすら、なお存続するものなるを以て、此問題の如きは、予はわずかに数語を以て之を解明するを得べきものなるが如し。
現代語訳
世にはキリスト教と異教徒の間に大きな壁を築こうと熱心な人もいますが、どうしようもないことに、これらの教えの言葉は、世界の人類がすべて道徳的に一致する点を持っていることを例証する、九牛の一毛ではないでしょうか。私たちはすでに、切腹という武士道の制度が、一見すればその無謀さに驚くことがあっても、実際は決して理に背く野蛮な悪習ではないことを知りました。私たちは今ここで、切腹と姉妹の制度である敵討、すなわち復讐にもまた美点があり特長があるかどうかを観察しようとします。ところがこれと同じ制度や習慣は、時代の違いこそあれ、あらゆる民族の間で行われたもので、今日でもまだ完全には廃れていません。決闘やリンチの形で欧米の国にすら存続しているのですから、この問題については、私はわずか数語で解明できるでしょう。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・数項の刑法明文が根絶せしめたそれ正義の観念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神学者の評するが如くに、敵討のもし果して『犠牲の生血に渇し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、わずかに数項の刑法明文の、直ちに之を根絶せしめたる事、いづくんぞ能く今日の如くなるを得んや。切腹も亦た法度上、既に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人はなお往々、敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の継続せん限り、これを耳にすることあるべし。自殺宗信者の数は、世界中懼るべき速力を以て増加しつつあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるるに至らん。されど自殺論の著者モルセリ教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・腹を切るは何ぞ其の不合理なる切腹及び敵討の二制度に就いては、幾多海外文士の之を説いて、やや詳なるものあり。切腹、又た割腹、即ち世俗にはらきりと云ふは、其字の示すが如く、腹部を切りて自殺することなり。初めて此語を聞く者の或は叫びて云はん、『腹を切るは、何ぞ其の不合理なる』と。然り、外人の耳朶には、必ず先づ奇怪不合理の感を与ふべしと雖、凡そシェイクスピアを読みたるものならんには、之に由りて甚だしく奇異の感を起さざるべし。彼はブルータスの口に上ぼせて、『汝シーザーの魂魄現はれ、我が剣を逆にして、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時の英国詩宗が『亜細亜の光』に於て、剣を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを読め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ゐるものとなし、又た礼を失するものとなすこと無し。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・父の仇を報ずるは最も美しき近く米国の一将校にして、ドレフュスの仇を報ぜんが為、エステルハージーに決闘を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、姦淫は罪を構成せず、ただ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、ただ被害者の縁戚が、戒心以て讐を復することの、能く社会の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる、是れなり』と。而して日本人は之に加ふるに、必ずや『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。復讐は、之によりて自己が正義の念を満足せしむるものなり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・切腹と敵討は理由を喪失したされど復讐は、長者又た恩人の仇を報ずるに於てのみ正しとすべく、而して自から蒙りたる害悪の如き、又たは妻子の受けたる危害の如きは、すべからく之を容忍すべきものなりき。故に我が武士は、祖国の怨を報ぜんことを神明に誓ひたるハンニバルに寄するに満腔の同情を以てすと雖、彼のジェームス・ハミルトンが、妻女の墓側より一杯の砂粒を取りて紳に佩び、日夜、摂政マレーに対し我妻の怨を報ずるの念を刺衝したるに与せず。切腹及び敵討の二法度は、刑法の発布と共に其存在の理由を喪失したり。されば今や既に、美しき処女が身をやつして父の敵を尋ぬる小説的冒険を耳にすること無く、又た家族の復仇の悲劇を見ること無きに至れり。宮本武蔵の武者修行は、今やただ一条の昔語と過ぎて、規律森厳なる警吏は、被害者の為に犯罪人を追跡し、法律は義を行ひ非を正し、全国、全社会は、以て災害の応報違ふこと無きを認む。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・泉岳寺墓前の香華嫉の神を信じたる猶太教の如き、又た復讐の女神ネメシスを有したる希臘神話の如きは、或は復讐を以て人間以上の偉力に委ぬるを得べし。されど武士道は常識に基きて、敵討の制度を設け、普通法の審判するを得ざる事件を出訴すべき、一種の道義的衡平裁判所となしたり。四十七義士の主君の死罪に処せらるるや、彼は之を訴ふべき高級の法廷を有せざりき。而して其家臣の義士は、即ち当時に存在せし唯一の高等法廷たる復讐に訴へて、主君の冤を雪ぎ、而して自から又た普通法によりて罪を獲たり。されど其名は泉岳寺墓前の香華と共に、永へに薫じ、歳を経て緑の色変はること無し。老子は『怨に報ゆるに徳を以てす』と説きたりと雖、孔子の声は更に之よりも大なるものありて、『直きを以て怨に報ゆ』と教へたり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生命は廉なりき切腹を以て名誉の死となしたるは、おのづから多大なる誘惑の因素となりて、ここに無分別なる自殺者を生ずるに至りたり。毫も道義に合せず、又た死を値ひすること無き理由の故に、躁急なる若輩が、飛んで火に入る夏の虫の如く、匆忙として死に就き、是非の曖昧なる動機よりして、武士の自から其命を殞するもの、修道院の門に馳する尼衆よりも多かりき。生命は廉に、即ち世の定むる名誉の標準より量るに、すこぶる廉なりき。されど甚だ悲しむべきは、其名誉てふものの、謂はば常に両替歩合の定まりたるものに非らずして、必ずしも正金ならず、却つて劣等の金属を混和するものなりしことなりき。地獄の圏界中、かのダンテが自殺の犠牲を幽閉したる第七圏ばかり、日本人の多数に誇るものはあらざるべし。