武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・憂き事のなおこの上に積れかし
されど眞の武士は死を急ぎ、死に阿るを以て共に怯懦なりとしたり。武士の龜鑑として世に傳へらるゝ勇士は、數度の戰塲に臨んで、曾て利あらず山野に逐はれ、森林に遁れ、洞穴に潜み、果ては陰暗なる空木の窩に、一人餓に苦しみ、刀鈍り、弓折れ、矢盡きぬ――羅馬人の中にて最も高邁なる丈夫もかゝる時、フイリビの野に、己が刄に伏したるに非らずや――されど此勇士は死を怯なりと賤め、基督教殉道者にも似たる大勇を奮ひて、口ずさむらく、憂き事のなほこの上に積れかし限りある身の力ためさん。武士道の教ふる所は、實に是にあり。曰く堅忍正念能く百難千苦に抗すべしと。孟子說いて曰はずや、『天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所爲、所以動心忍性曾益其所不能』と。
新字:されど真の武士は死を急ぎ、死に阿るを以て共に怯懦なりとしたり。武士の亀鑑として世に伝へらるゝ勇士は、数度の戦塲に臨んで、曽て利あらず山野に逐はれ、森林に遁れ、洞穴に潜み、果ては陰暗なる空木の窩に、一人餓に苦しみ、刀鈍り、弓折れ、矢尽きぬ――羅馬人の中にて最も高邁なる丈夫もかゝる時、フイリビの野に、己が刄に伏したるに非らずや――されど此勇士は死を怯なりと賤め、基督教殉道者にも似たる大勇を奮ひて、口ずさむらく、憂き事のなほこの上に積れかし限りある身の力ためさん。武士道の教ふる所は、実に是にあり。曰く堅忍正念能く百難千苦に抗すべしと。孟子説いて曰はずや、『天将降大任於是人也、必先苦其心志、労其筋骨、餓其体膚、空乏其身、行払乱其所為、所以動心忍性曽益其所不能』と。
書き下し
されど真の武士は、死を急ぎ、死に阿るを以て、共に怯懦なりとしたり。武士の亀鑑として世に伝へらるる勇士は、数度の戦場に臨んでかつて利あらず、山野に逐はれ、森林に遁れ、洞穴に潜み、果ては陰暗なる空木の窩に、一人餓に苦しみ、刀鈍り、弓折れ、矢尽きぬ。羅馬人の中にて最も高邁なる丈夫も、かかる時、フィリッピの野に己が刃に伏したるに非らずや。されど此勇士は死を怯なりと賤め、基督教殉道者にも似たる大勇を奮ひて、口ずさむらく、『憂き事のなほこの上に積れかし、限りある身の力ためさん』。武士道の教ふる所は実に是にあり。曰く、堅忍正念、能く百難千苦に抗すべしと。孟子説いて曰はずや、『天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、其の体膚を餓ゑしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為す所に払乱せしむ。心を動かし性を忍ばせ、其の能くせざる所を曾益する所以なり』と。
現代語訳
しかし真の武士は、死を急ぐことも死に媚びることも、ともに臆病だとしました。武士の手本として世に伝えられる勇士は、幾度も戦場に臨みながら利がなく、山野に追われ、森に逃れ、洞穴に潜み、果ては暗い空洞の木のうろで、一人飢えに苦しみ、刀は鈍り、弓は折れ、矢は尽きました。ローマ人の中で最も高潔な男も、こういうときフィリッピの野で自分の刃に伏したではありませんか。しかしこの勇士は死を臆病だと賤しみ、キリスト教の殉教者にも似た大いなる勇を奮って口ずさみました。辛いことがなおこの上にも積もるがよい、限りあるこの身の力を試そう、と。武士道が教えるところはまさにここにあります。堅く忍び正しく念じて、あらゆる困難に抗せよ、と。孟子はこう説いているではありませんか。天がまさに大任をこの人に下そうとするときは、必ずまずその心と志を苦しめ、その筋と骨を働かせ、その肉体を飢えさせ、その身を窮乏させ、行いをすることごとに乱れさせる。心を動かし性質を忍ばせ、できなかったことをできるようにするためである、と。
解説

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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生を求むるは真の大勇真の名誉とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが為に招くの死は必ずや恥辱に非らず。然るに一死以て天の賦与する所を免れんとするが如きは、真に怯懦なりと云ふべし。サア・トマス・ブラウンの奇書『医道宗教』は、英語を以て我国武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を説破して曰く、『死を軽んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは真の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも、死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり』と云ひ、又た『一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の矢も透らず』と。此等の語は、蓋し吾人をして、『我が為に生命を喪ふ者は之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生命は廉なりき切腹を以て名誉の死となしたるは、おのづから多大なる誘惑の因素となりて、ここに無分別なる自殺者を生ずるに至りたり。毫も道義に合せず、又た死を値ひすること無き理由の故に、躁急なる若輩が、飛んで火に入る夏の虫の如く、匆忙として死に就き、是非の曖昧なる動機よりして、武士の自から其命を殞するもの、修道院の門に馳する尼衆よりも多かりき。生命は廉に、即ち世の定むる名誉の標準より量るに、すこぶる廉なりき。されど甚だ悲しむべきは、其名誉てふものの、謂はば常に両替歩合の定まりたるものに非らずして、必ずしも正金ならず、却つて劣等の金属を混和するものなりしことなりき。地獄の圏界中、かのダンテが自殺の犠牲を幽閉したる第七圏ばかり、日本人の多数に誇るものはあらざるべし。
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『文武訓』武訓上一士たる者、戦にのぞんで身を捨つることはかたからず。血気の勇は盗賊もよくするものなり。只身を捨てて義にかなふことかたし。故に、死ぬべからずして死ぬるは、是其身をかろんず。父母よりうけし身をいたづらにするは不孝なり。死ぬべくして死なざるは、是其死をおそれ、命ををしみて君の為にせず、不忠なり。是李太白が言なり。年わかく血気さかんなる人、勇をこのまば、忠孝の道を知りて、生死只義にかなふべし。学問なければ忠孝の道を知らず、死ぬべくして死なず。いやしむべし。死ぬべからずして死ぬ、かなしむべし。勇怯ことなれども、義理にそむけることは一なり。武士は、学問して義理を知れば、死生する理にかなふ。
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