武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・介錯とは英語に訳すべき文字なし
高き燭臺は程能き間に並びて、異樣の薄暗き光を放ち、先づは今日の仕置を見るに足れり。七人の日本檢使は、高座の左方に在り、七人の外國人は其右に在り。他には又た一人をも見ず。やゝ暫く待つ程に、多紀善三郞は徐々と歩み出でたり。此人當年三十二歲、氣品高尙に、身には禮服たる麻社杯を折目正しく着なせり。後には一人の介錯と、金絲の刺繍ある陣羽織を着たる三人の役人隨ふ。介錯とは英語に之を譯すべき文字あらず、エキセキウシヨナーとは自から異なり、士人之に任じ、多くは答人の親戚、又たは友人より簡拔す。而して兩者の關係は、答人と創手とに非らずして、寧ろ主副の如し。今日の介錯は多紀善三郞の門弟にして、劍道の達人たるが故、多數の友人中より特選せられたるものなり。
新字:高き燭台は程能き間に並びて、異様の薄暗き光を放ち、先づは今日の仕置を見るに足れり。七人の日本検使は、高座の左方に在り、七人の外国人は其右に在り。他には又た一人をも見ず。やゝ暫く待つ程に、多紀善三郎は徐々と歩み出でたり。此人当年三十二歳、気品高尚に、身には礼服たる麻社杯を折目正しく着なせり。後には一人の介錯と、金糸の刺繍ある陣羽織を着たる三人の役人随ふ。介錯とは英語に之を訳すべき文字あらず、エキセキウシヨナーとは自から異なり、士人之に任じ、多くは答人の親戚、又たは友人より簡抜す。而して両者の関係は、答人と創手とに非らずして、寧ろ主副の如し。今日の介錯は多紀善三郎の門弟にして、剣道の達人たるが故、多数の友人中より特選せられたるものなり。
書き下し
高き燭台は程よき間に並びて、異様の薄暗き光を放ち、先づは今日の仕置を見るに足れり。七人の日本検使は高座の左方に在り、七人の外国人は其右に在り。他には又た一人をも見ず。ややしばらく待つ程に、滝善三郎は徐々と歩み出でたり。此人当年三十二歳、気品高尚に、身には礼服たる麻裃を折目正しく着なせり。後には一人の介錯と、金糸の刺繍ある陣羽織を着たる三人の役人随ふ。介錯とは英語に之を訳すべき文字あらず、エクセキューショナーとはおのづから異なり、士人之に任じ、多くは咎人の親戚、又たは友人より簡抜す。而して両者の関係は、咎人と創手とに非らずして、寧ろ主副の如し。今日の介錯は滝善三郎の門弟にして、剣道の達人たるが故、多数の友人中より特選せられたるものなり。
現代語訳
高い燭台がほどよい間隔で並び、異様に薄暗い光を放って、まずは今日の仕置きを見るには十分でした。七人の日本の検使は高座の左に、七人の外国人はその右にいます。他には誰一人見当たりません。しばらく待っていると、滝善三郎がゆっくりと歩み出てきました。この人は当年三十二歳、気品が高く、身には礼服である麻の裃を折り目正しく着ていました。後ろには一人の介錯と、金糸の刺繍のある陣羽織を着た三人の役人が従います。介錯とは英語に訳すべき語がなく、処刑人とはおのずから異なり、武士がこれに当たり、多くは咎人の親戚か友人から選ばれます。そして両者の関係は、咎人と傷つける者ではなく、むしろ主と副のようです。今日の介錯は滝善三郎の門弟で、剣道の達人であるため、多くの友人の中から特別に選ばれた者でした。
解説

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