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武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・熊谷の出家

今はよも遁し參らせじ、名も無き人の手に亡はれ給はんより、同じうは直實が手にかけ、奉りて後の御孝養をも仕らん、一念彌陀佛、即滅無量罪し大刀一閃、忽ち若武者の血に染みて紅なり。斯て西國の軍鎭まり、熊谷凱陣の日に造んで、敢て動功の賞に預らんことを思はず、弓矢の家を出でゝ、桑門に入り、刺髪緇衣、日の入る方の彌陀の淨土を念じ、西方に背を向けじと誓ひつゝ、一所不住の行脚に殘生を託したりとぞ。評者或は此物語を讀んで、熊谷の行爲を難じ、其の是非曲直を疑ふものあらん。

新字:今はよも遁し参らせじ、名も無き人の手に亡はれ給はんより、同じうは直実が手にかけ、奉りて後の御孝養をも仕らん、一念弥陀仏、即滅無量罪し大刀一閃、忽ち若武者の血に染みて紅なり。斯て西国の軍鎮まり、熊谷凱陣の日に造んで、敢て動功の賞に預らんことを思はず、弓矢の家を出でゝ、桑門に入り、刺髪緇衣、日の入る方の弥陀の浄土を念じ、西方に背を向けじと誓ひつゝ、一所不住の行脚に残生を託したりとぞ。評者或は此物語を読んで、熊谷の行為を難じ、其の是非曲直を疑ふものあらん。

書き下し

今はよも遁し参らせじ、名も無き人の手に亡はれ給はんより、同じうは直実が手にかけ奉りて、後の御孝養をも仕らん、一念弥陀仏、即滅無量罪。大刀一閃、忽ち若武者の血に染みて紅なり。斯くて西国の軍鎮まり、熊谷凱陣の日に及んで、敢て勲功の賞に預らんことを思はず、弓矢の家を出でて、桑門に入り、剃髪緇衣、日の入る方の弥陀の浄土を念じ、西方に背を向けじと誓ひつつ、一所不住の行脚に残生を託したりとぞ。評者或は此物語を読んで、熊谷の行為を難じ、其の是非曲直を疑ふものあらん。

現代語訳

「今となっては、とても逃がしてさしあげることはできまい。名もない者の手にかかって亡くなられるよりは、同じことなら直実の手にかけ申して、後の供養もいたしましょう。一念弥陀仏、即滅無量罪(ひとたび阿弥陀仏を念じれば、はかりしれない罪も消える)」。大刀が一閃すると、たちまち刀は若武者の血に染まって紅になった。こうして西国の戦がおさまり、熊谷が凱旋する日になっても、勲功の恩賞にあずかろうとは思わず、弓矢の家を出て仏門に入り、髪を剃って墨染めの衣をまとい、日の沈む方角にある阿弥陀の浄土を念じ、西方に背を向けまいと誓いながら、一か所にとどまらない行脚に残りの生涯を託したという。評者のなかには、この物語を読んで熊谷の行いを非難し、その是非を疑う者もあるだろう。

解説

熊谷はついに敦盛を討ち、恩賞を望まずに出家します。冒頭で触れられた、馬に後ろ向きに乗る僧の絵は、西方の浄土に背を向けまいとした熊谷の誓いを描いたものだったことがここで結ばれます。一念弥陀仏、即滅無量罪は、ひとたび阿弥陀仏を念じれば限りない罪も消えるという浄土教の句で、熊谷は念仏とともに刀を振るいます。熊谷が法然の弟子となり蓮生と名乗った史実も知られています。新渡戸は最後に、この行いの是非を疑う評者もあるだろうと書き添えます。討つことと慈しむことが同じ一人の中で起きる、その矛盾を隠さずに示す態度が印象に残ります。あなたは、避けられない決断のあとに、その重さをどう引き受けていますか。

この章句が説くこと

仁出家熊谷直実浄土念仏

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