武士道 / 第五章 仁・愛不忍の心・専制政治の第一要義
ベドノスチフは、英國社會と他の歐洲諸國の社會との、各〓其根底を異にする所を明示して、後者の人民共通の利害を基礎とするに反し、前者は其著しく發達せる特立の個人性を重んずと謂へり。此露國政治家が歐洲の大陸諸邦就中スラヴ民族の國家に在りては、人民は個人權を棄てゝ、其社會の團結と國家終極の目的とに合すと云へることは、我國民に於て、特に其然るものあるを見る。故に日本に於ては、王權の自由行動を憂ふること、歐洲に於けるが如きもの無きのみならず、而も之を緩和するには、王者の民心を察するに、親父の至情あるを以てす。ビスマーク曰はずや、『專制政治の第一要義は、治者の無私正直にして、義務を重んじ、精力あり、且つ內自から謙讓なることなり』と。
新字:ベドノスチフは、英国社会と他の欧洲諸国の社会との、各〓其根底を異にする所を明示して、後者の人民共通の利害を基礎とするに反し、前者は其著しく発達せる特立の個人性を重んずと謂へり。此露国政治家が欧洲の大陸諸邦就中スラヴ民族の国家に在りては、人民は個人権を棄てゝ、其社会の団結と国家終極の目的とに合すと云へることは、我国民に於て、特に其然るものあるを見る。故に日本に於ては、王権の自由行動を憂ふること、欧洲に於けるが如きもの無きのみならず、而も之を緩和するには、王者の民心を察するに、親父の至情あるを以てす。ビスマーク曰はずや、『専制政治の第一要義は、治者の無私正直にして、義務を重んじ、精力あり、且つ内自から謙譲なることなり』と。
書き下し
ポベドノスチェフは、英国社会と他の欧州諸国の社会との、各(々)其根底を異にする所を明示して、後者の人民共通の利害を基礎とするに反し、前者は其著しく発達せる特立の個人性を重んずと謂へり。此露国政治家が、欧州の大陸諸邦、就中スラヴ民族の国家に在りては、人民は個人権を棄てて、其社会の団結と国家終極の目的とに合すと云へることは、我国民に於て、特に其然るものあるを見る。故に日本に於ては、王権の自由行動を憂ふること、欧州に於けるが如きもの無きのみならず、而も之を緩和するには、王者の民心を察するに、親父の至情あるを以てす。ビスマーク曰はずや、『専制政治の第一要義は、治者の無私正直にして、義務を重んじ、精力あり、且つ内自から謙譲なることなり』と。
現代語訳
ポベドノスツェフ(ロシアの政治家)は、英国の社会とほかのヨーロッパ諸国の社会とが、それぞれ根本を異にしている点を明らかにして、後者が人民に共通する利害を基礎としているのに対し、前者は著しく発達した独立の個人性を重んじている、と言った。このロシアの政治家が、ヨーロッパ大陸の国々、とりわけスラヴ民族の国家では、人民は個人の権利を捨てて、社会の団結と国家の最終目的とに一体化する、と言ったことは、わが国民においてとくにそのとおりである。だから日本では、王権が自由に振る舞うことを、ヨーロッパのように心配することがないばかりか、それを和らげるものとして、君主が民の心を察するのに父親のような真心をもってすることがある。ビスマルクも言っているではないか。「専制政治の第一の要件は、治める者が私心なく正直で、義務を重んじ、精力に満ち、しかも内に自ら謙虚であることである」と。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・儒行解儒に志を合わせ方を同じくし、道を営み術を同じくし、並び立てば則ち楽しみ、相下るも厭わず有り。久しく別るれば則ち流言を聞くも信ぜず、義同じければ則ち進み、同じからざれば則ち退く。其の交わり此くの如き者有り。夫れ温良なる者は、仁の本なり。慎敬なる者は、仁の地なり。寛裕なる者は、仁の作なり。遜接なる者は、仁の能なり。礼節なる者は、仁の貌なり。言談なる者は、仁の文なり。歌楽なる者は、仁の和なり。分散なる者は、仁の施なり。儒は皆此を兼ねて之を有すれども、猶お且つ敢えて仁と言わず。其の尊譲すること此くの如き者有り。
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『慎思録』巻之五仁者は、天地万物を以て一体と為す。此の理本自ら此くの如し。勉強して一体と為すに非ざるのみ。蓋し吾が身は天地より生じ来たる。天地は万物の父母たり。故に天地万物と吾が身とは、本自ら一気たり。仁者は至公無私なり。故に物我の間隔無く、天地万物を以て一体と為さざること能はざるのみ。西銘特に此の意を言ふのみ。
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説苑・說叢賢を欲する者は人に下るに如くは莫く、財を貪る者は身を全うするに如くは莫し。財は義の高きに如かず、勢は德の尊きに如かず。父は無益の子を愛する能わず、君は不軌の民を愛する能わず。君は無功の臣を賞する能わず、臣は無德の君に死する能わず。善く御する者を問わば馬に如くは莫く、善く治むる者を問わば民に如くは莫し。卑を以て尊と為し、屈を以て伸と為すは、聖人の因る所、上は天に法る。
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説苑・貴德斉の桓公北のかた山戎氏を伐つ、其の道燕を過ぐ、燕君逆へて境を出づ、桓公管仲に問ひて曰く、「諸侯相逆ふるは固より境を出づるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失へるなり、寡人不道にして燕君をして礼を失はしむ」と、乃ち燕君の至れる所の地を割きて以て燕君に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉に朝す。詩に云く、「爾の位を靖恭し、是の正直を好めば、神之を聴き、爾に景福を介けん」と。此を之れ謂ふなり。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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