孔子家語 / 儒行解
儒有合志同方,營道同術;並立則樂,相下不厭;久別則聞,流言不信;義同而進,不同而退;其交有如此者。夫溫良者,仁之本也;慎敬者,仁之地也;寬裕者,仁之作也;遜接者,仁之能也;禮節者,仁之貌也;言談者,仁之文也;歌樂者,仁之和也;分散者,仁之施也;儒皆兼此而有之,猶且不敢言仁也;其尊讓有如此者。
新字:儒有合志同方,営道同術;並立則楽,相下不厭;久別則聞,流言不信;義同而進,不同而退;其交有如此者。夫温良者,仁之本也;慎敬者,仁之地也;寛裕者,仁之作也;遜接者,仁之能也;礼節者,仁之貌也;言談者,仁之文也;歌楽者,仁之和也;分散者,仁之施也;儒皆兼此而有之,猶且不敢言仁也;其尊譲有如此者。
書き下し
儒に志を合わせ方を同じくし、道を営み術を同じくし、並び立てば則ち楽しみ、相下るも厭わず有り。久しく別るれば則ち流言を聞くも信ぜず、義同じければ則ち進み、同じからざれば則ち退く。其の交わり此くの如き者有り。夫れ温良なる者は、仁の本なり。慎敬なる者は、仁の地なり。寛裕なる者は、仁の作なり。遜接なる者は、仁の能なり。礼節なる者は、仁の貌なり。言談なる者は、仁の文なり。歌楽なる者は、仁の和なり。分散なる者は、仁の施なり。儒は皆此を兼ねて之を有すれども、猶お且つ敢えて仁と言わず。其の尊譲すること此くの如き者有り。
現代語訳
儒者は、志を同じくし、方向性を等しくする者と交わり、道を共にし、方法論を同じくする者と手を携えます。互いに並び立てば喜び合い、互いに一歩譲り合うことも厭いません。長く離れていても、根拠のない噂を耳にしてもそれを信じることはなく、道義において一致すれば共に進み、一致しなければ距離を置きます。その交友の在り方はこのようなものです。そもそも温和で善良であることは、仁の根本です。慎み深く敬うことは、仁が育つ土壌です。寛大でゆとりがあることは、仁の働きです。謙って人と接することは、仁の能力です。礼儀と節度は、仁の外に現れた姿です。言葉を交わすことは、仁の彩りです。歌い楽しむことは、仁の調和です。分け与えることは、仁の実践です。儒者はこれらすべてを兼ね備えていながら、それでもなお自分から「これが仁である」とは口にしません。その謙虚に譲る姿勢はこのようなものです。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
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人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
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説苑・貴德斉の桓公北のかた山戎氏を伐つ、其の道燕を過ぐ、燕君逆へて境を出づ、桓公管仲に問ひて曰く、「諸侯相逆ふるは固より境を出づるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失へるなり、寡人不道にして燕君をして礼を失はしむ」と、乃ち燕君の至れる所の地を割きて以て燕君に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉に朝す。詩に云く、「爾の位を靖恭し、是の正直を好めば、神之を聴き、爾に景福を介けん」と。此を之れ謂ふなり。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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説苑・君道燕の昭王、郭隗に問いて曰く、「寡人地狭く人寡なく、斉人八城を削り取り、匈奴楼煩の下に駆馳す。孤の不肖を以て、宗廟を承くるを得たり、社稷を危うくするを恐る、之を存するに道有りや」と。郭隗曰く、「有り、然れども王の用うる能わざるを恐る」と。昭王席を避けて之を聞かんことを請う。郭隗曰く、「帝者の臣は、其の名は臣なるも、其の実は師なり。王者の臣は、其の名は臣なるも、其の実は友なり。覇者の臣は、其の名は臣なるも、其の実は賓なり。危国の臣は、其の名は臣なるも、其の実は虜なり。今王将に東面し、目指気使して以て臣を求めば、則ち廝役の材至らん。南面聴朝して、揖譲の礼を失わずして以て臣を求めば、則ち人臣の材至らん。西面等礼相亢して、之に色を下し、勢に乗ぜずして以て臣を求めば、則ち朋友の材至らん。北面拘指して、逡巡して退きて以て臣を求めば、則ち師傅の材至らん。此くの如くば則ち上は以て王たるべく、下は以て覇たるべし、唯だ王択べ」と。燕王曰く、「寡人学ばんことを願うも師無し」と。郭隗曰く、「王誠に道を興さんと欲せば、隗請う天下の士の為に路を開かん」と。是に於いて燕王常に郭隗を上坐南面に置く。三年に居りて、蘇子之を聞き、周より燕に帰す。鄒衍之を聞き、斉より燕に帰す。楽毅之を聞き、趙より燕に帰す。屈景之を聞き、楚より燕に帰す。四子畢く至り、果たして弱燕を以て彊斉を并す。夫れ燕斉均権敵戦の国に非ざるなり、然る所以の者は、四子の力なり。詩に曰く、「済済たる多士、文王以て寧んず」と、此を之れ謂うなり。