文子 / 上禮
老子曰:昔者之聖王,仰取象於天,俯取度於地,中取法於人,調陰陽之氣,和四時之節,察陵陸水澤肥墽高下之宜,以立事生財,除飢寒之患,辟疾疢之灾,中受人事,以制禮樂,行仁義之道,以治人倫。列金木水火土之性,以立父子之親而成家,聽五音清濁六律相生之數,以立君臣之義而成國,察四時孟仲季之序,以立長幼之節而成官,列地而州之,分國而治之,立大學以教之,此治之綱紀也。得道則舉,失道則廢,夫物未嘗有張而不弛,盛而不敗者也。
新字:老子曰:昔者之聖王,仰取象於天,俯取度於地,中取法於人,調陰陽之気,和四時之節,察陵陸水沢肥墽高下之宜,以立事生財,除飢寒之患,辟疾疢之災,中受人事,以制礼楽,行仁義之道,以治人倫。列金木水火土之性,以立父子之親而成家,聴五音清濁六律相生之数,以立君臣之義而成国,察四時孟仲季之序,以立長幼之節而成官,列地而州之,分国而治之,立大学以教之,此治之綱紀也。得道則舉,失道則廃,夫物未嘗有張而不弛,盛而不敗者也。
書き下し
老子曰く、昔者の聖王は、仰ぎては象を天に取り、俯しては度を地に取り、中ほど法を人に取り、陰陽の気を調え、四時の節を和し、陵陸水沢肥墝高下の宜しきを察して、以て事を立て財を生じ、飢寒の患いを除き、疾疢の災いを辟け、中ほど人事を受けて、以て礼楽を制し、仁義の道を行い、以て人倫を治む。金木水火土の性を列ねて、以て父子の親を立てて家を成し、五音清濁、六律相生の数を聴きて、以て君臣の義を立てて国を成し、四時孟仲季の序を察して、以て長幼の節を立てて官を成し、地を列ねて之を州し、国を分かちて之を治め、大学を立てて之に教う、此れ治の綱紀なり。道を得れば則ち挙げ、道を失えば則ち廃す、夫れ物は未だ嘗て張りて弛まず、盛んにして敗れざる者有らざるなり。
現代語訳
老子は言った。昔の聖王は、仰いでは天の形象を取り、伏しては地の法を取り、その中間では人の定めを取った。陰陽の気を調え、四季の節目を和らげ、丘や平地や水辺、肥えた土地や痩せた土地、高低の違いを見て、事を興し財を生み、飢えと寒さの憂いを除き、病の災いを避けた。その中間では人事を受けて礼楽を作り、仁義の道を行って人の秩序を治めた。金・木・水・火・土の性質を並べて、父子の親しみを立てて家を成し、五音の清濁と六律が相生する数を聴いて、君臣の義を立てて国を成し、四季の孟・仲・季の順序を見て、長幼の節度を立てて官を成し、土地を並べて州とし、国を分けて治め、大学を立てて教えた。これが治の綱紀である。道を得れば興り、道を失えば廃れる。物は張り詰めて緩まず、盛んにして衰えないものなど、いまだかつてない。
解説
この章句が説くこと
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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