文子 / 微明
老子曰:慈父之愛子者,非求其報,不可內解於心;聖主之養民,非為士用也,性不得已也,及恃其力,賴其功勳而必窮,有以為則恩不接矣。故用眾人之所愛,則得眾人之力,舉眾人之所喜,則得眾人之心,故見其所始,則知其所終。
新字:老子曰:慈父之愛子者,非求其報,不可内解於心;聖主之養民,非為士用也,性不得已也,及恃其力,頼其功勲而必窮,有以為則恩不接矣。故用衆人之所愛,則得衆人之力,舉衆人之所喜,則得衆人之心,故見其所始,則知其所終。
書き下し
老子曰く、慈父の子を愛するや、其の報を求むるに非ず、内に心に解くべからず。聖主の民を養うや、士の用を為すに非ず、性の已むを得ざるなり。其の力を恃み、其の功勲に頼るに及べば必ず窮す。為にする有れば則ち恩は接わらず。故に衆人の愛する所を用うれば則ち衆人の力を得、衆人の喜ぶ所を挙ぐれば則ち衆人の心を得。故に其の始まる所を見れば、則ち其の終わる所を知る。
現代語訳
老子は言った。慈しみ深い父が子を愛するのは、その報いを求めるからではなく、心の内から断ち切れないからである。聖主が民を養うのは、士に用いられるためではなく、本性がそうせずにいられないからである。もし自分の力を恃み、功績や勲功に頼るようになれば、必ず行き詰まる。為にするところがあれば、恩は人に通じ合わない。だから多くの人が愛するものを用いれば多くの人の力を得、多くの人が喜ぶものを挙げれば多くの人の心を得る。だから始まりを見れば、その終わりを知ることができる。
解説
親子の愛と君主の民への養いを、見返りを求めない行いとして重ねる段です。「為にする有れば則ち恩は接わらず」。何かのためにする行為は、恩として相手に届かないと言います。経営でいえば、従業員への配慮が人材確保の手段になった瞬間に、受け手に見抜かれる、という話に通じます。後半は実利の面で、人々が愛し喜ぶものを用いれば、力と心が自然に集まる、という指摘。損得を手放した関わりのほうが、結果として組織を強くするという逆説が読みどころです。
この章句が説くこと
慈父の子を愛するや為にする有れば則ち恩は接わらず衆人の愛する所を用うれば無私恩
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